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和漢王代記

御書5
 和漢王代記  建治二年  五五歳    
伏義 三皇 神農    黄帝    少昊      三墳五典 五帝 帝    尭王  男子九人女一人    舜王 夏 殷    第一文王    第二武王  周公旦    第三成王    第四昭王の御宇二十四年甲寅に当たる        四月八日仏御誕生なり。五色の光気南北に亘る。大史蘇由     之を占ふ    中間七十九年なり 周    第五穆王の五十二年壬申に当たる      二月十五日御入滅。十二の虹南北に亘る。大史扈多之を占ふ    三十七王有り或は八            五常 文武等なり       一儒教            孔丘  顔回                        仙教       三教 二道教            老子       三釈教  一代五十余年 秦  始皇 次生皇    前漢  十四代                   儒教               三教  道教                   釈教 漢     仏の滅後一千一十五年に当たる       又周の第四の昭王二十四年より後漢の第二の光武に至る一千一十五      年に当たるなり 後漢  光武皇帝永平十年丁卯。一千一十五年に当たりて摩騰迦・竺法蘭の二人の聖人四十二章経小乗経十住断結経大乗経を以て白馬に負はせて漢土に渡す 魏双観経渡る     正法華経十巻渡る 法護三蔵亘す  西晋     妙法華経渡る 七巻或は八巻羅什三蔵亘す     三論宗渡る 晋  後秦 阿弥陀経亘る     華厳経亘る 宋   観経亘る     大涅槃経亘る        南三江南なり   三時 四時 五時 斉十師        江北なり一  二  三  四  五  六  七        北七  五時 一音 半満 三教 四宗 五宗 六宗     曇鸞法師浄土宗を立つ     禅宗渡る達磨大師なり     摂論亘る  南北 梁地論亘る  南北     別時意趣の法門出来す  末               観音の化身なり道宣の感通伝に出づ     南岳大師六根清浄の人日本の上宮太子是なり  始    亦慧思禅師と云ふ 天台大師の御師なり 陳       日本に伝教大師と生る  亦智者と云ひ     天台大師          亦智・と云ひ                   亦徳安と云ふ       此の御時、南三北七並びに前五百余年の人師三蔵所立の十師の義を     破し、始めて五時・八教・三観・六即・十境・十乗を立つ。小釈迦と     号し、進んでは天竺の論師にも超へ退いては震旦の人師にも勝れたり。       玄義の三に云はく、故に章安大師の云はく      「天竺の大論、尚其の類に非ず。震旦の人師、何ぞ労はし     く語るに及ばん。此誇耀に非ず、法相の然らしむ     るのみ」。       又智証大師授決集なり云はく「天台世に出でて仏意を快     く暢ぶ。豈万教の再び世間に演ぶるに非ずや」。      笈多と崛多の両三蔵添品法華経     を渡す      道綽・善導此の世に在り      華厳宗      後漢の世より唐の神武皇帝、開元十八年庚申に至る六百六十四載に渡     る所の経律論五千四十八巻訳者一百七十六人なり 唐      妙楽は是の世の人なり      法相宗は玄奘三蔵西天より之を渡す      真言宗は善無畏三蔵・金剛智三蔵之を渡     す      法相宗・真言宗の二宗は天台之を見ず、妙楽大師之を見て天台宗に対     当して勝劣を論ず。又日本国の伝教・慈覚・智証之を諍ふ 宋  天台の玄義の十に南北の十師を破して云はく「但聖意幽隠にして教法弥難し。前代の諸師或は粗名匠に承け、或は思ひ袖衿より出づ。阡陌縦横なりと雖も、孰れか是なるを知ること莫し。然るに義双び立たず、理両つ存すること無し。若し深く所以有って復修多羅と合する者は録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」。  籖の十に云はく「一として全く是なること無きを以ての故に一々に難破す」。  玄の三に云はく「軽慢止まざれば舌口中に爛る」。又云はく「法華は衆経を総括す」。  籖の三に云はく「已、法華已前の華阿方般等の一切経、今、無量義経なり、当、涅槃経等の法華已後の一切経なり、の妙、茲に於て固く迷へり。舌爛れて止まざるも猶華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る」。  南三北七並びに華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の日本の弘法等は法華経よりも華厳経を勝るとするなり。又三論の嘉祥は法華経よりも般若経を勝るとす。又法相の慈恩等は法華経よりも深密経を勝るとす。又真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は法華経よりも大日経を勝るとするなり。此等の宗々の相違如何。相違如何。  授決集に云はく円珍智証大師「文は大経に出でたり、人之を会すること無し。光は盲の前に在れども他に於ては無用なり。仏分明に五味の喩へを説き五時の教に喩へたまふ云云。訳有ってより来、講者路に溢れども未だ會て五味を談ずるの義を解せず、己が胸臆に任せて趣爾囈語す。何ぞ象に触るゝ衆盲の者に異ならんや。天台世に出で仏意快く暢ぶ。豈万教の再び世間に演ぶるに非ずや。南北の講匠にして経論を釈する者、各教時を立つれども百にして一も是なること無し。只教部の前後・頓漸・権実・大小・麁妙・寛狭・進否に迷ふに縁ってなり○大教の網を張りて法界の海に亘し、人天の魚を済ひて涅槃の岸に置く。斯くの如くするすら其の遺漏を恐る。況んや諸師の輩は羅の一目なり。何れの時にか鳥を得ん。若し万蔵を暗んずと雖も此の理趣を会せざれば、年を終はるまで他の宝を計へて自ら半銭の分無く、虚しく諍論を益して長氷に水を添ふるのみ」。  授決集に法相宗の慈恩大師を破して云はく「五性宗の云はく、未熟法華論の前二未熟の文なりと言ふは応に不熟と云ふべし○今謂はく、汎く法華を講ずるには須く此の義を以て正と為すべし。若し爾らずんば経を破し論を破する罪五逆に過ぎたり。基公を除きて外は人の彼の不熟の義を伝ふること無し○若し強ちに之を執せば公私十方の信施消し難し消し難し。若し消せずんば何ぞ三途を免れん。爾を供養せん者は三悪道に堕せん。謗法の罪報は法華・般若の諸大乗経に一切明らかに説けり。智者は披くべし○爾之を信受すべし。無間を招く莫れ」。  授決集円珍、真言等の諸宗を徴めて云はく「真言・禅門・華厳・三論・唯識・律業・成倶の二論等○若し法華・華厳・涅槃等の経に望むれば是接引門なり」文。又云はく「大底他は多く三経に在り。円の旨至って少なきのみ」。  弘法大師の二教論に「喩して曰く、今斯の経文に依るに仏五味を以て五蔵に配当す。総持は醍醐と称し、四味をば四蔵に譬ふ。震旦の人師等諍って醍醐を盗み各自宗に名づく」。        乳 アナン            一 爼多覧    経                酪   ウハリ            二 毘那耶     律    小乗                生   カセンエン 六波羅蜜経の五蔵   三 阿毘達磨  論                熟    文殊            四 般若ハラ蜜蔵                醍醐   金剛蔵        大乗            五 総持ダラニ蔵                       乳                    一 爼多覧                       酪                    二 毘那耶 弘法大師此の経に依って五蔵を立つ    生                    三 阿毘達磨       華                       熟         方                    四 般若ハラ蜜      般                                 法華                                 涅槃                     醍醐                    五 ダラ尼蔵    大日の三部経  二教論に云はく「加以、釈教東夏に漸み微より著に至る。漢の明を始と為し周の天を後と為す。其の中間に翻伝する所皆是顕教なり。玄宗・代宗の時、金智・広智の日、密教欝として起こり盛んに秘趣を談ず。新薬日浅くして旧痾未だ除かず。楞伽法仏説法の文、智度性身妙色の句の如きに至っては、胸憶に馳せて文を会し、自宗に駆って義を取る。惜しいかな、古賢醍醐を嘗めず」。 日本        天神 七代 神代十二代        地神 五代 人代百王   第一   神武天皇         之を略す        第十四  仲哀    八幡大神の父なり        第十五  神功皇后  八幡大菩薩の母なり        第十六  応神天皇  今の八幡大菩薩なり         略        第卅   欽明天皇  歴記に云はく、欽明天皇の治天下十三年壬申歳冬十月                  一日、百済国の聖明王より仏像経等始め                  て日本国に送る        第卅一 敏達天皇                  厩戸王子  四天王寺を造る        第卅二 用明 聖徳太子は用明の御子なり        第卅三 崇峻      上宮太子        第卅四 推古 女帝  守屋を切る        第卅五 舒明四十九院を立つ        第卅六 皇極 女帝   南岳大師の後身なり        第卅七 孝徳 救世観音の垂迹なり        第卅八 斉明 女帝        第卅九 天智        第四十 天武        第四十一持統      倶舎宗                    律宗        第四十二文武      成実宗              六宗        第四十三元明      法相宗                    三論宗        第四十四元正      華厳宗                    亦禅宗有り        第四十五聖武      並びに一切経に有り                    聖武天皇東大寺の大仏を造る 欽明より聖武に至るまで二百四十余年なり。震旦国より鑑真和尚渡りて律宗を亘す。 次に天台宗の玄・文・止等を渡す。又東大寺に小乗戒壇を立つ。        第四十六孝謙 聖武の女        第四十七淡路 廃帝        第四十八称徳 孝謙又即位なり        第四十九光仁 桓武の父なり               欽明より二百六十余年に及ぶ        第五十 桓武 延暦三年奈良の都より長岡の京に遷る。               延暦十三年長岡の京より平の京に遷る。               延暦廿五年御崩去               延暦四年叡山を立つ伝教大師最澄なり               延暦廿年叡山に八講を始め南京の十人を請ず               延暦廿一年の正月十九日高雄に於て南京の十四人              と最澄と宗論あり               同二十九日六宗の十四人謝表を桓武聖主に奉る               延暦廿三年入唐 同二十四年御帰朝  此の御時始めて伝教大師天台宗を立つ。四十余年の文を以て六宗を破り、始めて法華の実義之を顕はし、欽明より二百余年の邪義之を改む。  又六宗の碩徳たる勤操・徳円・長耀 等の十四人桓武皇帝に謝表を奉りて邪見を翻す。  弘法大師空海は延暦二十三年御入唐、大同元年御帰朝 伝教大師は山階寺の行表僧正の御弟子、弘法大師は石淵の勤操僧正の御弟子なり。         第五十一平城         第五十二嵯峨 弘仁十三年六月四日伝教大師御入滅。 同十一               日戒壇を立つ         第五十三淳和 衆  秀句に云はく「法華経を讃むと雖も還って法華の心を死す」文。  撰択集法然造に云はく「捨閉閣抛」。  善導の礼讃に云はく「十即十生百即百生」。又云はく「百の時に希に一二を得、千の時に希に三五を得」。又云はく「千中無一」。  導綽の安楽集大集月蔵経を引くに云はく「我が末法の時の中の億々の衆生は行を起こし道を修するも未だ一人の得る者有らず。当今末法は是五濁の悪世なり。唯浄土の一門のみ有りて通入すべきの路なり」。  慧心の往生要集に云はく「利智精進の人は未だ難しと為さず。予が如き頑魯の者豈敢へてせんや」。 伝教大師 根本大師      山家      天台の後身なり  守護章に「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是其の時なり」。又云く「一乗の家都て用ひず小乗権大乗四十余年の文、但し開し已はって助道に用ふを除く」。

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