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名聞名利は仏法にあらず 恥ずべし恐るべし

 創価学会
 本年五月、創価学会会長の原田は、カトリック教会の中心地・バチカンをわざわざ訪問し、ローマ教皇(法王)と会見した。
 名聞名利の会見
 ローマ教皇とは、全世界に十三億人の信者を有するキリスト教の最大教派・カトリック教会の最高指導者である。
その際、原田は、
「人類の幸福と世界平和のために、今後も歩みを共にしたい」(聖教新聞五月十二日付)
と言ってのけた。
続けて、バチカン市国における教皇代理でもあるマウロ・ガンペッティ枢機卿と会見した原田は、過去に一度、池田大作と教皇との会見が決定していたのだが、日蓮正宗の横やり”で実現しなかったと “御報
告”
 今回は、池田の意志を体現して会見が実った歴史的な日〟と述べている。
 なるほど、学会がこれまで会員に教えてきたキリスト教への布教の在り方を放棄したという意味では、たしかに歴史的な日といえよう。
 生前の池田の野望であっ教皇との会見について、その状況を知悉しておられた当時の尾林宗務院海外部長(常宣院日至贈上人)は、
「平成元年頃から、池田はじめSGI欧州議長などの最高幹部が、執拗にローマ教皇と会見したいと要請してきた。表向きの理由は、SGIの社会的公認のためという。よく池田は、各国首脳などとの会見は、自分にどうしても会いたいとからと説明していたが、彼らの声を聴く限りそうで分はなく、学会側から一生
懸命努力してやっと実現していたようだ。ノーベル平和賞獲得のための一手段としたかったのだろう。
 現地の純粋なメンバーは、『あらゆる批判を耐えて先祖伝来のカトリックから日蓮正宗に改宗した。それを頭越しに池田と教皇が握手などされたら、たまったものではない。教皇との会見など、所詮池田の名聞名利です』とはっきり言っていた」(『日曜講話』第二六号・要旨)
と述懐されている。
過去の指導との自語相違
 学会の教義書では、
「キリスト教では処女懐胎や、キリスト復活をつうじて、神を信じさせようとするが、はなはだ無理な話(中略)こういう宗教は自然科学とまったく相反するし、低級な宗教である」(創価学会教学部編『折伏教典』一七七ページ)
などと教え込んできた。
 本尊の教義も信条も、自分たちの都合で都合でコロコロと変える今日の変貌ぶりを、学会が日蓮正宗の信徒団体だった時代の先達たちに、いったいどう釈明するつもりだろうか。
真の世界平和とは
 御本仏日蓮大聖人は、戦争・疫病・飢饉に代表される世界の混迷と不幸は、詮ずるところ、宗教にその根本原因があることを私たち一切衆生にお教えくださった。
“人類の幸福と世界平和〟というならば、
「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば」(御書 六七一ページ)
との大聖人の御教示を、刮目して拝さなければならない。
 真の平和も安寧も、正法の樹立、すなわち立正安国・広宣流布によって、初めて実現するのである。
 かつて池田自身、
「『妙法独り繁昌せん時』と。ここに『立正安国』の真髄がある(中略)悪世末法の社会を思うとき『妙法独り繁昌』の時代を、断じて築いていかなければならない。それが大聖人の御遺命だからである」(『広布と人生を語る』四ー二九二ページ)
と指導していたではないか。
 自らが、仏法に対し外道〟と破折してきた相手に詐り親しむ学会。これすべて名聞名利を得たいため
の媚びへつらいである。
 現在の学会に、大聖人の立正安国の御精神など跡形もなく、広宣流布を語る資格など微塵もない。
 大聖人の広布の御遺命を無慚に捨て去った学会よ。
もう二度と大聖人の仏法の名を騙るなかれ。
(大白法令和6年8月1日号より転載)

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