創価学会
7/14/2017
俗衆増上慢(ぞくしゅうぞうじょうまん)の姿
法華経『勧持品第十三』には三類の強敵(ごうてき)が説かれており、その中の俗衆増上慢の姿について、
「諸の無智の人の 悪口罵詈(あっくめり)し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者有らん 我等皆当(まさ)に忍ぶべし」
(法華経 三七五㌻)
と示されている。
かつて、前御法主日顕上人猊下は、この俗衆増上慢の「無智」について、
「この無智の者ということは、すなわち自分の考えで正しく物事を判断することのできない者をいうのであります。人から
言われ、組織から教えられれば、それがいかなる間違った事でも、それを見抜くことができずに盲従し、そして正しく法を護る者をあくまで憎み謗(そし)るという姿が、法華経にはっきりと予証されておる次第であります。」(大白法 三七八号)
と御指南された。
まさに創価学会の末端会員の姿ではないか。
以前は総本山大石寺を渇仰恋慕(かつごうれんぼ)して登山参詣していたのに、組織挙(あ)げての宗門攻撃が始まるや、真実を見抜けずに悪宣伝を信じ込み、自らも誹謗中傷の罪過を重ねた。
今一度、総本山に参詣すれば、創価学会の虚偽など一目瞭然であるのに、自ら確かめもせずに悪口雑言(ぞうごん)を繰り返す様は、
「自分の考えで正しく物事を判断することのできない者」
の典型である。
潜聖(せんしょう)増上慢の呪縛
特に、創価学会が、本門戒壇の大御本尊への信仰を否定したことに、何の違和感を抱かぬ者は「無智」の極みと言うべきであろう。信仰の根幹、広宣流布の主体をすり替えられてしまったのに、自分では判断できず振り回されているのだから、まことに哀れであるが、哀れと同情されて済まないのだ。
無智のの末端会員を振り回す学会組織にあって、最も許さざるは、これらを領導する首魁(しゅかい)の池田大作である。
『勧持品』には、潜聖(せんしょう)増上慢の姿も説かれるが、
「利養に貪著(とんじゃく)するが故に、白衣(びゃくえ)の与(ため)に法を説いて、世に恭敬(くぎょう)せらるること、六通の羅漢
の如くならん」(法華経 三七六㌻)
の経文は、まさに大作そのもの。名誉博士や名誉市民、勲章その他をせがみ、「世に恭敬」されたいと漁(あさ)り続ける姿は、現代版潜聖増上慢である。加えて、
「是の人悪心を懐(いだ)き 常に世俗の事を念(おも)い」(同)
「常に大衆(だいしゅう)の中に存(あ)って我等を謗(そし)らんと欲する」(同)
などの説示も、正(まさ)しく大作の所業を指していよう。
民衆仏法だの人間主義だの、もっともらしいことを言うが、それは世俗に媚(こ)びを売る浅ましい性根(しょうね)による。
この潜聖増上慢の呪縛が、末端会員に大謗法を犯させる元凶である。
第六天魔王の鉄鎖(てっさ)を断て
その大作、ここ数年は健康問題が取り沙汰(ざた)されていて、現今の姿が報道されないことからも、深刻な状況であると推測できる。
これは末端会員にとって、徐々に仏道修行を妨げる第六天魔王の鉄鎖が弱まり、潜聖増上慢の呪縛から解き放たれつつあるということである。
ならば、今こそ学会員を救う好機到来ではないか。
事実、ここにきて脱会者が増えている。
御法主日如上人猊下は、
「一切衆生には皆、仏性が具わっておりまして、正法を聞き、発心・修行することによって成仏できるのであります。
末法今時(こんじ)においては順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても本因下種の妙法を聞かせることによって、正法と縁を結び、必ず救済することができるのであります」(大白法 九五四号)
と御指南である。
いかに罪業が深いとはいえども、正信に目覚めて正しく御本尊を信仰するならば、学会員も必ずや成仏の道への繋(つな)がる。その道筋を指し示すことが、我らの使命である。
本年「折伏育成の年」も後半期に入り、誓願貫徹への信行も真っ盛りである。
その中にあって、一人でも多くの学会員に「無智」の意味を教え、広宣流布の根源たる大御本尊へと導こうではないか。
(大白法 第九六0号 平成二十九年七月一日)