池田大作著 『広布と人生を語る』

創価学会

池田大作著 『広布と人生を語る』第一巻(昭和57年11月17日) 49頁
私は御書が好きである。
私はこの御文を思索しながら、常に、生涯にわたって、わが愛する同志とともに、仏法の師であられる御法主日顕上人猊下の御許に、力強き前進をしたいと念じている。
————————
池田大作著 『広布と人生を語る』第三巻(昭和57年11月18日) 249頁

ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。
その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四祖日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。
————————————-

池田大作著 『広布と人生を語る』第三巻(昭和57年11月18日) 143-144頁

日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると叱咤しておきながら、いまは手のひらをかえして、みずからがその根本を破壊しているのである。
言語道断もはなはだしい。私どもは変わらざる信心できたし、これからも変わらざる信心でいくのである。
———————————————–
さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。
 大聖人は『一代聖教大意』
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書九二頁)
と申されております。また日寛上人は「口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな」と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります。

 (『大日蓮』昭和五十三年九月号)
——————————
 「御抄を心肝に染め極理を師伝」すべきことは、二祖日興上人の御遺訓である。仏法を学び、大聖人の御書をよく拝することはできても、極理を師伝しなければ、とかく異義を構え異説に走りやすいので、大いに心に戒めなければならない。
(『蓮華』昭和五十一年一月号)
————————–

『曾谷殿御返事』に、
 「是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。」 (御書一〇三九頁)
 これは誰でもよく引用する御文であります。その解釈に、「総とは一往は血脈相承なり。再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。
(中略)
 総別二義の意義ということは、そんなところに持っていくもんじゃない。「一往」だとか「再往」だとかという言葉を使って、我々のいう仏教用語をうまく利用して、とにかく「一往は血脈相承」だという。なんで「総が血脈相承」か、おかしくてしようがない。また「再往は池田会長で、信心の大師匠」だという。そういうところから「池田会長が血脈相承を承けている。学会に血脈がある」などと言い出してしまう。
(第十八回妙観会・昭和五十四年三月三十一日)

 在家が、自分らが勉強し、自分らが折伏することをもって「和合僧である」と宣伝しております。大いに我々は考えなければなりません。
(中略)
 そして「僧侶はいらない」ということは、「自分らが僧侶である」ということで、結局、同じことになる。今、我々出家しておる僧侶がいらないと、廃止すれば、次の和合僧団の僧侶ができることになってしまう。何も変わりはない。ただ現実を破壊せんがために、これを言うのである。

 (第十六回寺族同心会大会・昭和四十九年五月三十一日)
——————————-

 信徒が、もし僧侶を、慢の心をもってばかにし、あえて、僧侶を亡き者にしようとする心がもしあるならば、それは信徒としての道を誤り、世の中を守り栄えさせていくという道を誤ってしまう、ということになるのであります。

 (「蓮華」昭和四十九年七月号)

——————————-

それは現在の出家の世間にいう僧は必要ない、という根本の精神があるがゆえであります。もしそうならば、大変なことになる。寺院もいらない。そういう思想は世間的には大いに宣伝されるかもしれませんけれども、一歩退いて本当に考えるときには、それは成り立つでしょうか。
 また、大聖人の御書は信徒が対象であると、だから信徒が大聖人の仏法の中心をなすべきものであるという説があります。なるほど、大聖人は人々を教化せられておるのである。仏が教化するところに信徒に向かって法を説くのはあたりまえであります。
 その説は、僧侶はいらないという根本の考えがあるということ、根本の底に針があるということを、思い致さなければなりません。
 大聖人の御書に、だだ信徒だけが対象であるということをもし言うならば、それは大聖人滅後、五人の連中が唱えた説となってしまうのであります。

(昭和四十九年五月三十一日)
————————-

 戸田(城聖=二代会長)さんも亡くなり、大化城もでき大客殿もでき、昭和四十七年に正本堂が建立せられた。その直後から非常に学会の態度がおかしくなってきた。たいへん僧侶も馬鹿にするし、また教義上においても非常に変化が多いように思う。そのつど、私も種々な時にそれを指摘して、「そういうことはいけない、日蓮正宗の教義と違う」と、指摘してきたつもりでございます。
(第一回時事懇談会・昭和五十三年二月九日)

————————-
 けっして我々宗門としては、学会をつぶそうとか、学会をどうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった。それを指摘して、なんとか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。なるほど、長い間、学会はよく宗門のために尽くしてくださいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからといって、教義を間違えて宗門から逸脱してしまえば、これは何も役に立ちません。
(第十八回妙観会・昭和五十四年三月三十一日)

——————————–
 この肝心の、大聖人の御当体であらせられる本門戒壇の大御本尊をないがしろにして、さきほどの『一生成仏抄』の講義のごとく、「自分自身の中に御本尊があるから、深く信心を発していくということは、我が生命の御本尊を涌現していくことである」というならば、それは身延の日蓮宗で言うごとく、自分自身の中に本尊があるから、自分は自分を拝めぱよいということになる。そんなことが、本宗の教義でありうるでしょうか。
 また、禅宗では「見性成仏」ということをいいます。すなわちこれは、禅の修行によって、自分の内心に仏性のあることを悟るということであります。もし、我々の中にある御本尊を涌現させるというならば、これは禅宗と同じことになってしまう。また、身延の日蓮宗と同じことになってしまうのであります。こういう考えの教学は、我が日蓮正宗においては、大いに慎まなければならないことであります。
(昭和五十三年八月二十六日)

——————————–
 どこまでも、たとえ会長であろうが副会長であろうが、間違ったことを言ったならばどんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶ではない、ということを覚悟していっていただきたい。
(『蓮華』昭和五十四年四月号)
————————————