顕正新聞に掲載された三月度総幹部会での会長・浅井昭衛の指導には、
「遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る」「遥拝勤行こそ宗門濁悪の時に適った信行」「広告文で日蓮大聖人の大恩徳知らしめん」(顕正新聞令和五年四月五日付)
と、いつもながらの大見出しが踊っている。
これらの浅井の指導は、ここ数年繰り返し行われているもので、顕正会設立以来の主張の一つであった「正本堂批判」が意味をなさなくなった現在では、数少ない活動の基本方針の一つとなっているようだ。
顕正会の言う「遥拝勤行」「広告文」については、これまでも散々破折されてきているが、ここで改めて矛盾や錯誤を指摘し、浅井の指導がいかに欺瞞に満ちているかを見ていこう。
本尊下付と遥拝勤行の矛盾
浅井は「遥拝勤行」の根拠として、『千日尼御前御返事』の、
「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり。(中略)御面を見てはなにかせん。 心こそ大切に候へ」(御書 一二九〇)
の文を挙げる。
しかし、当文は老齢の夫阿仏房を身延の大聖人の元へ送り出した千日尼の信心を称賛されたものであり、けっして顕正会の言う「遥拝勤行」の意義を示したものなどではない。
そもそも阿仏房夫妻は、この時点で大聖人から御本尊を賜っており、日々御本尊を直接拝していたのである。よって前掲御書は、あくまで夫の留守を護る状況と、老齢であることなどを加味した、千日尼への賛辞である。病によって参詣が疎かになっていた南条時光に対して、
「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし」(同一五六九)
と仰せのように、信仰の基本として登山参詣が存することは明らかではないか。
また、浅井は「遥拝勤行」に重要な意義があるかのように指導する一方、日蓮正宗の元僧侶から託されたと称する、総本山の認可がない御本尊を会館に勝手に安置し、さらには偽造疑感のある出処不明の本尊を各地の会館や自宅拠点などに配布する始末である。
一刻も早く御歴代上人御書写の御本尊を総本山大石守に返納し、疑惑の本尊下付もやめ、「時に適った信行」とする「遥拝勤行」を徹底すればよかろう。
このような浅井の自語相違、矛盾した指導は、日蓮正宗から破門され、 御開扉内拝も御本尊下付も許されないことによる、苦し紛れのものなのだ。
また、指導の中で浅井は、「広告文の大事」「広告文こそ、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教えて
目を開かせる『開目のメス』」(顕正新聞令和五年四月五日付)
などとも発言している。
チラシを配って広宣流布?
何やら大層な物言いだが、その正体は、平成二十八年頃に夕刊紙などに出稿した浅井著『基礎教学書日蓮大聖人』の広告をカラーコピーしたものである。
いわばチラシ、ビラといった類のもので、これを八千万部も刷ったらしい。駅前で顕正会員がせっせと配布している様を見ことがある人も多いのではないだろうか。しかも今回、このチラシを新しくするそうで、紙資源の無駄遣いも指摘せねばなるまい。
このチラシを見た人は、やがて全員が入信する」(同)
と浅井は言うが、すでに八千万枚も刷っていながら、顕正会員が激増している話など聞いたことがない。たかが浅井の著書の宣伝に「開目のメス」なる力などないことは自明である。
御書も大御本尊も拝せぬ罪障
浅井は、
「広告文には三つの現証を以て、大聖人様の大恩徳が示されております」(同)
と述べているが、顕正会の現状にこそ、大謗法による罪報が明らかである。
すなわち、「遥拝勤行」にすがるしかない現状は、大御本尊を永久に拝せない現罰であり、「広告文」に頼るしかない状況は、御書を拝せない現証である。
顕正会会員には、一刻も早くこの現実に気づき、顕正会を脱会して大御本尊に帰依することを祈る。
(大白法令和5年6月1日号より転載)