「小樽問答において、本導雑乱の身延に対して破折した主張」
御本尊様には必ず添え書きがございます。あるいは何々房に授与す、あるいはどこどこの住職何々坊に授与す、あるいは万年救護,紫宸殿、このようなそれぞれ御本尊の意義がおしたため遊ばされておられます。その意義の、御本尊の意義として、本門戒壇、このように大聖人様が御本植様にきちっとおしたためになっているんですよ。
そのことを、そのことを。身延のお坊さんだと思いますか、知らないのですよ。(拍手)ところが我々は。たびたび大石寺へ参詣致しまして、そのことをきちっと拝しておる。だから疑う、向うでは疑う。疑うたって、信心を興してする以外にないのではないですか。」
「我々創価学会は、大聖人様の御本意である弘安二年の十月十二日の本門戒壇の大御本尊様に向かって、ただ一つの本尊に対して、心から帰依しているから功徳があるのであります。」
創価学会は平成二十六年十一月八日の聖教新聞で、「弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と正式に発表しました。
これは戸田会長の指導を根底から否定するものです。戸田会長の信心は、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を、絶対に信じる、末法の一切衆生を救う唯一の大御本尊であると命の底から信じる信心であります。これを学会は捨ててしまったのです。
この本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切
が狂ってくる。ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはな
い。これが根本なのですよ。 (大白蓮華・昭和三四年四月号九頁)