「正とは一に止(とど)まる」という言葉がありますが、真実の正しい教法が二つも三つもあるわけがありません。これについて釈尊は法華経において、
「十方佛土(じっぽうぶつど)の中には、唯(ただ)一乗の法のみ有り、二無く亦(また)三無し」(方便品第二・開結110頁)
と説き、日蓮大聖人は、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事・御書1219頁)
と仰せられています。
日蓮正宗がもっとも正しい宗旨である理由は、法華経の予証(よしょう)どおりに末法に出現された御本仏・日蓮大聖人の教えを、七百年間にわたって現在まで清浄に誤りなく受けついできた唯一の教団であるから、といえましょう。
鎌倉時代に出現された日蓮大聖人は、末法万年にわたって人々を苦悩の闇から救済するために、数々の大難に遭(あ)いながら、南無妙法蓮華経を説き顕(あら)わされました。
そして南無妙法蓮華経の法体(ほったい)として、一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ=全世界のすべての人々に与えるという意味)の大曼荼羅(だいまんだら)御本尊を図顕建立(ずけんこんりゅう)されたのです。この御本尊は日蓮大聖人の当体でもあり、久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうしん)という宇宙法界の根本真理の当体でもあります。
日蓮大聖人は、
「抑(そもそも)当世の人々何(いず)れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず」(教行証御書・御書1110頁)
と、日蓮大聖人ただ一人が末法の仏として仏勅(ぶっちょく)によって出現され、三大秘法の大法を広めることを明かされています。
三大秘法とは本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇(かいだん)をいいますが、本門の題目とは大聖人が建立(こんりゅう)遊ばされた一閻浮提総与の大御本尊(本門の本尊)に向かって唱える題目のことであり、本門の戒壇とは、この大御本尊が安置され、しかも一切の人々が修行する場所をいいます。
したがって三大秘法のなかには「本門の本尊」が中心であり、本門の本尊なくしては題目も戒壇も存在しないのです。このゆえに本門の本尊を「三大秘法総在(さんだいひほうそうざい)の御本尊」とも尊称します。
日蓮大聖人は入滅に先立って、門弟のなかから日興上人を選んで、本門戒壇の大御本尊をはじめとする法門のすべてを相承(そうじょう)し付嘱(ふぞく)されました。
日蓮大聖人の精神と法義を固く守られた日興上人は、時あたかも地頭の不法によって謗法(ほうぼう=正しい仏法に背くこと)の地になりつつあった身延の地を去る決意を去れ、大聖人が生前より、
「霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋(たず)ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ」(三大秘法禀承事・御書1595頁)
「国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(身延相承書・御書1022頁)
と遺命(ゆいめい)されていたとおり、日本第一の名山富士山の麓(ふもと)に一切の重宝を捧持(ぼうじ)して弟子たちと共に移られ、そこに大石寺を建立されたのです。
その後、日蓮大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人(ほっすしょうにん)によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです。この間の宗門史は、また正法厳護のための尊い苦難の歴史でもありました。
いま私たちが総本山大石寺に参詣し、一閻浮提総与の大御本尊を拝するとき、
「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色(こんじき)となるなり」(本尊供養御書・御書1054頁)
の金言どおり、私たちの生命の奥底は仏の威光(いこう)に照らされて金色に輝き、即身成仏の姿になっているのです。
現在、国の内外を問わず、大御本尊の広大な功徳(くどく)によって苦悩を希望に転じ、福徳に満ちて信心に励む多くの人々の姿が、日蓮正宗の正しさを物語っているといえましょう