創価学会
釈尊が四十余年間に説かれた爾前の経教は、真実最高の法華経へ導くための方便、仮の教えである。このことを、日蓮大聖人は、
「観経等の念仏の法門は、法華経を説かせ給はむ為のしばらくのしつらひなり。塔くまむ為の足代の如し。(中略) 塔立て後足代を貴ぶほどのはかなき者なり」(御書一二三四)
と、爾前経を「足代」に譬えて、法華経という大塔を組む (目的)ための「手段」に過ぎないことを御示しである。そして、これに執着する他宗の僧たちを、「はかなき者」と破折されている。
翻って、現代の一凶である創価学会を見れば、まさに「目的を忘れて手段に執着する」という、はかなき姿そのままである。姿そのままである。
創価学会の設立目的
そもそも創価学会は、初代会長・牧口常三郎氏によって、日蓮大聖人の仏法を基とした教育を推進することをめざして、創価教育学会として成立した。
そして戦後、二代会長・戸田城聖氏によって名称は創価学会と改められ、総本山大石寺を外護すること、布教をしやすくするためという理由で、宗教法人を取得し、日蓮正宗の信徒団体として発足した。
その際、宗門が提示した、
「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」
「当山の教義を守ること」
「三宝を守ること」
の三原則を遵守することを確約している。
その後、三代会長に池田大作が就任すると、「池田本仏論」などの謗法行為が露呈するようになった。
昭和五十四年に制定された会則には、一応、
「この会は日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
ことが明記された。
さらに池田自身も、
「次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。三大秘法の大御本尊がいっさいの根本であ
ると拝していくことだ。
二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
三、それを基調として、学会は、広宣流布の展開をしていくのである」(広布と人生を語る 三二七一)
と指導している。
すなわち創価学会は、
「日蓮正宗の信徒団体として総本山を外護し、御法主上人猊下の御指南のもと、日蓮正宗の教義=本門戒壇の大御本尊を広宣流布する」ことを、唯一至上の目的としていた。
言い換えれば、その目的達成の手段として、創価学会は存在したのである。
大御本尊否定の大謗法
ところが、平成二年より池田創価学会は本性を現わし、「宗門批判」「血脈否定」「三宝破壊」「本尊偽造」等の数々の謗法行為に手を染める。
ついに平成二十六年に
「弘安二年の大御本尊は、受持の対象にはしない」
との方針を打ち出し、会則からも「大御本尊」の文言を削除するという大謗法を犯すに至った。
これをもって「いっさいの根本」「不動の路線」であり、唯一の目標にして創価学会の意義そのものを、自ら放棄し、魂なき空虚な団体となり果てた。実体は、日蓮宗等の不相伝の者たちと何ら変わりがない。
手段が目的となる本末転倒
現在の創価学会は、組織の存在に意味を持たせるために、珍妙なる「創価学会仏」という概念を前面に押し出したり、当家の血脈や御開扉に擬すかのように、
「『三代会長』を永遠の師匠とする」「広宣流布大誓堂の建立」などの方針を取っている。しかし、どれも大聖人の仏法からかけ離れたまやかしの教義に過ぎず、手段であったはずの創価学会という組織の繁栄を目的とする本末転倒である。
学会員は、「創価学会は何のために設立した組織なのか」という原点を見つめ直し、いち早くその欺瞞に気づくべきである。
(大白法令和5年10月1日号より転載)