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七宝

教学用語

七宝とは、『法華経見宝塔品』に説かれている宝塔を飾る金(こん)、銀(ごん)、瑠璃(るり)、碼碯(めのう)、硨磲(しゃこ)、真珠(しんじゅ)、玫瑰(まいえ)などの七種の宝石類をいいます。

『法華経法師品』には、

「薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応(みなまさ)に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾(こうこうごんじき)ならしむべし」(開結 391頁)

と、『法華経』の在所には、必ず七宝をもって荘厳すべきことが説かれています。そして『見宝塔品』で大地より涌出した多宝塔は、実際に七宝で飾られていたと説かれています。

日蓮大聖人は、これを末法の観心修行の上から『御義口伝』に、

「七宝とは聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慙(ざん)なり。(中略)今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり」(御書 1752頁)

と説かれました。すなわち、末法の七宝は宝石類を指すのではなく、聞・信・戒・定・進・捨・慙の七つをいい、それは南無妙法蓮華経と唱え奉る行者に具わる功徳なのです。

「聞」とは、聴聞の聞をいい、正法を聞く、大聖人の御法門を聴聞して信心の心を起こすことをいいます。

「信」とは、信心の信をいい、「聞く」ことができた後、その正法を信受することをいいます。

「戒」とは、戒律の戒をいいます。身口意の三業によって正法を守り、それを基に非法を防ぎ、悪法をとどめることをいいます。大聖人の仏法における戒とは、受持即持戒、すなわち、妙法の御本尊を固く受持し、信行に励むことをいうのです。

「定」とは、禅定の定をいい、散乱した心を破して、安定した心に住することをいいます。御本尊に向かって一心に題目を唱えることによる功徳をいうのです。

「進」とは、精進の進をいいます。日寛上人が『依義判文抄』に、

「勇(いさ)み敢(いさ)んで信力を励み竭(つく)すを勇猛と名づくるなり。『精進』は即ち是れ唱題の行なり」(大石寺版六巻抄 89頁)

と仰せのように、唱題、折伏の精進修業に励むことをいうのです。

「捨」とは、誤った考え方に執着する心を捨てることをいいます。『方便品』に、

「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(開結 189頁)

と説かれているように、爾前権教への執着を捨ててこそ、正しい仏法を信解できるのです。

「慙」とは、恥じるということ、慚愧(ざんき)の心をいいます。正直な心をもって修行する者は、常に自らの憍慢(きょうまん)・懈怠(けたい)の姿を恥じて反省し、正しい信心を歩めるのです。

このような功徳は『阿仏房御書』に、

「末法に入って法華経を持つ男女(なんにょ)のすがたより外には宝塔なきなり。(中略)聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慙(ざん)の七宝(しっぽう)を以てかざりたる宝塔なり。(中略)かく信じ給ひて南無妙法蓮華経と唱へ給へ。こゝさながら宝塔の住処なり」(御書 793頁)

とあるように、日々御本尊に向かって題目を唱える私たちの身に、七宝で飾られた宝塔という妙法の仏身が顕れるのです。

日蓮正宗宝相寺支部
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