「出藍の誉れ」」という言葉があります・これは、弟子が師匠より偉くなるという意味でありますけれども、しかし、もともとこの言葉は『荀子』のなかの「学は以てぶむべからず」「青は之を藍に取りて、藍よりも青し」
「氷は水之を為して、水よりも寒し」という言葉から採ったものであります。
つまり、学問は途中でやめてはならないということであります。青い色は藍を原料にして染めてあるけれども、元になった藍よりも青い色をしている。
また、氷は水から出来ているけれども、元になった水よりも冷たいという意昧であります。
ただし、この「荀子」の言葉は、弟子が師匠よりも偉くなるということを言っているのではなく、どんなものでも素材に手を加えなければ、素材以上のものにはならないということを言っているのであります。このことは我々の仏道修行、なかんずく行学を錬磨していく上において、最も大切なことではないかと思うのであります。
「玉、磨かざれば光なし」という言葉もありますように、生まれつき優れた才能を有していても、学問や修業を積まなければ、立派な人間にはなれないということであります。
とかく学問に対しては、ある程度の域に達すると、そこで止まってしまう場合が多々あります。こういうヶIスは、結局、最終的には一番みじめな生き方になってしまうのです。まさにこの言葉にあるように、途中でやめてはならないのである。
私もヽ先輩の方々から「勉強というものは一生、行うものだ。勉強は一生だよ」ということをよく聞きました。ですから、諸君もこのことを忘れずに、しっかりと勉学に励んでもらいたい。
そしてまた、その勉学を何に活かすのかということが大切でありまして、学問というものは、最後は行いに出てくるのです。
我々の行いというものは、広宣流布なのです。広宣流布のお役に立つ人材になるということが、我々の目的なのです。
〔平成二十三年九月号75ページ〕