祈祷で何とかなる? 民間信仰

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諸宗教破折2
5/1/2020
延びた平均寿命
日本人の平均寿命は、明治時代は四十代前半であったと言われる。 それが昭和二十二(一九四七) 年頃に男女共に五十歳を超え、同六十一(一九八六 年頃に
は七十五歳を超えている。その後も延び続け、厚生労働省の発表による平成三十(二〇一八) 年の平均寿命は、男性八十一・二五歳、女性が八十七,三二歳と、
男女共に過去最高で、世界的にトップクラスとも言われている。
が、 平均寿命はあくまで「平均」で、年次発表される「完全生命表」の平均余命とセットで見る必要があり、 明治時代にみんながみんな五十歳で亡くなっていたということではない。それにしても我が国は堂々たる長寿大国となった。主な要因として、乳幼児の死亡率低下、和食文化や医療制度の充実などが背
景にあると言われる。

健康寿命を求めて
「人生九十年」に手が届こうとしている今、平成十二年にWHO(世界保健機関)が「健康寿命」を提唱した。
「建康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことである。
我が国の健康寿命は、平成二十八年の時点で女性が七十四-・七九歲、男性が七十二・一四歲と、平均寿命とは大きな開きがある。

理想の最期が古う?
健康な期間を長くというのは、極めて自然な願望である。長患(ながわずら)いで家族に迷惑をかけず、亡くなる直前まで元気に過ごしたい、とも思う。
高齢者ほど差し迫っている問題で、このたびの新型コロナウイルス感染が拡がる前には、旅行・レジャーと兼ね、健康で長生きし(びんぴん)、寝込まず楽に死
ぬ(ころり) を祈願する神社仏閣巡りも流行だった。
いくつか挙(あ)げると、福島県内にある中田観音、立木(たちぎ)観音、鳥追(とりおい)観音の三つは、ここを回ると「ころり」と往生(おうじょう)できるそうで「会津ころり三観音」などと呼ばれている。
二つ目は、長野県の成田山薬師寺の参道にある地蔵で、 「ぴんころ地蔵」と命名され平成二十八年に出来た。
三つ目は、奈良県にある吉田寺で、ここの恵心僧都(そうず)源信が作ったとする阿弥陀如来を拝むとぼっくり往生できるそうで、通称「ぼっくり寺」と呼ばれる。
全国各地に同様のものがあるが、安楽な往生が叶うものなど一つもない。
一つ目に挙げた「会津ころり三観音」は、十一面観音や千手観音菩薩、聖観世音菩薩を本尊としている。
そもそも観音は仏の化導を助ける存在として説かれたもので、これを本尊として拝むことは、かえって仏の御意(ぎょい)に背く行為である。
二つ目の「ぴんころ地蔵」は、健康長寿にあやかろうとする高齢者を集めるため、わざわざ作られた地蔵で「ぴんころグッズ」なども売られている。
三つ目、「ぼっくり寺」に祀られる阿弥陀如来も、所詮は法華経以前に説かれた浄土三部経の架空の権仏でしかない。
だが感染症が拡大している今は、ずいぶん意識が変わって、これまで自分は天寿を全うできるものと漠然と信じていたのが、「苦を伴う死への恐怖」について改めて考えている人もいるだろう。

成仏の法は法華経のみ
そもそも、死に方は何で決まるのか。 世間でも「人は生きたように死ぬ」と言われている。

御本仏日蓮大聖人は、
「臨終の思ふやうにならざるは是(これ)大謗法の故なり」(御書 三二九頁)

と明確に仰せである。 正法に背く信仰をしていれば、思い描くような臨終を迎えることはできない。
数多(あまた)ある信仰の中にも大聖人は、

「諸経は無得道堕(だ)地獄の根源、法華経独(ひと)り成仏の法なり」(同 六七三)

と、法華経以外の諸経に私たちが成仏する教えはなく、むしろ地獄に堕(お)ちる不幸の根源の教えであること、 法華経のみが成仏できる唯一正しい教えであることを示されている。
不安に翻弄(ほんろう)されない「現世安穏,後生善処」の境界を築き満足な死を迎えるため、正しい生き方 (信仰)を見極めるべきである。

(大白法 第一〇二七号 令和二年四月十六日)