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①「三大秘法を信ずる」とは観念的信仰

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
今回、創価学会は、会則の教義条項を、
「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え云々」(本書137頁参照・傍線筆者)
と改変しました。
 これは、これまでの会則の教義条項にあった、
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」(傍線筆者)
との条文から「大御本尊を信受し」の文言を削除し、「三大秘法を信じ」と改変したものです。
 信仰の集団では、何を信ずるのかが最も重要なことです。
 今回、創価学会が具体的な信仰の対象である三大秘法総在の大御本尊を放棄し、名ばかりの三大秘法を信仰の対象としたことは、現実に存在する御本尊を離れ、観念的信仰におちたものと言えます。

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②「創価学会は広宣流布を推進する仏意仏勅の教団」という妄言

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大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 創価学会が御本尊を認定できる根拠について、原田会長は、
「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します」(本書139頁参照)
と述べています。
 まず、創価学会は世界広宣流布を推進する教団、ということですが、そもそも広宣流布とは、総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を根本とする日蓮大聖人の教えを世に弘めて衆生を救うことです。
 そのためには、日蓮大聖人の教えに随順し、正しい信心に立たなければなりません。
 広宣流布の根源について、日寛上人は、
「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり(中略)既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
と、明確に指南されています。
 また、第六十六世日達上人は、創価学会の教義逸脱が顕著になっていった昭和四十九年に、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷行していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。みなさまの今の時にもし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません」(達全ニー六-二九五頁)
と指南されています。
 これらの御指南を拝しても、日蓮正宗の教義から外れた創価学会が「広宣流布を推進する教団」でないことは明らかです。
 また創価学会は「仏意仏勅の教団」ということですが、創価学会は御本仏の教えに背き、その御魂魂を放棄したのです。創価学会は「仏意仏勅」どころか、むしろ仏敵・大謗法の集団というべきでしょう。
 したがって、そのような創価学会が御本尊を勝手に認定するなどは、荒唐無稽としか言いようがありません。ちなみに「荒唐無稽」とは、よりどころがなく、デタラメなさまを言います

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①凡夫集団に御本尊を認定する資格はない

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 今回、創価学会が大御本尊を放棄するに当たって、原田会長は、
「創価学会は(中略)広宣流布のための御本尊を認定します。したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり云々」(本書139頁参照)
と述べ、今後は創価学会が受持の対象とすべき本尊を認定すると宣言しました。
 そもそも、日蓮大聖人の仏法における御本尊は、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(経王殿御返事・御書六八五頁)
と仰せられるように、御本仏の御魂魄であり、お悟りそのものです。
 仏法においては、
「信心は順従を義と為す」(四教義・大正蔵四六―七五三頁)
と言われるように、衆生は仏の教えに従い、本尊を尊崇することが本義です。
 末法の衆生が拝すべき御本尊について、日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁)
と仰せられ、本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法における根本の御本尊であると教示されています。
 すなわち本門戒壇の大御本尊は本宗における究極の御法体であり、古来、御本尊の書写および下付に関する一切の権能は、血脈付法の御法主上人御一人に限られてきたのです。
 第二代戸田会長も、
「大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない」(大白蓮華・昭和三四年七月号九頁)
と指導しています。
 しかるに今回、創価学会は、衆生凡夫の集団にもかかわらず、宗祖大聖人の御教示、日寛上人の御指南、さらには戸田会長の指導に背いて、受持の対象とすべき御本尊を自ら認定するという大増上慢ぶりを露わにしました。
 いったい何を基準に認定するというのか、世迷い言もほどほどにすべきです。

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第六節 教義・信仰基盤の崩壊

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
  創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として発足した宗教法人です。
 第二代戸田会長は、創価学会が宗教法人を取得するに当たり、宗門に対して、
  一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
  二、当山の教義を守ること
  三、三宝を守ること
との三原則の遵守を誓約し、昭和二十七(一九五二)年八月、東京都知事より宗教法人の認証を受けました。
 この三原則こそ、創価学会が存在しうる最も重要な基盤です。
 このうち、第二の「当山の教義」とは、日蓮正宗の教義にほかなりません。
 日蓮正宗の教義・信仰は、日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に図顕された本門戒壇の大御本尊を根本とするものです。
 また、第三の「三宝を守ること」とは、本宗の三宝、すなわち仏(日蓮大聖人)、法(本門戒壇の大御本尊)、僧(第二祖日興上人を随一とする歴代の法主上人)を信仰の根幹として尊崇するということです。
 日寛上人は『当家三衣抄』に、
「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は(中略)南無日蓮大聖人師(中略)南無本門戒壇の大本尊(中略)南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」 (六巻抄二二五頁)
と、本宗の三宝について、明確に指南されています。
 かつて、戸田会長は、
「日蓮大聖人以来の正しい歴史と教義を、世に弘めるべく大いに努力しなければならない」 (戸田城聖全集六―四〇四頁)
と述べ、日蓮正宗の教義を遵守するよう指導していました。
 また、池田大作も会長就任式には、
「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、大御本尊様にお仕え申しあげ、御法主上人猊下に御奉公申しあげることが、学会の根本精神であると信じます」 (大白蓮華・昭和三五年六月号七頁)
と述べて、創価学会は日蓮正宗の教義を信奉する信徒団体であることを明言していました。
 にもかかわらず、今回、創価学会は、日蓮正宗の教義の根幹をなす本門戒壇の大御本尊への信仰を放棄しました。
 これは、法人設立の誓約のなかの、第二の「当山の教義を守る」との条項を破るとともに、第三の「三宝を守ること」の条項をも破る行為であり、創価学会はその存立基盤を自らの手で全面的に破壊したのです。
 まさに、創価学会は、教義の上でも信仰の上でも、はてしない矛盾のスパイラルにおちいった、というべきです。

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質問集より、信心で業病を治せるのか

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(さらに…)

第五節 歴代会長の指導との矛盾

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 本来、創価学会は本門戒壇の大御本尊への信仰を世の中に弘めるための教団でした。次に挙げる、初代会長牧口常三郎氏、第二代会長戸田城聖氏、さらに、かつての池田大作の言葉がそれを明確に示しています。
○初代牧口会長

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「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」(牧口常三郎全集一〇―一五一頁)

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○第二代戸田会長

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「もっとも完全無けつな仏法が正宗なのである(中略)私達は無智な人々を導びく車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くの
が学会の唯一の使命である」(大白蓮華・昭和二四年二一月号一頁)
「現代に於ては時刻相応の教と云うならば、富士大石寺にいます一閻浮提総与の御本尊を信ずる事である。大聖人の御命たる大曼荼羅を信ずる事でありその大曼荼羅中の極説中の最極説たる弘安二年十月十二日御出現の総与の御本尊こそ真の民衆救済の御本体であらせられる」(大白蓮華・昭和二九年七月号巻頭言)

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○第三代池田大作
「大聖人様はどのようにおおせになったか。末法において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十二日の大御本尊様を拝む以外にない。これが日蓮大聖人の出生の本懐であると、おんみずから御本尊様をお遺しくださったのであります」 (会長講演集ニー五六頁)
 
 これら歴代会長の指導にもあるように、創価学会は大御本尊を信仰の根本としてきた教団です。
 今回、創価学会が行った大御本尊の放棄は、歴代会長の指導に背反し、八十数年にわたる創価学会の信仰を根底から覆すものです。
 会則改変の実質的責任者である池田大作に至っては、その自語相違は甚だしいものであり、牧口・戸田両会長の功績を無にする、不肖の弟子と言うほかはありません。

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第四節 御歴代上人の御指南に違背する大罪

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 今回、創価学会が弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を放棄したことは、日蓮大聖人の仏法に違背する大謗法に当たります。
 これについて御歴代上人の御指南を挙げ、創価学会の邪義を明らかにします。

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○第二祖日興上人

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「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」 (日興跡条々事・御書一八八三頁)

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○第十四世日主上人(戦国時代の混乱期に東北・関東の布教に努められ、福島県の本法寺などを建立された御法主上人)

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「大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ則ち別付嘱唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇の御本尊、興師より正応の御本尊(※譲座御本尊)法体御付嘱なり」(歴全一四五九頁)

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○第二十六世日寛上人(創価学会が作製・販売する『ニセ本尊』のもととなった浄円寺所蔵の御本尊を認められた御法主上人)

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「本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり」(観心本尊抄文段・文段二四三頁)
○第五十六世日應上人(明治期の東京において自ら街頭布教に立ち、教線拡大に努められた御法主上人)

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「戒壇本尊の造立は宗祖出世の本懐にして一期弘通の大事なり」(弁惑観心抄一九三頁)
〇第五十九世日亨上人『第二代戸田会長の請いによって『日蓮大聖人御書全集』を編纂された御法主上人)

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「一期の弘法即三大秘法、三秘の中心即本門戒壇の大御本尊である」 (大白蓮華・昭和二八年九月号二六頁)
○第六十世日開上人(昭和三年六月の御登座。同月に牧口・戸田両会長が入信している。創価教育学会発足当時の御法主上人)

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「吾が総本山に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、宗祖大聖一期の大事、本門三大秘法の随一にて在すなり」
(日開上人全集二五三頁)

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○第六十四世日昇上人(創価学会総本部安置の「慈折広布の御本尊」を認められた御法主上人)

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「夫れ戒壇の本尊は宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生の帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖大聖人弘安二年十月十二日之れを建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に当て給るところなり」 (大日蓮・昭和三〇年一二月号一四頁)

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○第六十五世日淳上人(牧口・戸田両会長の指導教師であり、戸田会長の葬儀の大導師を勤められた御法主上人)

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「吾が総本山大石寺に安置し奉る戒壇の大御本尊が大聖人の施化の究竟と拝さなければならない。若し此旨を失へば御一代の御示教は全く泡沫になって了ふのである」(淳全八二六頁)
○第六十六世日達上人(創価学会の法人設立に尽力し、創価学会の善導に心を砕かれた御法主上人)

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「宗門の信仰の対象は、すなわち弘安二年、大聖人様のご本懐の戒壇の大御本尊様であります。そして、その大聖人様はこの戒壇の大御本尊様をご建立あそばされ、すなわち大聖人様即戒壇の大御本尊様であります」(達全ニ―六―二七三頁)

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 これらの御指南を拝しても、創価学会の今回の大御本尊放棄が、日興上人をはじめとす
る御歴代上人の御意に違背していることは明らかです。

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第三節 人法一箇(体一)の法義に背く大罪

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大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会

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 日蓮大聖人の仏法には「人法一箇(体一)」という法義があります。これは、人本尊と
法本尊が一体であるという意味です。
 人本尊と法本尊が一体であることについて、日寛上人は、
「本地難思の境智の冥合・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を証得するを、久遠元初の自受用身と名づくるなり。此の時、法を尋ぬれば人の外に別の法無し、人の全体即ち法なり。此の時、人を尋ぬれば法の外に別の大無し、法の全体即ち人なり。既に境智冥合し人法体一なり」(観心本尊抄文段・文段二〇二頁)
と仰せられ、久遠元初の自受用身(人)と、事の一念三千の南無妙法蓮華経(法)が一体である旨を指南されています。
 創価学会が編纂した『仏教哲学犬辞典』にも、「人法一箇」について、
「日蓮大聖人の仏法において、大本尊と法本尊は、その名は異なるが、その体は一つであること」 (該書第三版一三二〇頁)
と説明しています。
 すなわち人法一箇とは、「久遠元初の自受用身」たる末法の御本仏日蓮大聖人を大本尊とし、「本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経」を法本尊として、法即人、人即法の御本尊を指します。
 日寛上人は、
「本地難思の境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊」 (当家三衣抄・六巻抄二二五頁)
と仰せられ、本門戒壇の大御本尊は事の一念三千の法であるとともに、「久遠元初の自受用報身如来の当体」すなわち末法の御本仏日蓮大聖人の御当体であることを説示されています。
 今回、創価学会は、人法一箇の大御本尊を信仰の対象から外しましたが、これを端的に言えば、日蓮大聖人の御当体であり御魂魄である大御本尊を放棄したということです。
 条文の上では「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」ながら、信仰の上では日蓮大聖人の御当体に手を合わせないというのですから、これほど道理に合わない話はありません。
 まさしく創価学会は救い難い矛盾のスパイラルにおちいったと同時に、自らの信仰を否定していると言うべきです。

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第二節 日蓮大聖人の出世の本懐を捨てる大罪

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 日蓮大聖人は、大御本尊を出世の本懐とされることについて『聖人御難事』に、
「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年雅なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」 (御書一三九六頁)
と仰せられ、弘安二年十月十二日に本門戒壇の大御本尊を図顕されました。
 この御文に示された大聖人の出世の本懐について、総本山第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「問う、弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり(中略)吾が大聖人は文永十年四月一一十五日に当抄を終わり、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり(中略)天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮究竟の極説を顕わす、寧ろ不思議に非ずや」 (文段一九六頁)
と教示されています。
 これらの御文から、大聖人の出世の本懐は「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日」に図顕された「戒壇の本尊」であることは明白です。
 また、日寛上人が、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁)
と教示されるように、この大御本尊こそが三大秘法随一の御本尊であり、末法の一切衆生が帰依すべき、究竟中の究竟たる御本尊なのです。

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 現在、創価学会総本部に安置される通称「慈折広布の御本尊」を認められた第六十四世日昇上人も、
   「久遠本仏たる宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経をお唱へ出された年から二十七年即ち弘安二年に出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を一切衆生に総与遊ばされたのであります」
(大白蓮華・昭和二七年六月号四頁)
と明確に指南されています。
 今回、創価学会が、本門戒壇の大御本尊を信仰の対象としないと宣言したことは、まさ
しく御本仏日蓮大聖人の出世の本懐を放棄したことになるのです。

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「病の起こる六つの因縁」

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(さらに…)