創価学会
6/1/2017
相も変わらず創価学会では、池田大作を顕彰する報道が続いている。
列挙すれば、国家勲章が二十八、名誉市民が六百六十、名誉博士・名誉教授が三百六十九にのぼり(本年三月現在)
、これを人類史に残る空前絶後の壮挙と打ち上げる。
さらに最近は、いずれ訪れるXデーを睨(にら)んでか、大作を偉人化する流れが加速している。
世界各地で開催したとされる「ガンジー・キング・イケダ展」もその一例だ。
どうやら学会は、大作をガンジーやキング牧師に並ぶ歴史的人物に祭り上げたいらしいが、そこには謗法厳誡の精神など微塵(みじん)もない。あるのは大作に対する異常なまでの礼賛(らいさん)である。
また過日、学会系出版社から刊行された書籍に次のようにある。
「池田氏は悟りを得たという点では仏であるが、すべての衆生を救うためにわれわれの世界にとどまっている菩薩なのである」(創価学会を語る 一五一㌻)
どうか学会員には、日蓮大聖人の、
「名聞名利(みょうもんみょうり)は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだしなり。嗚呼(ああ)、恥ずべし(中略)恐るべし」(御書 四〇二㌻)
との厳誡を拝し、名誉を貪(むさぼ)り、信奉者に”仏”などと語らせる増上慢の大作が、実は”仏”とは正反対の
俗物であることに気づいてもらいたい。
大聖人と無関係な”池田思想”
近頃の創価学会のサイトでは「宗教と文明を超えて人間主義の”池田研究”が進むなどの見出しが躍(おど)る。
要するに学会は ”池田思想”を世界に垂(た)れ流す邪教団に変質したのだ。
妙楽大師は、
「即ち在家を以て仏法を破壊す(中略)正教を偸窃(ちゅうせつ)して邪典を助添す」(摩訶止観弘決会本中ー五二九㌻)
と外道(げどう)の推尊入卑(さいそんにゅうひ)の姿を指弾している。突き詰めれば、”池田思想”とは、己(おのれ)の都合で大聖人の仏法を利用し、本宗の教義を盗んで立てた外道義である。
洗脳された学会員は、決まって「創価学会が世界に広宣流布した。だから学会が正しい」と言う。しかし、大聖人は、
「汝只正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ」(御書 四〇二㌻)
と仰せられ、また総本山第六十六世日達上人は、
「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」
(大日蓮 三四二号)
と御指南だ、日蓮正宗の正法正義を世に流布することが尊いのであって、”池田思想”なる外道義がどれだけ世に弘まっても、断じて大聖人の御意には適(かな)わないのである。
本来の使命を捨てた学会
総本山第二十六世日寛上人が、
「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に、根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄 六八㌻)
と仰せのように、本門戒壇の大御本尊こそが正法広布の根源である。そして大聖人が、
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書 一六七五㌻)
と御遺命のように、広布の事相を顕現させて、大御本尊安置の堂宇(どうう)を建立するのが仏弟子の使命なのだ。
故に大御本尊への信仰と御遺命を放棄した学会に、広宣流布を語る資格など毛頭ない。むしろ学会が、”池田思想”を流布するほどに、世界中で三災七難が興起することを知るべきだ。
かつて戸田城聖第二代会長は学会の使命について、
「学会は日蓮正宗の御本尊様の御もとに案内するための集まり、決して信仰を自分の金もうけや都合に利用してはならない。仏罰の恐ろしさを知れば、そんなことは決してできない。学会は名誉・金もうけ・寄付をもらうために動いてはならない(趣意)」
(戸田城聖全集 三ー三九八㌻)
と述べた。本来の使命を忘れ、悪逆の限りを尽くす今日の姿を、戸田会長もさぞ嘆いていることであろう。
今こそ我々は、大御本尊への”絶対信”という利剣をもって、堂々と学会の謗法を打ち破っていこうではないか。
(大白法 第九五八号 平成二十九年六月一日)