創価学会
改悪された御書
昨年十一月、創価学会は
『日蓮大聖人御書全集 新版 (以下『新版)』を発刊した。
これまで学会が使用してきた『御書全集』(以下『日版』)は、総本山第五十九
世日上人が御苦心の末に編纂された御書である。
今回の『新版』は、『日版』の大部分を踏襲しているにもかかわらず、『旧版』にあった日亨上人と戸田城聖二代会長の序文を掲載せず、さらに日亨上人の御功績についても一切言及していない。 まさに忘恩の極みである。
もっとも、戸田会長の序文には、
「大聖人唯一の正統であ』り大権威である日蓮正宗」(『旧版』序文)
などの正当なる文言がある故に、掲載できなかったのであろう。
また、『新版』では『出家功徳御書』を「会員の信行に資さない」との理由で、あえて不収録としている。僧侶不要を標榜するエセ仏教団体ならではの所業だ。
ならばいっそのこと、
「仏宝・法宝は必ず僧によて住す」(平成新編御書268ページ)
「法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ぶベし」 (同 1461ページ)
「僧をも供養し給ふが肝心にて候なり」(同1051ページ) |
等々、出家僧の必要性や徳分を説かれた多くの御書も不収録としなければ、道理に合わないではないか。
さらに、御相承にかかわる重要な「二箇相承」や『百六箇抄』『本因妙抄』等を、『新版』では巻末に配する付録の「伝承類」の項目に移した。これも、
「最も重要なる血脈抄本因妙抄等日蓮正宗門外不出の御抄」(『旧版』序文)
との戸田会長の信念に背くもので、編者である日亨上人に対する冒涜でもある。
極理の師伝、なき学会
『新版』の序には、監修者池田大作の駄文が載せられている。その初天辺で、
「我ら創価学会は、水速に『御書根本』の大道を歩む」
と、鼻息が荒い。
大聖人の門下が、御書を心肝に染めることは当然である。 しかし、学会を含むすべての他門流が、御書を用いながらも異流義になり果てた所以は何か。
それは日興上人が、
「御抄を心肝に染め極理を師伝して」(平成新編御書 一八八四ページ)
と仰せられる、極理の師伝がないからだ。
学会がいかに「御書根本」を喚こうとも、極理の師伝である唯授一人の血脈相伝に基づかなければ、
永遠に大聖人の御真意には適わない。仏法破壊の悪道に転落していくのみである。
変わらない学会の体質
学会では、大作の主著
『人間革命』を「信心の教科書」と持ち上げる。
また、『新版』の発刊に際して学会系の雑誌には、
「学会員の皆さんは今後、御書全集を読むときにも、『人間革命』『新・人間革命』の内容を踏まえたうえで読むことになっていくと思います。つまり、三代会長の教えを起点として日蓮大聖人の仏法を学ぶ』のです。それが (中略) 信徒が正典に臨む正しい姿勢です」(第三文明・令和三年十一月号)
とある。
これは学会ファンを自称する某作家の発言だが、このような記事を臆面もなく掲載するあたり、よほど学会にとって都合のよい内容なのだろう。
要するに学会は、表向きは「御書根本」「大聖人直結」を装っているが、本質は、大作の我意我見を根本として御書を読んでいるのだ。
まさにその姿は、「池田根本」「大作直結」である。
かつて学会は「人間革命は現代の御書」なる邪説を吐き、表向きはその教義逸脱を是正したかに見えたが、学会の本質は昔も今も変わっていない。
すなわち、大聖人の仏法を利用して、大作の邪義謗法を世に垂れ流し、会員を洗脳し続ける邪教団。これが創価学会の正体だ。
今、世界は三災七難の激動のただ中にある。
”今こそ、折伏の時”
池田学会をはじめとする邪義謗法を断乎打ち破り、一日も早く、真の仏国土を実現していかなければならない。
(大白法令和4年5月1日号より転載)