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観念文を改変ー正信会

諸宗教破折

 異流義の者たちは御本仏日蓮大聖人が定められた唯授一人の血脈に背くという根本の過ちを犯すことによって、その他のすべてに狂いを生じ、多くの会員を道連れにして不幸のどん底に陥ってしまっている。
 今回、採り上げる観念文の改変も、その一例であろう。
 さて、宗教法人正信会の機関紙である『妙風』を見ていると、『三大秘法抄』や『二箇相承』を、
「後世に作成された偽書」(妙風 九五号)
と妄断している様子から、すっかり日蓮正宗とは異なる独自の宗派であることが判る。
 結局、自教団の存続に不都合な、相伝仏法の大事を蔑ろにしなければならない実情が存するからであ
り、その邪念の一端は観念文にも現われ始めている。
戒壇」の二字を観念文から削除
 ある正信会寺院では、
「これまで朝夕の勤行に用いてきた勤行要典の『観念文』を検証し改め『富士日興門流勤行要典』を作成」(同 一一六ページ)し。二座の観念文から「久遠元初」や「戒壇」等の重要な語を削除した。
 まるでどこかの大謗法団体と足並みをそろえているかのように思うのは筆者だけであろうか。
 以前、ある正信会僧侶は、日蓮正宗から破門となった後の創価学会について、
「日蓮正宗そのものを創価学会は捨てました。学会の経本の観念文からは戒壇の御本尊が消えまし
た (中略) 初めから一貫して捨てないでいるのは誰でしょう。私達正信会員です」(正信会報 149号)
と自賛したが、血脈法水から離れた歳月とは実に空しいものではないか。
 何しろ二世僧侶が多くなってきた会内では、
「大石寺での在勤を経験していない正信会僧侶には化儀についての疑問が多数存在しているのも事
実」(妙風 一三六号)
と開き直って憚らない有り様だから、化儀改変の流れは、もう歯止めが効きそうにない。
 今後も我見を雑えて様々なことに迷い、間違いを犯していくことであろう。
 また、もう一方の任意団体正信会の機関紙にも、
「記念品のお経本は初座の観念文に『天照太神・ 正八幡大菩薩』を追加した 」(継命 九八一号)
とある。各団体でそれぞれの僧侶のもと、寺院ごとに裁量を持ち、思い思いに独自性をいかんなく発揮しているところは、互いに言い争いながらも、全く瓜二つではないか。
糸の切れた凧
 かつて正信会初代議長の藤川法融は、
「自ら如何に正しいと云ってみても、宗門との違いをはっきりさせて、独自性を謳えば謳うほどに、宗門から見ればそれはますます以て異流義にすぎなくなる。
 自らも知らぬ内に日蓮正宗の法義からはなれて行き、正信会の根本理念とはうらはらに、宇宙遊泳を始めて永久に宗門に帰一できない結果となりかねないと考えるのである。そうなっては、如何に悔ゆるとも取り返しはつかないと、憂慮するのである。現在も将来も正信会が日蓮正宗から遊離してしまっていい理由はどこにもないと思う」(正信会報 八〇号)
と、従前から会内に漂う不穏な空気を察していたかのように、正信会の行く末を懸念していた。
 その心配は的中し、大御本尊への信仰、血脈法水への尊信を捨てた彼らは、会内が四分五裂して無明の闇をさまよい続けている。
 大聖人は『四菩薩造立抄』に、
「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。 つたなしつたなし」(御書 一三七〇ページ)
と、御本仏日蓮大聖人の教法に対して勝手に誤って考える人の咎は、自他ともに無間地獄に堕ちてしまうほど、まことに重いことを御指南である。
 私たち日蓮正宗の僧俗は、元僧侶も含め、 正信会に属する一人ひとりに対し、一刻も早く、戒壇の大
御本尊と唯授一人の血脈への信仰を取り戻すよう、教化善導していかなければならない。
(大白法令和7年3月1日号より転載)

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