大聖人様は「撰時秒」に
一渧あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一蹄一微塵のごとし。法華経を二人·三人·十人·百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ」(御書868)
と仰せであります。
広宣流布の道のりは険しく厳しいものではありまますが、大御本尊のもとに僧俗が一丸となって前進していけば、初めは微々たるものであっても、やがて大きなカとなり必ず警願を達成することができるのであります。
[平成二十三年十月号171ページ]