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霊波之光教会を破す

諸宗教破折
3/17/2018

【創立】 昭和三二年九月二三日
【創始者】 波瀬善雄
【現後継者】 波瀬敬詞
【信仰の対象】 大宇宙神の分神(教祖)
【教典】 御書(波瀬善雄の言行録)
【本部】 千葉県野田市山崎二六八三-一
【信者数】 七六一,一七五人
【名称の変遷】 霊波之光鑚仰会(昭和三一年)霊波之光教会(昭和三二年)

【沿革】
霊波之光(れいはのひかり)教会は、大宇宙神の分神を自称する波瀬(はせ)善雄が「霊波による病気治し」を揚げ、創設した教団である。
長谷義雄は大正四年(一九一五年)七月二日、東京葛飾金町で農業を営む長谷家の長男として生まれた。
義雄は、昭和一一年(一九三六年)一月、二十歳のときに軍隊に入り兵役を務めた。昭和一二年(一九三七年)、日中戦争の勃発により、機械化部隊として中国大陸に渡ったが、まもなく結核にかかり、広島に送還された。義雄は腹膜炎を併発し、陸軍病院や療養所で治療したが一向に回復しなかった。このため義雄は療養所を自己退所して実家に帰った。
義雄は実家で療養を続けたが、苦悩は少しも和らぐことはなく、往診の医師から「長くもっても一ヵ月」と宣告された。昭和一四年(一九三九年)六月八日、義雄は母たちの制止を振り切り、神仏に救いを求めて四国に渡った。
義雄は香川県さぬき市の五剣山(ごけんざん)中の小さな堂で三週間にわたる座禅を行い、その後山頂に登り極限状態に陥った。このとき「なんじ生きよ、なんじは神の使いなるぞ、なんじ、神の道を行け」との声を聞き、たちまち病気が平癒したという。
その後、義雄は一〇数年の間、自らの身に奇跡を起こした神を求め、苦行を重ねながら全国の山々を渡り歩いた。大隅半島の寺で座禅をしているときに「妻をめとれ」との声を聞いて久江(御内室様と教団では称する)と結婚し、昭和二三年(一九四八年)七月二八日には長男敬詞が生まれた。
昭和二九年(一九五四年)三月七日、五剣山で苦行を行っていた義雄は、光(霊波)が体内に吸い込まれるという神秘体験をし、自ら大宇宙神の分神であると悟ったという。このとき大宇宙神から神と人間をつなぐ使命を託され、以来、身体から治療効果のある霊波を放射するようになったとしている。
昭和三一年(一九五六年)義雄のもとに集まった信者たちによって千葉県松戸市馬橋に霊波之光鑚仰会が発足し、翌年には同地内に仮本山を作り、霊波之光教会と改称して宗教法人の認証を得た。更に昭和四四年(一九六九年)、野田市に土地を取得し、礼拝堂、聖神殿、生命橋、玉碑などの本部施設を建設して、新本山とした。礼拝堂の正面祭壇には、地球儀に乗った義雄の像が安置されている。また昭和五〇年(一九七五年)には、城郭の天守閣を模した教主の公邸「天使閣」を建設した。
義雄は昭和五九年(一九八四年)三月一九日に六八歳で没し、その四ヶ月後、長男の敬詞(たかひと)が「霊波継承の儀」を執り行い、第2代に就任した。なお第3代には敬詞の長男敬仁が既に内定している。
翌昭和六〇年(一九八五年)には新本山内に総教司令本部、平成九年(一九九七年)には各種イベントを行うRHKホールを建設している。
教団は千葉県野田市の本部の他に、札幌・仙台・郡山・横浜・明石・高知・北九州・沖縄に支部を、旭川・釧路・新潟・長野・静岡・名古屋・松山には礼拝所を設けている。

【教義の概要】
信仰の対象は、「祈り」と書かれた地球儀の上に立つ義雄の偶像である。
教団では、大宇宙神から啓示を受け霊能を授けられた義雄を「御守護神様」と称し、大宇宙神の分神・使者として全人類を救うといっている。
信者の家庭には「御神体御札(おふだ)」が神棚に祀られている。この御札は義雄の身体から出る大宇宙神からの霊波によって魂入れをしたとされるものである。信者は教団に入信することにより、教祖や二代目とつながり、大宇宙神からの霊波が送られるという。
教典は、教祖義雄の言葉をまとめた「御書」と称するものである。この書について、教団では「義雄が宇宙の真理と人間が生きるべき道を説き、人類の幸せと世界平和を実現するための教えを網羅したもの」(趣意)と説明している。
教団は「人類救済・世界平和実現」を設立目的とし、「すべての人々が心を浄化するとともに、暖かい心を持ち真の平和な社会を築くために、大宇宙神と霊波のつながりを持たねばならない」と主張している。
また義雄は身体から出る大宇宙神からの霊波を使って札や酒に魂入れを行い、信者たちはその御札や御神酒(ごじんしゅ)を受けることによって救われるとされる。
義雄は生前の汚れによって迷っている多くの人々の霊魂が生きている人に病気などの不幸をもたらすと説いている。従って、病気などの災難から逃れるためには、死者の霊魂を浄化しなければならないとして、先祖や亡者の浄霊祈願を行っている。教団では毎年六月八日の御聖旅祭(ごせいりょさい)(教祖が神への道を求めてはじめて旅に出た日を記念する)のときには、この浄霊祈願を無料で行っているという。具体的には「浄霊祈願御札」を本部内にある生命橋から聖神之池に流し、その後、生命橋から「天使閣」に向かって巡拝するという形式である。
これ以外の浄霊祈願は信者個々の願いに応じ、特別祈願として有料で行っている。この特別祈願は、本人の霊魂の浄化を目的とするもので、祈願札に祈願内容を記し、2週間かけて行うものである。まず初日に聖神殿御祈願所で祈願を行ったのち、霊波を注いだ御神酒を脳天と首筋につけ、次に「生命札」が与えられ、信者はその札に身代わりの意味を込めて病苦を移し、生命橋から聖神之池(せいしんのいけ)に流すのである。この後、2週間分の祈願札が与えられ、信者はそれを家庭の御神体御札の脇に2週間祀って祈るという。
とりわけ信者は、何事も、素直な気持ちで守護神である義雄にすがり、幸福を願うことによって、全ての悩み・苦しみから救われるとされる。
また、信者たちは種々の祈りを行う際に、義雄が作った「誓訓」等(開きの詞・大要)の文や「御守護神様、二代様、我等人類救済の道へ歩ませ給へ」との唱え言葉を読むことになっている。
信者は本部での行事に参加するほかに、班単位・組単位で集まって連帯活動をし、病人や怪我人のために祈りを行う。これは当初「和の祈り」と称され、その後「結合の祈り」、更には「信者のための祈り」と呼ばれるようになった。集会で行われる体験発表では、治病や救いの経過を再現し報告している。このほか、教団本部では、毎日体験談やそれをドラマ化した「体験シリーズ」と称するビデオを放映し、宣伝活動を行っている。

【破折の要点】

■安易な奇跡を売り物にした教団
「溺れる者は藁をもつかむ」というが、まさにこの教団は、病気という人の弱みに付け込み、教線を拡大しようとしている詐欺的な集団である。
病気治しの方法は、当初は密教的な九字を切るというものであったが、いつの間にか長谷義雄自身の霊波(光)によって治癒するというようになった。病気なおしという、教団の中心的な儀礼を簡単に変えることに象徴されるように、教団の教義や主張は一貫性がなく場当たり的である。
この教団は教義らしい教義もなく、「ただ御守護神様におすがりすればどんな病気も治る」と安直に奇跡を売り物にしているが、その因果関係は明らかではない。

■教祖は悩み多き一人の凡夫に過ぎない
義雄は、当初、神仏に救いを求めて四国の五剣山で座禅を行っている。そもそも小堂で仏教の座禅を組み、その後、神から天啓を受けたなどということ自体、神仏に対する概念が混乱している。
また教団では大宇宙神を根本としているはずなのに、「礼拝堂」には地球儀の上に立った教主像が祀られており、悩み多き長谷義雄という人間を拝む宗教となっている。義雄自身が心臓発作で急死しているように、所詮、自分の身の上にさえ奇跡の力を示すことができなかった凡人である。その者にすがりつき必死に拝むことは愚かな行為というべきである。

■教祖の天啓と世襲制の矛盾
教団世襲により義雄の長男敬詞が二代目となり、三代目も敬詞の長男である敬仁に内定しているという。教団内で語られるように、義雄が病の中各地の霊山を修行して歩き、やっと悟りを開いたとするならば、二代目・三代目は一体どのような修行をしたというのか。代々の教主を守護神義雄が見守っているというが、それは裏を返せば、身内と信者を分け隔て、信者を見守っていないことを表明したものにほかならない。所詮、義雄の教えは、身内にしか特殊な能力を認めないものであり、偏狭で不条理極まりないものである。

■「義雄が神と人間をつなぐ媒介者である」という邪義
神はエネルギーであり直接人間に働きかけられないため、そこに神と人間をつなぐ媒介者が必要となり、それを通して働く神通力が霊波であり、その媒介者が教主波瀬(長谷)であるとされている。教団では「人類の親たる宇宙神から霊波を受けるには媒介者がいなければ受けられない」というが、それでは長谷義雄以前の媒介者は誰だったのか。それまで長谷義雄以前の人類は理罪に苦しんでいたということは、それまで、大宇宙神は人類を救おうとしなかったことになり、無慈悲といわなければならない。人々が理罪を受けることは大宇宙神の罪というべきであり、このような神が本当に人類を救えるのだろうか。

■期限付きの御札
信者は各家の神棚に祀る「御神体御札」を通して代々の教主につながり、守護神からの霊波が送られるとするが、これは御札を買わせるための理由づけに過ぎない。御札の有効期限が一年間であるというのは、単なる信者に買い換えをさせるための口実である。また、この御札を受け、素直な気持ちで信じれば悩みや苦しみから救われるといい、更に死者や信者本人の浄霊祈願と称して御札を買わせる教団の意図は明白といえる。所詮、御札の有効期限が一年間であるというのは、御神体なるものが、脱臭剤や乾電池と同次元のものというべきである。

■「浄霊祈願御札」や「生命札」は単なる演出である。
信者たちは先祖の霊魂浄化や特別祈願をしたいときに、生命札(身代わり札)を教団内部の聖神之池に流す。生命札には使命が書かれるが、これによって悪因縁を切ったり、低級霊を除去できると信じられている。これらは流し雛や禊祓と同じ発想で単なる気休めに過ぎない。また生命橋ができる以前はどうすれば悪因縁を切ることができたのか。結局橋から札を流して、信者に有り難がらせる演出をしているに過ぎない。

(諸宗破折ガイドより)霊波之光教会を破す
3/17/2018

【創立】 昭和三二年九月二三日
【創始者】 波瀬善雄
【現後継者】 波瀬敬詞
【信仰の対象】 大宇宙神の分神(教祖)
【教典】 御書(波瀬善雄の言行録)
【本部】 千葉県野田市山崎二六八三-一
【信者数】 七六一,一七五人
【名称の変遷】 霊波之光鑚仰会(昭和三一年)霊波之光教会(昭和三二年)

【沿革】
霊波之光(れいはのひかり)教会は、大宇宙神の分神を自称する波瀬(はせ)善雄が「霊波による病気治し」を揚げ、創設した教団である。
長谷義雄は大正四年(一九一五年)七月二日、東京葛飾金町で農業を営む長谷家の長男として生まれた。
義雄は、昭和一一年(一九三六年)一月、二十歳のときに軍隊に入り兵役を務めた。昭和一二年(一九三七年)、日中戦争の勃発により、機械化部隊として中国大陸に渡ったが、まもなく結核にかかり、広島に送還された。義雄は腹膜炎を併発し、陸軍病院や療養所で治療したが一向に回復しなかった。このため義雄は療養所を自己退所して実家に帰った。
義雄は実家で療養を続けたが、苦悩は少しも和らぐことはなく、往診の医師から「長くもっても一ヵ月」と宣告された。昭和一四年(一九三九年)六月八日、義雄は母たちの制止を振り切り、神仏に救いを求めて四国に渡った。
義雄は香川県さぬき市の五剣山(ごけんざん)中の小さな堂で三週間にわたる座禅を行い、その後山頂に登り極限状態に陥った。このとき「なんじ生きよ、なんじは神の使いなるぞ、なんじ、神の道を行け」との声を聞き、たちまち病気が平癒したという。
その後、義雄は一〇数年の間、自らの身に奇跡を起こした神を求め、苦行を重ねながら全国の山々を渡り歩いた。大隅半島の寺で座禅をしているときに「妻をめとれ」との声を聞いて久江(御内室様と教団では称する)と結婚し、昭和二三年(一九四八年)七月二八日には長男敬詞が生まれた。
昭和二九年(一九五四年)三月七日、五剣山で苦行を行っていた義雄は、光(霊波)が体内に吸い込まれるという神秘体験をし、自ら大宇宙神の分神であると悟ったという。このとき大宇宙神から神と人間をつなぐ使命を託され、以来、身体から治療効果のある霊波を放射するようになったとしている。
昭和三一年(一九五六年)義雄のもとに集まった信者たちによって千葉県松戸市馬橋に霊波之光鑚仰会が発足し、翌年には同地内に仮本山を作り、霊波之光教会と改称して宗教法人の認証を得た。更に昭和四四年(一九六九年)、野田市に土地を取得し、礼拝堂、聖神殿、生命橋、玉碑などの本部施設を建設して、新本山とした。礼拝堂の正面祭壇には、地球儀に乗った義雄の像が安置されている。また昭和五〇年(一九七五年)には、城郭の天守閣を模した教主の公邸「天使閣」を建設した。
義雄は昭和五九年(一九八四年)三月一九日に六八歳で没し、その四ヶ月後、長男の敬詞(たかひと)が「霊波継承の儀」を執り行い、第2代に就任した。なお第3代には敬詞の長男敬仁が既に内定している。
翌昭和六〇年(一九八五年)には新本山内に総教司令本部、平成九年(一九九七年)には各種イベントを行うRHKホールを建設している。
教団は千葉県野田市の本部の他に、札幌・仙台・郡山・横浜・明石・高知・北九州・沖縄に支部を、旭川・釧路・新潟・長野・静岡・名古屋・松山には礼拝所を設けている。

【教義の概要】
信仰の対象は、「祈り」と書かれた地球儀の上に立つ義雄の偶像である。
教団では、大宇宙神から啓示を受け霊能を授けられた義雄を「御守護神様」と称し、大宇宙神の分神・使者として全人類を救うといっている。
信者の家庭には「御神体御札(おふだ)」が神棚に祀られている。この御札は義雄の身体から出る大宇宙神からの霊波によって魂入れをしたとされるものである。信者は教団に入信することにより、教祖や二代目とつながり、大宇宙神からの霊波が送られるという。
教典は、教祖義雄の言葉をまとめた「御書」と称するものである。この書について、教団では「義雄が宇宙の真理と人間が生きるべき道を説き、人類の幸せと世界平和を実現するための教えを網羅したもの」(趣意)と説明している。
教団は「人類救済・世界平和実現」を設立目的とし、「すべての人々が心を浄化するとともに、暖かい心を持ち真の平和な社会を築くために、大宇宙神と霊波のつながりを持たねばならない」と主張している。
また義雄は身体から出る大宇宙神からの霊波を使って札や酒に魂入れを行い、信者たちはその御札や御神酒(ごじんしゅ)を受けることによって救われるとされる。
義雄は生前の汚れによって迷っている多くの人々の霊魂が生きている人に病気などの不幸をもたらすと説いている。従って、病気などの災難から逃れるためには、死者の霊魂を浄化しなければならないとして、先祖や亡者の浄霊祈願を行っている。教団では毎年六月八日の御聖旅祭(ごせいりょさい)(教祖が神への道を求めてはじめて旅に出た日を記念する)のときには、この浄霊祈願を無料で行っているという。具体的には「浄霊祈願御札」を本部内にある生命橋から聖神之池に流し、その後、生命橋から「天使閣」に向かって巡拝するという形式である。
これ以外の浄霊祈願は信者個々の願いに応じ、特別祈願として有料で行っている。この特別祈願は、本人の霊魂の浄化を目的とするもので、祈願札に祈願内容を記し、2週間かけて行うものである。まず初日に聖神殿御祈願所で祈願を行ったのち、霊波を注いだ御神酒を脳天と首筋につけ、次に「生命札」が与えられ、信者はその札に身代わりの意味を込めて病苦を移し、生命橋から聖神之池(せいしんのいけ)に流すのである。この後、2週間分の祈願札が与えられ、信者はそれを家庭の御神体御札の脇に2週間祀って祈るという。
とりわけ信者は、何事も、素直な気持ちで守護神である義雄にすがり、幸福を願うことによって、全ての悩み・苦しみから救われるとされる。
また、信者たちは種々の祈りを行う際に、義雄が作った「誓訓」等(開きの詞・大要)の文や「御守護神様、二代様、我等人類救済の道へ歩ませ給へ」との唱え言葉を読むことになっている。
信者は本部での行事に参加するほかに、班単位・組単位で集まって連帯活動をし、病人や怪我人のために祈りを行う。これは当初「和の祈り」と称され、その後「結合の祈り」、更には「信者のための祈り」と呼ばれるようになった。集会で行われる体験発表では、治病や救いの経過を再現し報告している。このほか、教団本部では、毎日体験談やそれをドラマ化した「体験シリーズ」と称するビデオを放映し、宣伝活動を行っている。

【破折の要点】

■安易な奇跡を売り物にした教団
「溺れる者は藁をもつかむ」というが、まさにこの教団は、病気という人の弱みに付け込み、教線を拡大しようとしている詐欺的な集団である。
病気治しの方法は、当初は密教的な九字を切るというものであったが、いつの間にか長谷義雄自身の霊波(光)によって治癒するというようになった。病気なおしという、教団の中心的な儀礼を簡単に変えることに象徴されるように、教団の教義や主張は一貫性がなく場当たり的である。
この教団は教義らしい教義もなく、「ただ御守護神様におすがりすればどんな病気も治る」と安直に奇跡を売り物にしているが、その因果関係は明らかではない。

■教祖は悩み多き一人の凡夫に過ぎない
義雄は、当初、神仏に救いを求めて四国の五剣山で座禅を行っている。そもそも小堂で仏教の座禅を組み、その後、神から天啓を受けたなどということ自体、神仏に対する概念が混乱している。
また教団では大宇宙神を根本としているはずなのに、「礼拝堂」には地球儀の上に立った教主像が祀られており、悩み多き長谷義雄という人間を拝む宗教となっている。義雄自身が心臓発作で急死しているように、所詮、自分の身の上にさえ奇跡の力を示すことができなかった凡人である。その者にすがりつき必死に拝むことは愚かな行為というべきである。

■教祖の天啓と世襲制の矛盾
教団世襲により義雄の長男敬詞が二代目となり、三代目も敬詞の長男である敬仁に内定しているという。教団内で語られるように、義雄が病の中各地の霊山を修行して歩き、やっと悟りを開いたとするならば、二代目・三代目は一体どのような修行をしたというのか。代々の教主を守護神義雄が見守っているというが、それは裏を返せば、身内と信者を分け隔て、信者を見守っていないことを表明したものにほかならない。所詮、義雄の教えは、身内にしか特殊な能力を認めないものであり、偏狭で不条理極まりないものである。

■「義雄が神と人間をつなぐ媒介者である」という邪義
神はエネルギーであり直接人間に働きかけられないため、そこに神と人間をつなぐ媒介者が必要となり、それを通して働く神通力が霊波であり、その媒介者が教主波瀬(長谷)であるとされている。教団では「人類の親たる宇宙神から霊波を受けるには媒介者がいなければ受けられない」というが、それでは長谷義雄以前の媒介者は誰だったのか。それまで長谷義雄以前の人類は理罪に苦しんでいたということは、それまで、大宇宙神は人類を救おうとしなかったことになり、無慈悲といわなければならない。人々が理罪を受けることは大宇宙神の罪というべきであり、このような神が本当に人類を救えるのだろうか。

■期限付きの御札
信者は各家の神棚に祀る「御神体御札」を通して代々の教主につながり、守護神からの霊波が送られるとするが、これは御札を買わせるための理由づけに過ぎない。御札の有効期限が一年間であるというのは、単なる信者に買い換えをさせるための口実である。また、この御札を受け、素直な気持ちで信じれば悩みや苦しみから救われるといい、更に死者や信者本人の浄霊祈願と称して御札を買わせる教団の意図は明白といえる。所詮、御札の有効期限が一年間であるというのは、御神体なるものが、脱臭剤や乾電池と同次元のものというべきである。

■「浄霊祈願御札」や「生命札」は単なる演出である。
信者たちは先祖の霊魂浄化や特別祈願をしたいときに、生命札(身代わり札)を教団内部の聖神之池に流す。生命札には使命が書かれるが、これによって悪因縁を切ったり、低級霊を除去できると信じられている。これらは流し雛や禊祓と同じ発想で単なる気休めに過ぎない。また生命橋ができる以前はどうすれば悪因縁を切ることができたのか。結局橋から札を流して、信者に有り難がらせる演出をしているに過ぎない。

(諸宗破折ガイドより)

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