去る五月三日は「創価学会の日」。これは池田大作が第三代会長に就任した日に由来する。
特に本年は、会長就任六十周年の記念の年ということで、いろいろな機関紙で特集を組み、大々的に報道していた。
だが、相変わらず本年も、当人が一般会員の前に姿を現わすことはなかった。
不正直な体質
六十年前のその日、壇上に立った当時三十二歳の大作は、
「若輩ではございますが本日より、戸田門下生を代表して、化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらさせていただきます」
(大白蓮華 昭和三十五年六月号)
と声高に会長就任を宣言した。 これに多くの学会員が奮い立ったというのは、有名な話だ。
ちなみに、大作は件(くだん)のスピーチの締め括(くく)りで、
「御本尊様を根本としてしみじみと大御本尊様のありがたさを感じつつ邁進(まいしん)してゆきたい」(同)
と述べていた。
しかし、この発言を掲載する最近の刊行物 (大白蓮華令和二年五月号)では
わざわざ「大御本尊様」の「大」の字を削除している!
是が非でも、会員を「大御本尊様」から遠ざけたいとの魂胆(こんたん)であろう。実に卑劣な提造(ねつぞう)体質である。
学会の不正直さはこれだけにとどまらない。
それはこのスピーチの肝心な部分をひた隠しにしていることだ。
すなわち、大作は前出の発言の直後に、
「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、大御本尊様にお仕え申しあげ、御法主上人猊下に御奉公申しあげることが、学会の根本精神であると信じます」(同)
と述べた。
広布破壊の元凶
今日の学会の変貌を見る時、戸田二代会長の遺影を背に、大勢の会員の前で誓った、大作のこの発言は一体何だったのかと首をかしげざるを得ない。
今や学会は、戸田会長が築いた本宗外護の信徒団体としての根本精神に背(そむ)き、総本山を謗法呼ばわりし、血脈付法の御法主上大猊下に憎悪をたぎらせ、宗旨の根本たる大御本尊への信仰を捨て去った。
これらの全責任は池田大作にあり、大作こそが僧俗和合による広宣流布を破壊した張本人なのである。
正体を広く知らしめよう
日蓮大聖人は、御在世当時に蔓延(まんえん)していた、念仏の信仰者に対し、
「法然の弟子たちは、法然を仏・菩薩であるかのように持ち上げている。
このような間違った心を破折するためには、法然が謗法の根源であることを明らかにしなければならない (趣意)」(御書 一四五㌻)
と御教示である。
この構図はそのまま現代にも当てはまる。大作が姿を見せなくなって久しい中、長年にわたる洗脳から解放される人々も徐々に現われていることであろう。 しかし、依然として多くの学会員が、大作を偉大な人物と妄信(もうしん)していることも事実である。
故に我々は、大作の虚像に証惑(おうわく)される学会員に対し、その正体を広く知らしめ、救済していかねばならない。
学会員の皆さん。
あなた方が信じる”池田先生”は、大御本尊への信仰を捨てた理由を、未だ一言半句なりとも自らの口で語っていない。このような無責任を許してよいのか大いに説明責任を糾弾すべきであろう。
そして何より、就任当初の誓いをことごとく反故(ほご)にした大作の、宗教指導者としてあるまじき変節ぶりを直視すべきだ。
大聖人は、人々を証(たぶら)かし、謗法の大罪を積ませる大作の如き者について、
「是(これ)一切衆生の悪知識なり。近付くべからず。畏(おそ)るべし長るべし」(同 三六六㌻)
と御教誡である。 速やかに大作崇拝の邪信を改めなければ、現身に仏罰を被(こうむ)り、後生(ごしょう)に無間(むげん)の大苦を受けることは必定(ひつじょう)だ。
一人でも多くの学会員が
「大御本尊様にお仕え申しあげ、御法主上人猊下に御奉公申しあげる」という根本精神を取り戻し、本来の信仰に立ち帰るべきことを切(せつ)に訴えるものである。
(大白法 第一0三四号 令和二年八月一日)