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浅井教の行く末ー顕正会

 顕正新聞(令和七年一月二十五日号)を見るとその一面には、故浅井昭衛のかつての指導が大々的に掲載
されていた。
現会長の権威付け
 顕正会では息子の城衛が会長職を継いだが、城衛には荷が重いのか、一年半が経った今でも頻繁に、会合などで昭衛の指導の映像を流しているようだ。
 本門戒壇の大御本尊から離れた創価学会と同様に、 組織存続のためには昭衛のを個人崇拝を進めていくしかないのであろう。
 そもそも、顕正会に前身の妙信講時代から甚兵衛昭衛・城衛と、しれっと世襲して浅井家支配が続いている。日蓮正宗にとって、はた迷惑な「冨士大石寺」を自称するのをいち早くやめて「浅井教」と名乗るべきである。
 もっとも、いつまでも昭衛におんぶに抱っこではいけないという意識もあるようで、幹部の発言には、
「偉大な第一歩を踏み出した会長ご統率の顕正会の姿に大感動が込み上げました」(顕正新聞 令和7年1月25日号)
「いま先生のご遺志を継がれ、大聖人様から御守護を頂いて加速度を付けた大前進を展開される会長もまた『法華経の命を継ぐ人』と思わずにはいられませんでした」(同)
「何の行功なき我らが、正しき師匠に師事し得、さらに先生の御逝去という未曽有の衝撃と悲嘆から、先生のご遺志に殉ぜんとすべてを拠ち立たれた会長」(同)
等とあり、何とかしを「特別な存在」「偉大な人物」に祭り上げようとする魂胆が見て取れる。
 それに対して城衛自身も、昭衛をまねて昨年末に大石寺近辺に来て大御本尊に遥拝するなど、後継たることをアピールしているようだ。
 ならば城衛は後継者として、昭衛が最期まで無責任に放置した数々の疑難に弁明することが責務である。
ニセ本尊作製疑惑
 真っ先にするべきは顕正会の本尊についてだ。
 これまで宗門から、ニセ本尊作製疑惑についてさんざん指摘してきたが、昭衛は逃げの一手で、一切弁明せずにこの世を去った。
 顕正会幹部らは〝本尊のことは先生(昭衛)のみ知ること〟と苦しい言い逃れをしていたようだが、息子
として裏側をすべて知るであろう城衛は、とりあえず、
①宗門には存在しない 「大幅の日布上人の御形木本尊」とは何なのか。
②各会館が新設されるたびに安置の本尊が増える理由
③今後勝手に増えても困るので、顕正会が半世紀も前に入手したとする本尊の今現在の種類と実数。
あたりを明らかにしたらどうか。
日達上人・日顕上人への中傷
 また、ここ数年、顕正会が主張する〝日達上人・日顕上人の臨終の相が悪相であった”という誹謗中傷についてである。
 宗門から実際にすばらしい御相貌を拝した人々からの証言を突きつけられてもそれを無視し、〝日達上人の縁戚を騙る人物の又聞き”とか”誰か分からない元宗門僧侶の会員が、誰か分からない宗門僧侶から聞いた”などという与太話をもとに、昭衛も嬉々として吹聴していた。
 そんなものを根拠に、堂々と誹謗中傷を公言するとは、顕正会は本当に社会常識が欠落した組織であ
る。しかも「嘘も百遍言えば本当になる」とでも思っているのか、未だにこの中傷を喧伝している始末だ。
 城衛よ、事実というなら宗門からの指摘に反論してみよ。できないなら、直ちに誤りを認め、謝罪すべきである。
浅井教の行く末
 この他にも、昭衛が垂れ流した誹謗や妄言は山ほどある。城衛は会長としてそれらの尻拭いをすべきであるが、反論できないので、どうせ黙りを決め込むことだろう。
 それどころか城衛自身が積極的に己義や妄言を発して、ますます浅井教化が進むのではないか。
 会員諸氏には、日蓮大聖人や大御本尊からかけ離れた顕正会の実態に気づき、一刻も早く大御本尊のもとへ帰依することを強く念願するものである。
(大白法令和7年4月1日号より転載)