顕正会の浅井昭衛は、会員に御書を見せないし持たせない。その理由は、浅井にとって都合が悪いからである。
日蓮大聖人の御言葉であるかのように浅井が吹聴してきたことが、御書を拝せば一目瞭然で、実は御書にないと露見してしまう。
そうなれば、顕正会の存在そのものが根底から揺らぐことになるのだ。
大聖人の仰せにない文言の代表格が「国立戒壇」である。
「国立戒壇」は存在しない!
国立戒壇は、明治時代、国家主義の盛んな時代背景に乗じて、国粋主義者であった国柱会の田中智学が言い出したものである。
顕正会の主張はその受け売りだ。つまり国立戒壇は、仏教の国家主義化をめざしていた者の創唱にして、大聖人の仏法を推尊入卑せしめた邪宗の者の言である。よって、今日、その語を使用すべきでないことは自明である。
冒頭で述べたように「国立戒壇」の名称は御書に存在しない。四百有余編の御遺文中、どこにも見当たらないのである。
ところで「国立」の意味は、辞書に「国が直接に管理運営する(国営)施設に冠される名称」「国家が設
立・維持・管理すること」等とある。
そうであれば、大聖人御遺命の戒壇の建立と維持管理を、国家に任せること自体、おかしいではないか。
そもそも大聖人の仏法は、世法における「国立」とは次元が異なる。それ故「国立」の語を使うことは、戒壇の意義について多くの誤解をあたえることにもなる。
そうした意味からも、広宣流布の暁に建立される戒壇を「国立戒壇」と呼ぶことが妥当でないことは、明白なのである。
御指南に逆らった不徳
浅井昭衛最大の咎は、時の御法主上人猊下の御指南に従わなかったことである。
たしかに国立戒壇の語は、本宗においても、明治時代に便宜上、用いられたことがあった。しかし、宗門古来の法義にない「国立戒壇」の名称を一切、使用しなくなったのである。
その経緯は、
「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」(大日蓮二九二号)
との、日達上人の御言葉にすべて明らかである。
重ねて言うが、顕正会のそもそもの誤りは、日達上人に制止されたにもかかわらず、仰せに従うことなく、返って反旗を翻したところに存する。
五十年前、浅井は、
「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(日蓮正宗聖典 四九二)
と、『御本尊七箇之相承』に御指南の「代々の聖人」すなわち、血脈付法の御法主上人に逆らったのである。
もとより、本門事の戒壇については、広宣流布の時至って、時の御法主上人が血脈の上から御指南あそばされると拝すのが本義であり、それ以外の者が軽々に口を挟むべきものではないのである。また、どんなに時代が遷ろうとも、逆らった者の言葉に道理はない。戒壇の意義も広宣流布も、ただ本宗にのみあり。顕正会には微塵もない。よって、浅井の言う「国立戒壇」は永遠に存在しえないのである。
浅井顕正会に功徳なし
大聖人は、禅宗の人の悪義を挙げて、
「文字に執する者は株を守る愚人なり」(御書一五八ページ)
と仰せであるが、浅井は株を守る愚人よろしく五十年来、国立戒壇の語に執われるという己義を通すために、会員を謀り、会員の人生を破壊し続けている。
浅井は大聖人の仏法の理解が全くない。 そもそも信心がない。だから当然、功徳もない守文の徒である。
理解なし・信心なし・功徳なし。三拍子そろった顕正会に、未来はない。
我々は、彼らの言う「国立戒壇」の謬義を粉砕し、一日も早く、すべての会員が顕正会を脱し、本門戒壇の大御本尊の功徳に浴することができるよう、折伏に精進していこう。
(大白法 令和5年8月1日号より転載)