霊輙の報恩

仏教説話

霊輙の報恩

晋の霊公のすることが道理に外れているので、趙盾(ちょうじゅん)が諌めたところ、霊公はそれが気に入らず、趙盾に酒を飲ませ、武装した兵に待ち伏せをさせて殺そうとしたが、ある人が、そのことを趙盾に知らせたので、急いで車に乗って逃げようとした。

 霊公は逃がさないとの用意から、あらかじめ車の一輪を外しておいた。急難に襲われ逃れる術もなかったが、霊輙という者が車の一輪の軸を臂をもって受け、すばやく車を走らせて、ことなきを得た。

 この人はどういう人かというと、趙盾が、かつて首山に狩りに出かけた時、そこの桑の木の茂った所に病に伏して三日、食を採っていない者がいたので哀れに思い、飯(めし)を食べさせた。

 のちにこの病人が霊公の侍臣となり、趙盾の恩を報じようと、戟(ほこ)をもって辺りを払い、霊公の兵を撃って逃がしてくれた。

 趙盾が喜びのまま名を尋ねると、

「翳桑(えいそう=よく茂った葉陰の多い桑の木)の餓人なり」

と答えて、名を言わずに立ち去って行った。

 これは『左伝』や『太平記鈔』に説かれていて、日寛上人は知恩・報恩の例として引かれたのである。

(歴代法主全書八巻)

(高橋粛道)