創価学会
昨年十一月、創価学会が満を持して発刊した『創価学会教学要綱』(以下、要綱)は、すこぶる評判が悪
い。 例えば学会の全国副教学部長を務めた須田晴夫のように、学会内部からも異を唱える声が上がっている。須田は、
「『教学要綱』は重要教義を改変していることを何一つ明言せずに隠蔽し、改変の理由も一切説明していない。要するに従来の教義から大きな変更があることを読者に気づかせず(中略)『教学要綱』の内容があたかも創価学会本来の教義であると受け取るような仕掛けになっている(中略)会員に気づかせないよう、こっそりと教義改変を進める態度は『だまし』と言われても止むを得ないだろう」(須田晴夫著『創価学会教学要』の考察163ページ)
と学会執行部の「だまし」の手口を厳しく批判し、挙げ句には、
「会の公的な教義書としては不適切であり、早急に撤回すべき」(同一166ページ)
と烙印を押す始末である。
自語相違の戒壇義
『要綱』では、日蓮大聖人の仏法の根幹である三大秘法中の「本門の戒壇」について、
「日蓮正宗の総本山であ大石寺に建設された正本堂は(中略)広宣流布の象徴として、創価学会が全面的に推進して建立したものである」(要綱八五ページ)
と、正本堂建立を自賛したかと思えば、何とその直後に、
「その上で、大聖人が示された『本門の戒壇』 には、特定の建造物を超える意義がある」(同)
などと、にわかには信じがたい暴言を吐いている。正本堂建立に参加した当時の八百万信徒の真心と功績を、ただの一文で全否定してしまったのである。
またこれは、かつて池田大作が、
「本門の戒壇建立とは、大聖人様の至上命令である。そして、わが日蓮正宗創価学会のただひとつの目的であることは、論をまたない」(会長講演集四ー二七四ページ)
と指導してきたこととも相違するが、学会執行部はこの矛盾をどう説明するのか。
三大秘法破壊の大逆罪
そもそも「本門の戒壇」には、事と義(理)の立て分けがあり、これは従来の学会の教義書にも説かれて
いた。事の戒壇とは、大聖人出世の本懐、根源の本尊たる本門戒壇の大御本尊安置の所であり、また義の戒壇とは、本宗の各寺院・家庭の御本尊安置の所で、その意義が根源の事の戒壇に通じるという意味である。
さらに大聖人は事の戒壇について、一切衆生が大御本尊を受持して真の仏国土を実現させる広宣流布の事相の上に、本門の戒壇を建立すべきことを、
「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(御書一五九五ページ)
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同一六七五ページ)
と明確に御教示されている。
広宣流布と本門戒壇建立こそ御本仏の御遺命であり、弟子檀那として夢寐にも忘れてはならない大目標である。
しかし今回の『要綱』では、
「創価学会員各自がそれぞれの家庭などで御本尊に向かって題目を唱える場が『本門の戒壇』であ
る」(要綱 八六ページ)
などと主張するのみで、大聖人一期の御化導の究極たる事の戒壇について何ら言及せず、完全に無視している。
今の学会は、本門寺の飛壇に御安置すべき戒壇の大御本尊の特別な意義を否定してしまったがゆえに、重要なる戒壇義も改変せざるを得なくなった。要するに学会は、自分たちの勝手な都合で、大御本尊だけでなく御遺命の戒壇建立をも完全に捨て去ったのである。
このような学会の三大秘法破壊ともいうべき大逆罪を御本仏が断じて許されるはずはない。
謗法深重の学会員が唯一救われる道は、大御本尊まします本門事の戒壇の霊地・大石寺に詣で、懺悔滅罪する以外にない。
(大白法令和6年12月1日号より転載)