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法華経について⑱
法華経について(全34)
18大白法 平成27年7月1日刊(第912号)より転載
『安楽行品第十四』
今回は迹門最後の品である『安楽行品第十四』です。当品の内容は、像法摂受の内容を説き、必ずしも末法折伏の修行の内容ではない箇所もありますので、これらの点に留意しながら学んでまいりましょう。
さて釈尊は『見宝塔品』で滅後における法華経の弘通を勧められ、『勧持品』では、まず薬王菩薩・大楽説菩薩らが滅後における娑婆世界での法華経弘通を誓願しました。次に、舎利弗ら五百人の阿羅漢、学無学の八千人の声聞、摩訶波闍波提や耶輸陀羅ら六千人の比丘尼が、悪国土である娑婆世界以外の他土における法華経の弘通を誓うのでした。
これに対し、娑婆世界に住む八十万億の不退転の菩薩が悪世末法における法華経の弘通を誓ったのです。この不退転の菩薩の誓願の中で有名な勧持品二十行の偈が述べられ、三類の強敵の難が示されたのでした。
四安楽行
さて当品に入り、文殊師利菩薩は『勧持品』の誓願を聞いてお考えになります。
修行を積み不退転の境地に至った菩薩たちは、たとえどのような難が起きようとも、それを耐え忍び、法華経を弘通する修行をすることができます。
けれども、まだ浅い境界の菩薩は、このような大難が起きることを聞いて恐れる心を生じ、それによって退転してしまうものも出てくるでしょう。
そこで、仏の滅後の悪世において、初心の菩薩たちがどのように法華経を弘めたらよいのかを、釈尊に伺い申し上げたのです。
これに対して釈尊が説かれたのが、身・口・意・誓願の四安楽行です。
まず第一の身安楽行では、菩薩の行処と親近処ということが説かれます。
このうち行処では、菩薩が忍耐の徳を守り、その振る舞いが軽はずみや荒々しくなく、善事も悪事も忍ぶべきことが説かれます。そして、仏法の真理である中道の理をよく観じて執着せず、それによって諸法のありのままの姿を見るべきことが説かれます。
次の親近処では、権力者や邪な教えを説く者などの患いから離れ、閑かなところにあって座禅を行い、心を修めることなどが示されます。この戒と定に対し、さらに中道実相の慧が説かれます。
第二の口安楽行では、まず像法摂受の修行として、人や経典の誤りを指摘してはいけない等の注意が示されます。
このように口安楽行は、末法の折伏行に直截的に当てはまるわけではありませんが、前御法主日顕上人猊下は、
「折伏は相手を軽んじ見下げて侮辱することでは決してないのです。(中略)摂受も折伏も心は一つ、慈悲心であります。その意味においては、やはりこの教えに大事な意味があるわけです」(大白法 五三六号)
と御講義され、我々の折伏における心構えについて、慈悲の上から折伏を行うことが大切であると御指南されています。
このほか、言葉遣いを穏やかにして安らかな態度をとり、質問に対しては方便の教えで答えるのではなく大乗の法をもって答え、仏の智慧に導くべきことなどが示されます。
第三の意安楽行では、まず嫉妬や諂いの心を抱いてはいけないと説かれます。さらに仏道を学ぶ者を軽蔑して罵ったり、無意味な論義、つまりいい加減な気持ちで法門を学んだり論じてはいけないなどの注意がなされます。
その後、菩薩は一切の人々に大きな慈悲の心を起こし、諸仏に対しては父の思いをなして敬い、諸菩薩に対しては師匠であるとの念を起こすべきことが説かれます。そして、人々に、分け隔てなく平等に教えを説くべきであると示されます。
第四の誓願安楽行では、在家・出家の人に対しては大きな慈しみの心を持ち、三界六道を流転する人に大きな哀れみの心を起こしなさいと説かれます。そして、これらの人々が仏法に暗く法華経を信じようとしなくとも、自らが真実の悟りを得たならば、彼らを法華経に導こうと誓願するように仰せられます。
こうして四安楽行を説かれた釈尊は、続く偈文で、「このような実践を心がけて法を説く人は、あらゆる人々から褒め称えられ、諸天善神も昼夜にわたって、常に法を聞くために、その人に従って護衛するでしょう」と説かれました。この経文が、
「諸天昼夜常為法故而衛護之」
であり、私たちが朝の勤行の初座で、御観念文として申し上げているものです。
髻中明珠の譬え
法華経はあらゆる経々の中で最も勝れた経典であり、仏様もなかなか説かれることはありません。そのために妙法蓮華経の名を聞くことすら得難く、ましてや見聞し、受持し、読誦することはそれ以上に難しいのです。
これを譬えられたのが「髻中明珠の譬え」です。
転輪聖王は非常に強い力を持っていて、その命令に従わない諸国の王を討伐しました。
この時に功績のあった家臣へ、ある者には土地や田畑、村落や城を与え、またある者には珍しい宝物や馬、人民を与えて報いました。
けれども転輪聖王は、髻の中に納めてある明珠だけはけっして与えなかったのです。なぜならば、これは最も勝れた宝であるために、妄りに与えてしまうと、周りの人々が大いに驚いて怪しんでしまうからです。
しかし、それでも真に勲功のあった者に対しては、転輪聖王も大きな歓喜をもって、頭上の髻をほどいて、褒美として明珠を与えられるのです。
同じように、仏様は法王として弟子たちと共に、三障四魔の魔王と闘われます。その弟子たちがこれらの魔を破すのを見れば、仏様は喜ばれ、さらなる教えを説いて人々に歓喜の心を生じさせるのです。
しかし、なかなか法華経は説かれません。この法華経は一切の人々を仏果に至らせることができる第一の経典ですが、この世の中にあっては怨が多く信じ難いために、四十余年間は説かれなかったのです。
そして、転輪聖王が髻の中の明珠を与えるように、今、法華経を人々のために説かれることが述べられ、当品を結ばれます。
摂受と折伏
宗祖日蓮大聖人様は『開目抄』に、
「夫、摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし。(中略)無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし」(御書 五七五頁)
と仰せられ、法華経の弘通について摂受と折伏の立て分けを御教示されています。
この摂受と折伏は、その時と機によってどちらの方途を用いるかが決まるのであり、末法の日本は折伏を前とするのです。
すなわち、日興上人が『五人所破抄』に、
「今末法の代を迎へて折伏の相を論ずれば一部読誦を専らとせず。但五字の題目を唱へ、三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責むべき者か。此則ち勧持不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや」(同 一八八〇頁)
と仰せられる通りです。我々は難来たるを安楽と心得て負けることなく、適切に謗法を破折し、大聖人様の仏法を弘めていかなければならないのです。
さあ、本年度の折伏誓願目標の完遂をめざし、後半の折伏戦に励んでまいりましょう。
法華経について⑰
法華経について(全34)
17大白法 平成27年6月1日刊(第910号)より転載
『勧持品第十三』
今回学ぶ『勧持品』は、『見宝塔品第十一』『提婆達多品第十二』に引き続き法華経迹門の流通分に当たり、受持段と勧持段の二段からなります。
「勧持」とは法華経の受持を勧める意と拝されますが、これは釈尊が会座の聴衆に滅後流通を勧められ、迹化の菩薩衆が弘経を誓願したことに依っています。
受持を明かす
先に『見宝塔品』で説かれた「三箇の勅宣」と『提婆達多品』で説かれた「二箇の諌暁」とを束ねて、「五箇の鳳詔」とも称されます。
この鳳詔を、釈尊は『見宝塔品』で滅後の法華経弘通を勧められると共に、『提婆達多品』で法華経受持による「悪人成仏」「竜女成仏」という即身成仏の功徳相を示されました。
これを受けて、当品の初めに薬王菩薩と大楽説菩薩は他の二万人の眷属と共に、
「釈尊よ、けっして心配することはありません。私たちが滅後に法華経を受持し弘めましょう。滅後の悪世の衆生は、増上慢の者が多く、不善を行い覚りの道から遠く離れているため教化し難いけれども、忍耐の力を起こして妙法蓮華経を弘めることに身命を惜しみません(趣意)」(法華経 三七〇頁)
と、釈尊に申し上げました。
すると、既に記別を与えられた舎利弗以下五百人の阿羅漢をはじめ、学無学八千人の声聞衆も座を起ち合掌して、悪世に妙法を弘めることができない故に、娑婆世界以外の他の国土での法華経弘通を発願したのです。
その時、釈尊は、摩訶波闍波提(釈尊の養母)をはじめとする六千人の比丘尼たちが、授記を望んで合掌礼拝するのを察せられて、摩訶波闍波提と六千人の比丘尼には一切衆生喜見如来という同一名号の記別を与えられました。
また、羅睺羅の母である耶輸陀羅(釈尊の后)が、授記の中に自らの名前が説かれないと思っていますと、釈尊は、別して具足千萬光相如来との記別を与えられたのです。こうして授記された比丘尼たちは大いに歓喜して偈を説き、声聞衆と同じく他土での法華経弘経を釈尊に誓いました。
勧持を明かす〔二十行の偈〕
比丘尼たちの誓願を聞かれた釈尊は、不退転の境地にある八十万億もの菩薩衆を御覧になりました。すると、菩薩衆は釈尊の前に進み出て一心に合掌し、
「若し釈尊が、私たちにこの経を受持し説法せよと告勅するのであれば、仏の教えの通りに広くこの妙法を弘通いたします(趣意)」(同 三七四頁)
と、念じました。
しかし、釈尊は黙然として告勅せられなかったため、菩薩衆はいかにすべきか考えた上で、釈尊の御意に敬順し、併せて自らの本願を遂げようと、
「私たちは、滅後に十方世界を行き来して、多くの人々にこの経を弘通し受持信行させます。どうか他方の国土にあっても、遥かに私たちを守護してください(趣意)」(同 三七五頁)
との誓願を立てられました。
さらに悪世末法における法華経弘通の様相を思い、菩薩衆は声を一にして重ねて誓願されます。これが、
「唯願わくは慮いしたもう為からず」(同 三七五頁)
から始まる、「二十行の偈」と称される偈頌であり、この中で滅後の弘経に対する「三類の強敵」の出現が示されます。
三類の強敵
三類の強敵とは、釈尊滅後、法華経の行者に対して様々な迫害を加える三種類の敵人のことを言い、妙楽大師(中国天台宗第六祖・荊渓湛然)が『法華文句記』の中で名付けたもので、俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖増上慢の三種を指します。
第一の俗衆増上慢とは、法華経の行者に対して悪口罵詈し、あるいは刀や杖をもって迫害する、仏様の教えに無知な在俗の人々のことを言います。
第二の道門増上慢とは、自己の慢心が盛んなために法華経の行者を憎み、危害を加える邪宗の僧侶のことを言います。
第三の僣聖増上慢とは、真の仏道を行ずるように見せて世間の人々から聖者のように尊敬されるけれども、その心は世俗を思って利欲に執着している僧侶のことを言います。この僧侶が世の人々に法華経の行者の過失を喧伝し、さらには国王や有力者、僧侶たちに讒言して法華経の行者に難を加えさせると説かれます。
ですから、妙楽大師は『法華文句記』に、
「此の三の中に初めは忍ぶべし、次は前に過ぎたり、第三最も甚だし。後後の者は転識り難きを以ての故に」(法華文句記会本‐下 七五頁)
と、第三の僣聖増上慢の正体は見破ることが難しく、三類の中で最も激しく巧みな手段を用いて、法華経の行者を迫害してくると釈されています。
法華身読
菩薩衆は、このような三類の強敵による様々な迫害に対して、「衣座室の三軌」に基づき、
「我身命を愛せず 但無上道を惜む」(法華経 三七七頁)
との言をもって必ず釈尊滅後に法華経を弘通することを異口同音に誓願され、当品の説相は結ばれています。
ここに示された「二十行の偈」を、釈尊滅後二千年を経過した悪世末法において実践されたのが、宗祖日蓮大聖人です。大聖人様は『寂日房御書』に、
「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は口には宣べたれども修行したる人一人もなし」(御書 一三九三頁)
と、御教示あそばされています。
この御文に明らかなように、八十万億の菩薩衆は、悪世の弘通に耐えることができないために他土弘通を誓願した声聞衆と異なり、釈尊の黙命に応じて娑婆世界の弘通を誓願しましたが、やはり大難には耐えられないとして、後に釈尊が地涌の菩薩を召し出だしたため、娑婆世界での妙法弘通は叶いませんでした。
それに対して大聖人様は、地涌の上首・上行菩薩の再誕として悪世末法に御出現になり、「二十行の偈」を身読し、三類の強敵をことごとく退けられました。この身口意三業にわたる法華経読誦によって、日本第一の法華経の行者、さらには御自身が末法の御本仏であるとの大自覚に立ち、妙法蓮華経の要法を一切衆生救済のために御弘通あそばされたのです。
大聖人様は『御義口伝』に、
「勧とは化他、持とは自行なり。南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり」(同 一七六〇頁)
と仰せられ、御法主日如上人猊下は、
「三類の強敵を身をもってお受けあそばされた大聖人様がそうであったように、我らもまた、仏様の使いとして折伏を行ずることに、なんら恐るることなく、毅然として広布の使命に生きることが肝要であります」(大白法 七六五号)
と、御指南あそばされています。
来たる平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築の御命題成就に向けて一人ひとりが広布の使命を自覚し、三類の強敵に臆することなく、自行化他にわたる信行を実践してまいりましょう。
法華経について⑯
法華経について(全34)
16大白法 平成27年5月1日刊(第908号)より転載
『提婆達多品第十二』
今回学ぶ『提婆達品第十二』は、三逆五逆の罪を犯し、現身に地獄に堕ちた提婆達多が未来の成仏を仏の知見をもって約束された「悪人成仏」と、畜生身の竜女が文殊師利菩薩の妙法の化導を受けて菩提心を発し、男子と即座に変じて成仏の相を示した「竜女成仏」が説かれています。
これらは前品の『見宝塔品第十一』で説かれた「三箇の勅宣」に引き続き、「二箇の諌暁」として法華経受持信行による即身成仏の大功徳が顕わされ、また妙法弘通を勧めていくための流通分として示されたものです。
提婆達多は釈尊の従弟に当たり、釈尊に従って出家しましたが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団を作り、阿闍世王と共に釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、破和合僧)を犯しました。その結果、ついに提婆達多は生きなからにして地獄に堕ちたのです。
当品の前半部分では、この提婆達多と釈尊の過去世における師弟の因縁が説かれて、提婆達多に未来成仏の記別が与えられ、法華経の功徳を証明されます。
逆即是順の成仏
釈尊は、初めに御自身の遠い過去世のことを、次のように説かれました。
「私は、遥かな過去世、法華経を求めて少しも怠ることはなかった。国王の身分であったが、大法を得るためにすべての地位名誉を投げ捨て志念堅固に仏道を求めていた。すると、阿私という名の仙人が訪れて『私は大乗の教えを持っています。それは妙法蓮華経という御経です。私に違わずに修行するならばお教えしましょう』と申し述べた。王であった私は、この言葉を聞いて躍り上がって喜び、すぐさま仙人に従って給仕し、木の実を取り、水を汲み、薪を拾って食事の支度をし、我が身を横たえて座とし、少しも怠る心がなかった。このように長い間、努めて法を求めたのである。
実はこの王こそが、私・釈迦牟尼の過去世の姿であり、阿私仙人とは今の提婆達多である。提婆達多という善知識がいたからこそ、私は法華経を修行して仏となり、人々を救うことができたのである。現在、阿鼻地獄で無量の苦悩に苛まれている極悪人の提婆達多ではあるが、このような深い法華経の因縁により、これより無量劫もの時を経た未来に、提婆達多は天王如来という仏に成るであろう。そして、多くの人々のために妙法を説いて悟りに導くであろう」
過去には阿私仙人としての尊い善業こそあれ、今世の提婆達多は悪逆非道を犯して阿鼻地獄へと堕ちた大悪人です。しかし、悪逆の業因を改めることなく、妙法一念三千の理に順じて、そのまま成仏の真因と転換し、天王如来の記別を与えられたのです。この法華経の悪人成仏を逆即是順といいます。
こうしたところから、次いで釈尊は、
「未来の世に、善良な男女がいて、この法華経の提婆達多の教えを聞いて清らかな心で信仰して疑いを起こさない者は、地獄・餓鬼・畜生といった悪道に堕ちることなく、十方三世の仏のもとに生まれるであろう。もし人間や天上に生まれれば、すばらしい楽しみを受けるであろうし、その仏の御前であれば、蓮華に化生することであろう」
と法華経を浄心に信敬していくなら、必ず勝妙の果報に至ることを明かされています。
竜女の即身成仏
後半では竜女成仏が説かれます。
提婆達多への授記が終わると、多宝如来の侍者・智積菩薩が本土(宝浄世界)に帰ることを要請します。釈尊は智積菩薩に「文殊師利菩薩と妙法について対談してから帰りなさい」と告げました。すると、文殊師利菩薩が大海の竜宮から来訪したのです。
智積菩薩が「あなたは竜宮で、どれほどの衆生を教化したのか」と尋ねると、文殊菩薩は「それは無量であり、計ることはできない。ただ、私はもっぱら妙法を説いて化導してきた」と述べ、さらに「竜王の娘である八歳の竜女は、法華経を聞いて即座に悟りを得た」と語りました。しかし、別教に執着する智積菩薩は、それを信じられませんでした。
この時、竜女が忽然として釈尊の前に身を現わしたのです。これを見た舎利弗は、また、「女人は宝器ではなく、また梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身にはなれない」との五障を挙げて、その悟りを信じません。
すると、竜女は三千大千世界ほどの高価な宝珠(竜の珠)を釈尊に奉り、釈尊もすぐさまそれを受け取られました。そして竜女は智積菩薩と舎利弗に向かい「私は釈尊に宝珠を捧げ、釈尊が受け取られた。この出来事はどれほどの時間でしたか」と問いました。二人は「ただ一瞬の出来事だった」と答えました。
竜女は「それでは、よく私の成仏を見なさい、この出来事よりも速いでしょうから」と言うと、目前でたちまち男性に変わり(変成男子)、南方の無垢世界で宝蓮華に座して成仏し、衆生のために妙法を説く姿を示したのです。
即身成仏の現証を目の当たりにした大衆は、大いに喜んで遥かに礼拝し、無量の衆生が不退の境地に達し、また成仏の記別を受けました。智積菩薩・舎利弗と疑いを持った人たちも、ただただ静かに信受するばかりでした。
大聖人様は『開目抄』に、
「竜女が成仏、此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(御書 五六三㌻)
と、この竜女の成仏は、一切の女人が法華経によって成仏することの証であることを示されました。そして爾前権経のうち、権大乗経でも、一往は女人の成仏往生は許されるようではあるが、それは「改転の成仏」であって、一念三千の成仏ではないと仰せになられています。
この改転の成仏とは、即身成仏に対する言葉で、女人は男子に生まれ変わり、それから成仏するということです。つまり爾前経においては、女人は罪障が深いものとされていたので、種々の善根を積み、いったん男に生まれ変わってから成仏するという、有名無実の成仏であると説かれているのです。
それに対し、法華経は、女人は女人のまま、悪人は悪人のまま、二乗は二乗のまま、十界のすべての衆生が即身成仏するという、一念三千の成仏の教えであると明かされています。
しかしながら、なぜ竜女が男性に変わって、成仏の相を現わしたかというと、それは釈尊の熟益・脱益の化導として、女人不成仏や歴劫修行に執着していた智積菩薩・舎利弗等の疑念を晴らすための方便化他の相なのです。
下種の成仏の相から拝すると、竜女が宝珠を釈尊に奉り、釈尊がそれを受けられたときには、すでに竜女は妙法による正覚を得ており、改転の成仏を経ずして蛇身・女身のままに即身成仏(内証成仏)しているという意義があります。
浄心信敬の修行
御法主日如上人猊下は、
「法華経の提婆達多品には、
『未来世の中に、若し善男子、善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄、餓鬼、畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん』(法華経 三六一㌻)
とあります。
私達はいかなる障魔に出遭うとも、ただ大御本尊様への絶対信を持って、疑念なく、浄心に信敬して、強盛なる自行化他の信心に励んでいくならば、御金言の如く、いかなる困難も、立ちはだかる障礙も必ず乗りきっていくことができるのであります」(大白法 七六一号)
と仰せです。末法における即身成仏の大法は、事の一念三千の当体である南無妙法蓮華経の大御本尊様です。
この大御本尊様に対し奉り、疑念なく清浄な心で自行化他に邁進するならば、どのような罪障をも消滅し、即身成仏の大果報が得られることを御指南くだされています。さあ、皆さん。御法主上人猊下の御指南を根本に平成三十三年の御命題に向けて浄心信敬して折伏に勇躍出陣してまいりましょう。
法華経について⑮
法華経について(全34)
15大白法 平成27年2月1日刊(第902号)より転載
『見宝塔品第十一』
前回の『法師品第十』から、迹門の流通分に入りました。今回学ぶ『見宝塔品第十一』では、引き続き弘経の功徳深重が明かされ、釈尊滅後の法華経弘通を勧められています。
品題の「見」は「顕われる」との意義も具えており、多宝如来の宝塔が大地より顕われ、法華経会座の大衆が空中に止まった宝塔を仰ぎ見る故に『見宝塔品』と称されるのです。
宝塔の涌現
釈尊が『法師品』を説き終わると突然、七宝(金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰)で飾られた、高さ五百由旬(一由旬は行軍・牛車が一日で進む距離とも言われる)、縦横二百五十由旬もの大宝塔が地より涌現して空中に止まり、中から、
「善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て、大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」(法華経336頁)
との、大音声が発せられました。宝塔の中には多宝如来という仏様がおられ、釈尊の説かれた法華経が真実であると証明されたのです。
これを聞いて、一座の大衆は喜ぶと共に、未だ見聞きしたことがない出来事に驚き疑念を抱きました。大楽説菩薩という方が代表して、宝塔涌出と大音声について質問したところ、釈尊は、
「この宝塔の中には多宝如来という仏様がいらっしゃる。遠い昔、東方の宝浄という国で菩薩道を行じていたとき、自らの滅後に法華経が説かれる際には、宝塔と共に会座に出現し、説法が真実であることを証明しようとの誓願を立てられたのです(趣意)」(同337頁)
と、告げられました。
分身諸仏の来集
大楽説菩薩が歓喜し、多宝如来の御姿を拝見したいと申し上げると、釈尊は重ねて多宝如来の深い願いを明かされ、大楽説菩薩の願いに従い十方分身の諸仏を集めて宝塔を開くために、眉間の白毫から光を放って東方から順に十方の国土を照らしました。光に照らされた十方世界の仏様方は、釈尊のもとで多宝如来の宝塔を供養するために娑婆世界に集まってきました。すると、娑婆世界は、瑠璃の大地に黄金の道が走り、山河の別なく平らかな浄土へと変じました。分身の諸仏は、それぞれ一人の菩薩を侍者として娑婆世界に来ると、宝樹の下にある師子座(仏様の説法の座)に座禅せられました。
次々と来集する諸仏によって三千大千世界は満ちましたが座は足りず、釈尊はさらに八方の二百万億那由他もの国土を浄土に変じたのです。しかし、それでもなお座が足りず、再度八方の二百万億那由他の国土を変じて、法華経の聴衆以外の衆生を他の国土に移し、通じて一つの仏国土となりました。このように三度国土を変じて浄土となした相を「三変土田」と言い、穢土即浄土・娑婆即寂光が顕わされたのです。
こうして来集した諸仏が各々侍者の菩薩を遣わして釈尊に宝華を供養し、宝塔を開いて戴くように伝えると、諸仏の来集を見、その願いを聞いた釈尊は座を起ち空中に登り、一座の四衆が起立合掌する中、右の指をもって宝塔の扉を開けました。中を拝すると、多宝如来は師子座に座し、完全な肉体を具える様は禅定に入られているようにも見えました。すると、多宝如来は座の半分を開けて釈尊を宝塔の中に招き入れ、直ちに釈尊はその上座である右側の半座に座したので、二人の仏様が並んで座る形(二仏並座)となったのです。
さらに釈尊は、四衆の念願に従って神通力をもって人々を空中に昇らせ、法華経の会座を霊鷲山から虚空に移し、『嘱累品第二十二』に至るまで行われる「虚空会」の説法が始められました。
三箇の勅宣
虚空会の説法の初めに、釈尊は大音声をもって、
「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」(法華経347頁)
と大衆に告げられ、その意義を詳らかにするために続けて偈頌を説かれました。
この妙法弘通を勧める呼びかけは三回にわたって行われたので、「三箇の勅宣」あるいは「三箇の鳳詔」と言います。第一が先に挙げた経文で、妙法蓮華経を付嘱して正しく滅後に伝えるとの「付嘱有在の勅宣」、偈文に入り第二は妙法護持の誓願を発して久しく世に住せしめる「令法久住の鳳詔」、そして品末に及んで第三に滅後に法華経を持つことが諸経と比べて難事であることを「六難九易の諌勅」を説いて示され、
「法華経は受持し難いけれども少しの間でも受持する者がいれば、一切諸仏が歓喜し讃歎することでありましょう(趣意)」(同354頁)
と、滅後流通の誓願を勧められています。
宝塔の意義
中国の天台大師は、
「塔出に両と為す。一に音声を発して以て前を証し、塔を開して以て後を起す」(法華文句記会本―下 六頁)
と、宝塔涌現について証前・起後の義を示されました。
証前とは、釈尊による法譬因縁の三周の説法、すなわち前の法華経迹門正宗八品の開三顕一・二乗作仏の説法が皆真実であることを多宝如来が大音声をもって証明なされたことです。また起後とは、宝塔涌現を契機とし、『従地涌出品第十五』の本化地涌の菩薩出現から『如来寿量品第十六』に釈尊の久遠本地の開顕を説かれるに至る遠序として、後の本門を起こす意義が存することを言います。
しかし、これは像法時代における教相上の解釈です。総本山第二十六世日寛上人は、日蓮大聖人の御法門の上から、
「熟脱の迹本二門を証するを通じて証前迹門と名づけ、文底下種の要法を引き起こすを、正しく起後本門と名づくるなり」(御書文段 一二三頁)
と、迹門・本門共に証前迹門となり、寿量文底下種の要法を起こすことが起後本門となると御示しになられています。
宗祖日蓮大聖人は、
「五陰和合するを以て宝塔と云ふなり。此の五陰和合とは妙法の五字なり」(御書1752頁)
と、また、
「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり」(同 七九二頁)
とも御教示されています。文上において、直ちに宝塔が妙法の五字七字であると拝することはできませんが、文底の義より見れば、宝塔とは地水火風空の五大にして、久遠元初の御本仏が所持される本因下種の妙法当体の意義を拝することができるのです。
御法主日如上人猊下は、
「妙法蓮華経というすばらしい仏性を持っていても、正しい縁に値わなければ、宝塔が宝塔としての、妙法蓮華経が妙法蓮華経として用きをしないのだから、なんとしても縁をさせるということが大事であります。そこにまた、折伏の大事が深く存しているのであります」(大白法 七九八号)
と仰せです。この御指南のもと折伏行に励み、第二祖日興上人御生誕七百七十年の日には、御宝前において法華講員五十パーセント増達成を御報告申し上げ、さらに法華講員八十万人体勢構築に向けて出陣いたしましょう。
六難九易 (法華経351~353頁より)
〔六難〕
①仏の滅後の悪世末法において、法華経を説くことは困難なことである
②仏の滅後に、自ら法華経を書写し他人にも書写させることは困難なことである
③仏の滅後の悪世末法において、法華経を読誦することは困難なことである
④仏の滅後に、法華経を一人のためにも説くことは困難なことである
⑤仏の滅後に、法華経を聴聞し学ぶことは困難なことである
⑥仏の滅後に、法華経を受持信行することは困難なことである
〔九易〕
①恒河沙ほどもある法華経以外の諸経を説いたとしても困難なことではない
②須弥山を手に取り、他土に投げつけたとしても困難なことではない
③足の指を用いて世界を動かし、他土に蹴り上げたとしても困難なことではない
④有頂天に立ち、無量の諸経を説いたとしても困難なことではない
⑤人が虚空を手に取り、飛び回ったとしても困難なことではない
⑥足の爪の上に大地を載せて、梵天まで昇ったとしても困難なことではない
⑦世界崩壊の時に起こるとされる大火の中に、乾いた草を背負って入り焼けなかったとしても困難なことではない
⑧八万四千の法門と十二部経をすべて説き、聴衆に六神通を体得させたとしても困難なことではない
⑨恒河沙ほどの衆生を阿羅漢の位に導いたとしても困難なことではない
法華経について⑭
法華経について(全34)
14大白法 平成26年12月1日刊(第898号)より転載
『法師品第十』
初 め に
先の『方便品』より『人記品』に至る迹門正宗分において、上中下根の声聞等のすべての弟子が、三周の説法によって成仏の記別を授けられました。続く『法師品』より五品は、法華経迹門における流通分であり、在世並びに滅後の衆生をも利益する説法がなされ、法華経弘通の功徳が深重であることが説かれます。
特に当品では、法華経を受持・読・誦・解説・書写するという「五種法師」の功徳と、法華経が諸経の中で最第一の教えであることを明かされ、釈尊滅後における法華経弘通を勧められます。さらに弘経の心構えとして「衣・座・室の三軌」が説かれています。
『法師品』の法師とは、五種の妙行とも言い、法華経を、受持・読・誦・解説・書写の五種の行をもって自ら行じ、他を導くことを言います。
『法師品』の内容
聞法随喜の功徳
釈尊は、薬王菩薩をはじめとする八万人の菩薩たちに告げられました。
「薬王よ、今この座には、実に多くの様々な人間や生類、在家・出家の修行者などがいる。彼らが、仏前で法華経の一偈一句でも聞き、わずかでも有り難いという喜びの心を起こしたならば、そのすべての人に未来成仏の保証を授けよう。また、仏の入滅した後も、法華経の一偈一句を聞いて、少しでも喜びの心を生ずるならば、私はその人たちに記別を授けよう」
と法華経を聴聞し随喜する者は必ず未来世において仏になることを説かれました。
五種の妙行
続いて釈尊は、
「法華経の一偈一句でも受け持ち・読み・暗誦(暗んじて読むこと)し、解説し・書写し、仏を敬うように、この経に対して種々の供物を供養するならば、その人は既に過去世で何十億もの仏を供養し、仏のみもとで大願を成就していたが、人々を愍れんで、自ら願ってこの世界に人間として生まれてきたのである。この人は未来世に必ず成仏するであろう」
と、受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を行じる法師は必ず成仏できることを確約されました。
如来の使い
また釈尊は、
「五種法師の人は、自ら清浄な業の果報を捨てて、願って悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである」
と説かれ、
「私が入滅した後に、この経の一偈一句を、たった一人のためにも説く者は、如来の使いである。如来から遣わされ、如来の振る舞いを為す者と知るべきである。まして、大衆の中で、広くこの経を説く者については言うまでもない。もし悪人があって、仏前で仏を毀り、罵ったとしても、その罪はなお軽い。それよりも、法華経を読誦する在家・出家の者を毀るほうが、遥かに罪が重いのだ」
と、この法華経を受持信行し、一偈一句でもこの法華経を弘めていく人は、まさに如来の使いであるということを述べられました。
三説超過の法華経
「私が説く経典は、無量千万億という多数にものぼり、已に説き、現在も説き、また未来にも説くであろう。そして、それらの中で、この法華経こそが最も信じ難く理解し難い勝れた御経である。それは、この経は、仏たちの秘密の教えである。この教えは、容易に理解できないため、仏のいる現在においても、なお恨み嫉む者が多い。ましてや仏の入滅した後にこの経を弘めるならば、なおさらのことである。したがって、薬王よ、仏の入滅の後に、法華経を読誦し、書写して供養する者がいたならば、如来は、その人を如来の衣で覆い、如来の手で頭を撫でるであろう」
と説かれ、〝已〟に説かれた爾前経、〝今〟説かれた無量義経、〝当〟にこれから説くところの涅槃経等の一切諸経に対し、この法華経が最も難信難解の法であり、真実の教えであると示されるのです。
この教えは、容易に理解できないため、釈尊在世においてすら世間の人々の怨嫉はたいへんなものであり、ましてや滅後末法において、この真実の妙法を説くことがいかに困難であるかを説かれます。
衣座室の三軌(弘経の心構え)
また、もし人々が、如来の入滅後の時代に、法華経を説き弘めようとするならば、次の心構えが必要であることを次のように説かれました。
「如来の室に入り、如来の衣を着て、如来の座に座って、如来と同じ気持ちになって説くことである。如来の座とは一切の人を分け隔てなく慈しむ慈悲の心であり、如来の衣とは柔和で忍耐強い心、また如来の座とはあらゆる目先の物事に執着しない心である」
さらに釈尊は、重ねて偈頌をもって説かれました。その中には、次のようにあります。
「私の入滅後、どのような者でもあれ、この経を説くならば、あるいは悪人が出てきて、その人の悪口を言い、罵り、刀や杖をもって打ちかかるであろう。しかし、法華経の仏を祈念して、耐え忍ぶべきである。そうすれば、どのような迫害を受けたとしても、私が神通力によって、出家や在家の男女を遣わし、その法華経の行者を供養し、守護するであろう」
と、法華経を説く人のために「変化の人(出家や在家の男女)」を多く遣わして、説法の聴聞衆にさせると共に、様々な難が起ころうとも説法者を守護し、さらに説法者が経典の御文を忘れたならば、その時は仏が説いて内容を通じるようにしてやろうと説かれました。
御法主日如上人猊下は、平成二十二年六月度の広布唱題会の砌に、
「妙法蓮華経の一偈一句を説く者、すなわち末法において折伏を行ずる者は、僧俗男女を問わず、等しく『如来の使』であり、『如来の所遣』として『如来の事』を行じている人々であります。つまり、妙法広布に身を尽くし、折伏を行じている人は、すべて『如来の使』なのであります。
今、宗門は(中略)僧俗一致して広宣流布への道を力強く進んでおります。こうしたなかで、我ら本宗の僧俗は、一人ひとりが『如来の使』としての自覚と誇りを持って、勇躍、折伏に励むことが今、最も肝要であろうと思います」(大白法 七九一号)
と御指南されています。
妙法広布に身を尽くす私たち本宗僧俗は、貴賎上下、老若男女の差別なく、すべて「如来の使い」であるとの自覚と誇りを持って、どのような困難があっても、必ず仏様の守護があることを信じて、最後の最後まで諦めず懸命の折伏に励み、妙法の大功徳の実証を示してまいりましょう。
法華経について⑬
法華経について(全34)
13大白法 平成26年11月1日刊(第896号)より転載
『授学無学人記品第九』
さて、いよいよ迹門正宗分の最後の品である『授学無学人記品第九』に入ります。
品題に「学」「無学」とあります。一般的には「学」と言うと学問を身につけた人を言い、「無学」と言うと学問のない人を言いますが、ここで言う「学」「無学」は全く異なります。すなわち、「学」とはまだ学ぶべきところのある修学者を指し、「無学」とはもう学ぶべきところがない修学者を指して言います。具体的に言えば、小乗の位のうち阿羅漢(小乗の最高の悟りを得た者のこと)になった者を「無学」と言い、見思惑を断尽していく途中の位(須陀洹向から阿羅漢向まで)を「学」と言います。ですから「学」とは言っても、仏道修行の上からは高い位にいる出家の修行者を意味し、末法の私たちとは比較することはできません。
阿難と羅睺羅
さて、当品の冒頭で阿難と羅睺羅が出てきます。
阿難は、『大智度論』によると斛飯王の子供で提婆達多の弟に当たり、釈尊には従兄弟に当たる人物です。後に釈尊に帰依して、釈尊の弟子の中で最も多くの説法を聞き、またよく記憶していたので「多聞第一」と言われ、十大弟子の一人に数えられました。
釈尊は、なかなか女性の出家を認めませんでしたが、阿難の申し出により認め、釈尊の乳母の摩訶波闍波提たち、女性が出家することができたと言われています。
「多聞第一」の弟子として、釈尊滅後の第一回目の経典結集で活躍し、経典が編纂されました。多くの経典では、冒頭に、
「如是我聞(是くの如く我聞きき)」
と記されますが、この「我」のほとんどが阿難のこととされます。
次に羅睺羅は、釈尊が出家前にもうけられた実の子供です。後に出家して比丘となり、よく戒律を守って修行に励み、「密行第一」と言われ、十大弟子の一人に数えられました。
当品の概略
さてこの阿難と羅睺羅は、釈尊の前に進み出て、深く礼拝してお願いを申し上げます。
「阿難は、常に釈尊のお側にあって法を聞き、その教法を護持しております。また羅睺羅は仏の御子であります。もし、私共にも未来の成仏の保証を御授けになられれば、私共も他の学無学の声聞衆も、たいへんに喜ぶでしょう」
その時、この二人の言葉を聞いた学無学の二千人の声聞が、一斉に立ち上かって釈尊を礼拝しました。そして、釈尊を見上げて、
「私たちも、この二人と共に未来成仏の保証をしていただきたいものです」
と心に念じたのでした。
そこで、釈尊はそれらの心を見通され、まず阿難に向かって告げられました。
「阿難よ、そなたは未来世において、山海慧自在通王如来という名の仏となるであろう。多くの菩薩を教化するであろう。その国土を常立勝幡といい、劫を妙音遍満と名付ける。阿難よ。この山海慧自在通王仏は、十方の諸仏にその功徳を讃嘆されるであろう」
こうして阿難に授記がされました。この時、説法の座にいた八千人の新発意の菩薩(発心したばかりの菩薩)たちが、心の中で、
「私たちや諸々の大菩薩の方々でさえも、このような二乗への記別を授けられたことを、聞いたことがない。どのような因縁があって、声聞たちがここで成仏の保証を授けられるのであろうか」
と疑問を持ちました。
この菩薩たちの疑念を察知された釈尊は、次のように教えられました。
「かつて前世において、私と阿難とは、空王仏のもとで同時に発心して、共に無上菩提(仏の最高の悟り)を得るために修行をしたのである。阿難は常に法を多く聞くことを願い、私は常に精進することに専念したのである。そのために私は既に仏となることができたのである。
しかるに阿難は、私の説いた教法を護持し、また将来、諸仏の説かれる法を護持しようという誓願を立てて、それを実行しているのである。この理由により、記別を与えたのである」
これを聞いた阿難はたいへんに喜んで、次のように誓いの言葉を申し上げました。
「世尊はとても希有な勝れた御方です。私に過去世の本願を思い出させ、過去の諸仏の法を思い出させてくださいました。私は今、全く疑いなくして仏道に住することができました。本願の通り、私は諸仏の侍者となって、その御説きになった法を護持いたします」
次に釈尊は、実子である羅睺羅に向かい、
「羅睺羅よ、そなたは未来世に踏七宝華如来という仏になるであろう。
そして、現在世において、私が沙門となる前は私の長子となり、私が仏道を成じてからは法子となった。未来世において、数え切れないほどの多くの仏の長男として生を受け、一心に仏道を求めるであろう。羅睺羅の密行は、ただ私のみが知るところである」
と告げられました。
そして、釈尊は学無学の二千人を御覧になると、皆一心に仏を拝しており、釈尊はまた阿難に向かって告げられました。
「汝阿難よ。学・無学の声聞衆を見なさい。ここにいる人々は、多くの諸仏を供養し、その教法を護持し、やがて同時に十方の国においてそれぞれ仏となるであろう。彼らは、皆同じく宝相如来という名の仏になるであろう」
と説かれたのでした。
こうして、未来における成仏の保証を戴いた学無学の二千人は、非常に感激して、次のように申し上げ、当品は終わります。
「世尊は智慧の灯明であります。私たちに成仏の保証を授けてくださいました。私たちの心は、今、甘露を注がれたように喜びでいっぱいであります」
この『授学無学人記品』の説法をもって、迹門正宗分の説法が終わり、次の『法師品第十』からは迹門流通分の説法となります。
法を護持承継することの大切さ
宗祖日蓮大聖人様は、『十法界明因果抄』で次のエピソードを紹介されています。
◇
釈尊滅後四十年が過ぎた頃、阿難はある竹林で一人の比丘に会います。比丘は間違えた偈文を唱えて修行していたので、阿難はその間違いを指摘して正しい偈文を教えました。
その比丘は、自らの師のところに戻り、偈文の間違いを話したところ、比丘の師は、
「私がそなたに教えたのが真の仏説である。阿難の言う偈は仏説ではない。阿難は年老いて、発言に誤りが多いから信じてはいけない」
と答え、比丘はそれを信じてしまいました。
再び阿難がこの比丘に会った時、相変わらず間違った偈文で修行していたので、重ねて注意したのですが、比丘は信用しなかったのです。(趣意・御書 二〇七㌻)
◇
大聖人様は、このエピソードをもって滅後四十年でさえ既に誤りがあることを示されています。今は二千年を過ぎ、インドから中国、日本へと仏法が渡るうちに、人々の執着や勝手な考えによって間違った教えが弘まり、いかに謗法が多いかを仰せられています。
大聖人様の門下も、いくつもの宗派に分かれ、また近年にも創価学会などの邪義の徒が現われています。正しい大聖人様の仏法を求めるならば、その血脈の跡を尋ねることが肝要です。すなわち、大聖人様以来、唯授一人の血脈相承を伝持する日蓮正宗こそが、正続の宗団であるのです。
さあ御法主上人猊下の御指南のままに、御住職の御指導のもと、唱題に折伏に、精進してまいりましょう。