諸宗教破折2
悪霊の仕業だった?
数年前、子供向けのアニメに「日常にあふれる困ったことは、すべて妖怪の仕業だった」という内容の人気作品があったが、このアニメに似たことを平然と、言ってのける教団がある。それが大川隆法を総裁とする「幸福の科学」である。
大川は、著書の一つ『秘密の法』の中で、
「半分以上の人は、悪霊の影響を受けている」(幸福の科学公式ホームページ)とオカルトめいたことをく。その説明として、
「キャパシティーの器を超えたためにできなく、なって霊障になるというパターンは、特に社会人になり、仕事をし始めて、からはとても多いので一す。たいてい、『悩み』『苦しみ』『迷い』等が霊障のもとになっていて、その悩みや迷いで、死んで迷っている地獄霊や動物霊など、いろいろなものを引きつけてくることがあります」(同)
と。つまり、自分の容量や能力を超えた仕事などで悩み始めると憑依されやすくなり、やがて死んで迷っている地獄霊や動物霊に取り憑かれるというのだ。
そもそも霊とはこんなことを言われる。
「悪霊」なるものは本当に存在するのだろうか。
死んだら肉体は滅びるが、目に見えない魂が肉体を、抜け出してどこかに存在する、という考え方から、幽霊や祟りが恐怖の対象となったり、一方では、霊が神聖視されたりしてきた。
しかし、生命の不可思議な現象は、唯心論対唯物論、あるいは個体的存在として、霊魂が存在するといった考え方では、到底その本質を正しくとらえることは不可能である。
仏教では、我々の肉体は、一生が終わった時に分解されて宇宙の物質へ戻り、過去世の業因をもとに再び、緑によって宇宙の物質をもって肉体が形成されていくと説く。同様に、宇宙の生命に冥 伏した死後の生命は、過去世の業因によって十界のそれぞれの業を感じて苦楽を得ていく。
また、特に強い念や苦しみ、執着などは、生きている人間に感応し、稀に言葉が聞こえたり物が見えるといった作用を感じる人もいるようである。これらはけっして霊魂や悪霊の仕業ではなく、どこまでも感応によって起こるものだ。
よって悪霊の憑依などなく、生も死も一つの生命における変化に過ぎないことを、まず理解すべきである。
コロナ禍も悪霊の仕業?
こうした生命の本質を知らない大川は、
「ウィルス感染は、実は憑依”の一種」(同)
と突拍子もないことを言い放つ。説明にどんな屁理屈を繰り出すかと思えば、
「霊的視点で眺めると、ウィルス感染は『悪霊の憑依』と同じです。たとえばインフルエンザは、ウィルスに『虫の不成仏霊の集団』が憑依したもの」(同)
だという。なんとウイルスの感染は「虫の不成仏霊の集団」に憑依されて起こるのだそうだ。もはや全身がむず痒くなってくる。
そして、コロナウイルスや不成仏霊から身を守る方法として、大川自身が天界から直接メロディを降ろし作詞・作曲したとする「コナウィルス撃退曲」や「不成仏霊撃退祈願曲」などを、聞くよう勧めている。何の根拠もない戯言である。
疫病調伏の真の方途
日蓮大聖人は今日のような疫病の起こる原因を『日女御前御返事』の中で、
「今日本国の疫病は総罰なり。 定んで聖人の国にあるをあだむか」(御書1233ページ)
と、正法を誹謗する故の一国謗法の総罰の現証であることを御教示されている。
この総罰を克服する方途について同抄に、
「されば身をすてて信ぜん人々はやまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし」(同332ページ)
と御教示である。
正法のもとに、強い確信を持ち、不自惜信命の折伏に励むことにより病魔に打ち勝つことができる。この道理に、深く信をいたすべきである。