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正統門家に帰すべし

諸宗教破折

最近の顕正会は、「御法主上人への諌訴」と題した顕正新聞を携え、日蓮正宗の寺院や信徒宅へ押しか
け、一方的にまくし立てている。
 その見出しは「御遺命たる国立戒壇の宣示」と「不敬の御開扉中止と免震の建物建設」の二点。未だ、故浅井昭衛のばかげた主張を継続している模様だ。
国立戒壇=御遺命は妄想
 現会長の城衛は、
「国立戒壇こそ日蓮大聖人一期の御遺命であり、宗門ならびに学会も国立戒壇だけを目的としてきた」(顕正新聞 令和七年三月五日付)
と言うが、大聖人、日興上人以下の御歴代上人に〝国立戒壇を建てよ”との仰せはない。
 もしもそれが御遺命ならば、多くの御歴代上人の御教示にあるはずである。
 しかし、それが全くないという事実は、大聖人の仏法に顕正会のいう”国立壇〟なる教義も精神も一切
存在しないということだ。
 顕正会は、宗門でも総本山第五十九世日亨上人・第六十四世日昇上人·第六十五世日淳上人・第六十六世日達上人が国立戒壇の名称を使用されたことを指摘するが、それは当時の宗教界や社会情勢のなで、便宜上用いられただけである。
 いっとき、宗門で用いられた用語であっても、その当事者の御一人である日達上人が、のちに、
「日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。
(中略)今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」(大日蓮二九二号)
と改められたのであるから、御指南に随順するのが仏法の道理。以降、日顕上人・日如上人以下、我ら僧俗は御指南に随っているのである。
 半世紀前、浅井一党のみが”今後は使用しない”の言を〝御遺命を捨てた”にすり替え、以後、多くの会
員を誑かし続けてきたのである。
御開扉は不敬ではない
 正本堂解体時、顕正会は突如として、
「不敬の御開扉は直ちに中止せよ」(顕正新聞平成十二年三月五日付)
等と御開扉の中止を騒ぎ立てた。
 それまで妙信講時代から何度も登山し、御開扉を願い出て、
「御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではない」(試練と忍従の歴史 30ページ)
等と発言してきたのにどの口がそういうように言わせるのだろうか。
 右の引文に言うように、御法主上人の御慈悲により本門戒壇の大御本尊の御開扉内拝が許されるのである。「不敬の御開扉」などと言う前に、我が身の不徳を思うべきであろう。何より宗門誹謗を繰り返す顕正会こそ、不敬の極みだ。
 また、「免震の建物に建て替えよ」と注文するが、奉安堂は充分な耐震性を具えた堅牢な設計なのでご心配なく。
 もとより、門外漢にとやかく言われる筋合いはない。
 ともあれ、顕正会はこれまでの悪行を懺悔し、正嫡宗門に帰依しないかぎり、大御本尊を内拝できる
日は未来永劫やってこないと知るべきである。
信仰の根源を知れ
 大謗法の顕正会。そのすべての原因は、浅井一党が唯授一人血脈の深義を拝せなかったところにある。
 大聖人の仏法の根源は大御本尊と唯受一人の血脈法水に存する。
ゆえに一方を信じて、、もう一方を信じないということはありえない。片方を信じられないの
は、根源の信心が間違っている証左である。
 第二祖日興上人は、
「師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども無間地獄に堕ち候なり」(日蓮正宗聖典 七〇二)
と仰せである。
 今こそ我ら法華講員は、一人でも多くの顕正会員を堕地獄の業因から救っていかなければならない。
(大白法令和7年6月1日号より転載)