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Q13.「御書だけで議論しようではないか」

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Q&A 創価学会員の言い分に答える
 
 A.あなたは何のために議論したいのですか。法義を論ずるのは、日蓮大聖人の御真意を知り、正しい信仰をするためでなければなりません。
 日蓮正宗においては、教義に関する正否の裁定は、血脈付法の御法主上人の権能と定められています(宗規第七条)。
 それは、日興上人が、
 「御抄を心肝に染め極理を師伝して云々」 (日興遺誠置文・御書一八八四頁)
 と仰せられるように、日蓮大聖人の御書と、それを誤りなく解釈するための「極理の師伝」を根本とするからです。
 ところで、「御書だけ」に限定して議論したいと言うところを見ると、創価学会にとっては、日興上人以来の相伝がよほど都合が悪いようですね。
 日蓮正宗では、教義・信仰に関して、御書の文言として直接著されない事柄であっても、血脈相伝に基づく御指南であれば、それが宗祖大聖人の御真意であると拝しますから、御書にないからといって、信仰の上で、すこしも困ることはありません。
 それに対して、「御書根本」と称して御書以外の御歴代上人や歴代会長の言葉を拒否しなければならない創価学会は、さぞかし説明に困ることが数多くあるのではないでしょうか。
 
 あなたが、どうしても御書の文言にないものは信用しないと言うならば、まず次の問いに答えなさい。
  (一)創価学会では日蓮大聖人を末法の御本仏と崇めていますが、「日蓮は末法の本仏なり」とする直接的な御書の文証を挙げなさい。
  (二)創価学会が言う「在家教団でも御本尊を認定できる」とする御書の文証を挙げなさい。
  (三)在家の者が葬式の導師を勤めてもよい、という御書の文証を挙げなさい。
  (四)御本仏日蓮大聖人のほかに仏法上の「永遠の師」を立ててもよい、という御書の文証を挙げなさい。
 また、あなたが御書の文言を忠実に実行する「御書根本」の人ならば、まず手始めに『報恩抄』の、
 「本門の教主釈尊を本尊とすべし」(御書一〇三六頁)
 の御文のとおり、釈尊の仏像を拝むべきです。
  この一事をもってしても、創価学会がはてしない矛盾のスパイラルにおちいっていることは明らかです。
 しかも、御本仏日蓮大聖人の出世の本懐たる人法一箇の大御本尊を放棄した創価学会が、いずれは日蓮大聖人をも放棄することは誰の目にも明らかです。
 そうなれば、創価学会の言う「御書根本」も死語になってしまうのです。

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Q11.「御書には、大御本尊について何も書かれていないではないか」

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 Q&A 創価学会員の言い分に答える
 A.あなたは「日蓮大聖人の御書に記述されていないことは、大聖人の教義ではない」 と言いたいのでしょうが、それは幼稚で短絡的な発想です。これについて、次の四点からお答えします。
①極理の師伝
日蓮大聖人の御書を正しく理解するには、 「極理の師伝」たる血脈相伝の御指南がなければなりません。
第二祖日興上人は『遺戒置文』に、
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して」(御書一八八四頁)
と仰せられ、日蓮大聖人の仏法の信仰においては、大聖人の御書を心肝に染め、極理を師伝しなければならないと指南されています。
「極理の師伝」とは、仏法の究極を師匠から弟子に伝えることで、宗祖大聖人から第二祖日興上人へ伝えられた唯授一人の血脈相承を言います。
これについて、 『百六箇抄』には、
「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闇梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず悉く付嘱せしめ畢ぬ」(御書一七〇二頁)
とあります。
 この唯授一人の血脈相承は、第二祖日興上人から第三祖日目上人へ、第三祖日目上人から第四世日道上人へと次第し、第六十八世日如上人まで、法灯連綿として伝えられています。
 ②釈尊像を本尊とする不相伝家
 一例を挙げますと、御書のどこを探しても「日蓮は本仏なり」とか「日蓮を本尊とせよ」とのお言葉はありません。
 むしろ、『御講聞書』には、
   「教主釈尊こそ世尊の本にては御坐し候へ」 (御書一八二五頁・傍線筆者)とあり、『報恩抄』には、
   「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(同一〇三六頁・傍線筆者)とあって、教主釈尊を仏とし、本尊とせよと明示されています。
 身延日蓮宗などの不相伝家は、このような文言の表面にのみ執われて、釈尊を本仏と仰ぎ、釈尊像を本尊としているのですが、これはまさしく、相伝(極理)を知らないことによる誤りなのです。
 ③「日興が身に宛て給はる所の大御本尊」とは本門戒壇の大御本尊
 御書に「大御本尊」の記述がないということについて言えば、大聖人の御内証の一切は日興上人に伝えられているのですから、日興上人の御指南が日蓮大聖人の御正意なのです。
 日興上人は日目上人への譲り状に、
 「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(日興跡条々事・御書一八八三頁)
 と書き残されましたが、『百六箇抄』には、
 「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」(御書一七〇二頁)
 とあり、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、「嫡々相承の曼荼羅」であることは明らかです。
 日寛上人は、この『百六箇抄』の御文について、
 「嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
 と明確に指南されています。
 このように「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊であることは明白です。

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④「余は二十七年なり」とは大御本尊の予証
 『聖人御難事』には、
 「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり」(御書一三九六頁)
 とあり、大聖人が弘安二年十月に出世の本懐を遂げられた旨が明かされています。
 日寛上人は、宗祖の出世の本懐について、
 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁・傍線筆者)
  と仰せられ、本門戒壇の大御本尊が宗祖の本懐であることを指南されています。
 また日寛上人は同文段に、
 「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして」(同一九六頁・傍線筆者)
 と、宗祖大聖人が御年五十八歳の弘安二年十月十二日に出世の本懐である大御本尊を図顕されたことを明かされています。
 したがって、弘安二年十月十二日から立ち返って見れば、同年十月一日に著された
 『聖人御難事』に「余は二十七年なり」と仰せられた御文は、本門戒壇の大御本尊を御図顕する予証であったことがわかるのです。
 このように、血脈相伝にもとづいて拝すれば御書に明白である御教示も、相伝のない者から見れば「御書のどこにもない」ということになるのでしょう。
 
   (創価学会員に問いただそう》
 ○あなたは、唯授一人血脈相承を受けられた日興上人や日寛上人の御指南に随順しますか。
 はい ⇒ 日興上人今日寛上人の御指南に背いて、大御本尊への信仰を放棄した創価学会は間違っていますね。
 
 いいえ ⇒ あなたは血脈相承を無視する身延日蓮宗と同じですね。釈尊を本仏とし、釈尊像を拝むべきです。

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日顕上人様のお言葉、信心即生活(一行一切行)

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11月度御報恩御講

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Q11.「御書には、大御本尊について何も書かれていないではないか」

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 Q&A 創価学会員の言い分に答える
 A.あなたは「日蓮大聖人の御書に記述されていないことは、大聖人の教義ではない」 と言いたいのでしょうが、それは幼稚で短絡的な発想です。これについて、次の四点からお答えします。
①極理の師伝
日蓮大聖人の御書を正しく理解するには、 「極理の師伝」たる血脈相伝の御指南がなければなりません。
第二祖日興上人は『遺戒置文』に、
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して」(御書一八八四頁)
と仰せられ、日蓮大聖人の仏法の信仰においては、大聖人の御書を心肝に染め、極理を師伝しなければならないと指南されています。
「極理の師伝」とは、仏法の究極を師匠から弟子に伝えることで、宗祖大聖人から第二祖日興上人へ伝えられた唯授一人の血脈相承を言います。
これについて、 『百六箇抄』には、
「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闇梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず悉く付嘱せしめ畢ぬ」(御書一七〇二頁)
とあります。
 この唯授一人の血脈相承は、第二祖日興上人から第三祖日目上人へ、第三祖日目上人から第四世日道上人へと次第し、第六十八世日如上人まで、法灯連綿として伝えられています。
 ②釈尊像を本尊とする不相伝家
 一例を挙げますと、御書のどこを探しても「日蓮は本仏なり」とか「日蓮を本尊とせよ」とのお言葉はありません。
 むしろ、『御講聞書』には、
   「教主釈尊こそ世尊の本にては御坐し候へ」 (御書一八二五頁・傍線筆者)とあり、『報恩抄』には、
   「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(同一〇三六頁・傍線筆者)とあって、教主釈尊を仏とし、本尊とせよと明示されています。
 身延日蓮宗などの不相伝家は、このような文言の表面にのみ執われて、釈尊を本仏と仰ぎ、釈尊像を本尊としているのですが、これはまさしく、相伝(極理)を知らないことによる誤りなのです。
 ③「日興が身に宛て給はる所の大御本尊」とは本門戒壇の大御本尊
 御書に「大御本尊」の記述がないということについて言えば、大聖人の御内証の一切は日興上人に伝えられているのですから、日興上人の御指南が日蓮大聖人の御正意なのです。
 日興上人は日目上人への譲り状に、
 「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(日興跡条々事・御書一八八三頁)
 と書き残されましたが、『百六箇抄』には、
 「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」(御書一七〇二頁)
 とあり、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、「嫡々相承の曼荼羅」であることは明らかです。
 日寛上人は、この『百六箇抄』の御文について、
 「嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
 と明確に指南されています。
 このように「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊であることは明白です。

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④「余は二十七年なり」とは大御本尊の予証
 『聖人御難事』には、
 「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり」(御書一三九六頁)
 とあり、大聖人が弘安二年十月に出世の本懐を遂げられた旨が明かされています。
 日寛上人は、宗祖の出世の本懐について、
 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁・傍線筆者)
  と仰せられ、本門戒壇の大御本尊が宗祖の本懐であることを指南されています。
 また日寛上人は同文段に、
 「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして」(同一九六頁・傍線筆者)
 と、宗祖大聖人が御年五十八歳の弘安二年十月十二日に出世の本懐である大御本尊を図顕されたことを明かされています。
 したがって、弘安二年十月十二日から立ち返って見れば、同年十月一日に著された
 『聖人御難事』に「余は二十七年なり」と仰せられた御文は、本門戒壇の大御本尊を御図顕する予証であったことがわかるのです。
 このように、血脈相伝にもとづいて拝すれば御書に明白である御教示も、相伝のない者から見れば「御書のどこにもない」ということになるのでしょう。
 
   (創価学会員に問いただそう》
 ○あなたは、唯授一人血脈相承を受けられた日興上人や日寛上人の御指南に随順しますか。
 はい ⇒ 日興上人今日寛上人の御指南に背いて、大御本尊への信仰を放棄した創価学会は間違っていますね。
 
 いいえ ⇒ あなたは血脈相承を無視する身延日蓮宗と同じですね。釈尊を本仏とし、釈尊像を拝むべきです。

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Q11.「御書には、大御本尊について何も書かれていないではないか」

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 Q&A 創価学会員の言い分に答える
 A.あなたは「日蓮大聖人の御書に記述されていないことは、大聖人の教義ではない」 と言いたいのでしょうが、それは幼稚で短絡的な発想です。これについて、次の四点からお答えします。
①極理の師伝
日蓮大聖人の御書を正しく理解するには、 「極理の師伝」たる血脈相伝の御指南がなければなりません。
第二祖日興上人は『遺戒置文』に、
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して」(御書一八八四頁)
と仰せられ、日蓮大聖人の仏法の信仰においては、大聖人の御書を心肝に染め、極理を師伝しなければならないと指南されています。
「極理の師伝」とは、仏法の究極を師匠から弟子に伝えることで、宗祖大聖人から第二祖日興上人へ伝えられた唯授一人の血脈相承を言います。
これについて、 『百六箇抄』には、
「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闇梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず悉く付嘱せしめ畢ぬ」(御書一七〇二頁)
とあります。
 この唯授一人の血脈相承は、第二祖日興上人から第三祖日目上人へ、第三祖日目上人から第四世日道上人へと次第し、第六十八世日如上人まで、法灯連綿として伝えられています。
 ②釈尊像を本尊とする不相伝家
 一例を挙げますと、御書のどこを探しても「日蓮は本仏なり」とか「日蓮を本尊とせよ」とのお言葉はありません。
 むしろ、『御講聞書』には、
   「教主釈尊こそ世尊の本にては御坐し候へ」 (御書一八二五頁・傍線筆者)とあり、『報恩抄』には、
   「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(同一〇三六頁・傍線筆者)とあって、教主釈尊を仏とし、本尊とせよと明示されています。
 身延日蓮宗などの不相伝家は、このような文言の表面にのみ執われて、釈尊を本仏と仰ぎ、釈尊像を本尊としているのですが、これはまさしく、相伝(極理)を知らないことによる誤りなのです。
 ③「日興が身に宛て給はる所の大御本尊」とは本門戒壇の大御本尊
 御書に「大御本尊」の記述がないということについて言えば、大聖人の御内証の一切は日興上人に伝えられているのですから、日興上人の御指南が日蓮大聖人の御正意なのです。
 日興上人は日目上人への譲り状に、
 「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(日興跡条々事・御書一八八三頁)
 と書き残されましたが、『百六箇抄』には、
 「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」(御書一七〇二頁)
 とあり、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、「嫡々相承の曼荼羅」であることは明らかです。
 日寛上人は、この『百六箇抄』の御文について、
 「嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
 と明確に指南されています。
 このように「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊であることは明白です。

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④「余は二十七年なり」とは大御本尊の予証
 『聖人御難事』には、
 「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり」(御書一三九六頁)
 とあり、大聖人が弘安二年十月に出世の本懐を遂げられた旨が明かされています。
 日寛上人は、宗祖の出世の本懐について、
 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁・傍線筆者)
  と仰せられ、本門戒壇の大御本尊が宗祖の本懐であることを指南されています。
 また日寛上人は同文段に、
 「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして」(同一九六頁・傍線筆者)
 と、宗祖大聖人が御年五十八歳の弘安二年十月十二日に出世の本懐である大御本尊を図顕されたことを明かされています。
 したがって、弘安二年十月十二日から立ち返って見れば、同年十月一日に著された
 『聖人御難事』に「余は二十七年なり」と仰せられた御文は、本門戒壇の大御本尊を御図顕する予証であったことがわかるのです。
 このように、血脈相伝にもとづいて拝すれば御書に明白である御教示も、相伝のない者から見れば「御書のどこにもない」ということになるのでしょう。
 
   (創価学会員に問いただそう》
 ○あなたは、唯授一人血脈相承を受けられた日興上人や日寛上人の御指南に随順しますか。
 はい ⇒ 日興上人今日寛上人の御指南に背いて、大御本尊への信仰を放棄した創価学会は間違っていますね。
 
 いいえ ⇒ あなたは血脈相承を無視する身延日蓮宗と同じですね。釈尊を本仏とし、釈尊像を拝むべきです。

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阿呆ガラス

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Q10 「学会が大御本尊への信仰を捨てるはずがない」

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 Q&A 創価学会員の言い分に答える
 A.そのように言うあなたは、創価学会が戒壇の大御本尊を根本として進んできた教団であると信じ、あなた自身も大御本尊を人生の根本として信仰に励んできたのだと思います。しかし残念ながら、今回創価学会が過去八十数年間、信仰の対象としてきた大御本尊を放棄する旨を公表したことは事実なのです。
あなたは、この現実を冷静に受け止めて、今後の信仰のあり方を考えたらよいでしょう。

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すべては唱題から、復習版4

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1147夜:瀬戸内寂聴さん逝く

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