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戸田家は法華講―逝去後1週間経ても立派な成仏の相!!―

創価学会

―逝去後1週間経ても立派な成仏の相!!―
(<妙観講>WS)

 平成12年3月6日、創価学会2代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年89歳。
 お通夜ならびに告別式は、3月12日、13日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛(げんしゅく)に執(と)り行なわれました。
 戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。

▲日蓮正宗で行われた戸田幾さんの葬儀

 幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部2名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企(くわだ)ては、子息・喬久氏(城聖氏長男)によって退(しりぞ)けられ、正宗での葬儀執行となったのでした。
 戸田家に近しい人の話によれば、喬久氏は常日頃から、
 「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」
と語っており、さらに、
 「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、1度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」
 「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」
と話していました。
 すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和33年4月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、4月2日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。
 また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものでした。
 幾さんの逝去後、週刊誌に幾さんと、ある男性との会話のテープが紹介されました。そこに、池田創価学会に対する幾さんの率直な気持ちが語られています。

〈男性〉 池田さんて、悪いやつです。すごい悪い悪人です。金だけ集めている。
〈幾さん〉 ほったらかしておいた方がいいのよ。(あなたも)あまり真剣にならないで、今に分かるから。必ず分かるから。
〈男性〉 罰が出ますよ。御本尊様に背いた罰がね。
〈幾さん〉 もう罰があたっているのよ。お子さまを1人亡くしているでしょ。
〈男性〉 私は、池田大作という人物は大悪党だと思っています。
〈幾さん〉 みんなそう思っているかも知れませんよ。

 告別式において、最後のお別れに臨んだ参列者達が目にしたのは、逝去より1週間を経(へ)てもなお、生前と変わることなく、安らかに眠る、幾夫人の素晴らしい成仏の相でした。
 なお、創価学会2代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部30名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅(まんだら)に手を合わせていました。

■訃報 戸田幾様逝去さる
(『大白法』H12.3.16)
創価学会第2代会長=大宣院法護日城大居士の夫人である戸田幾様が、6日午前11時57分、東京都内の病院で逝去された。享年89歳。

[照寿院妙護日操大姉]
通夜は12日午後7時から、葬儀は13日午前10時から、それぞれ東京都品川区の桐ケ谷斎場にて、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道御尊師の導師にて執り行われた。

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