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法華経について㉑

法華経について(全34)
21大白法 平成27年11月1日刊(第920号)より転載

『如来寿量品第十六』
 この『如来寿量品』は釈尊出世の本懐として、一代五十年の説法の中で最も重要な御説法です。
 しかも当家甚深の御相伝より拝さなければ、当品の真意に到達することはできません。
 このように極めて重要な品ですから、古来より当品の御説法(並びに御講義)は御法主上人猊下のみがなされるのです。こうしたことから、今回は全体の流れを簡略に述べることにします。より深い御法門内容については、ぜひとも信心をもって、御法主上人猊下の御説法(毎年十一月の御大会の砌に行われ、本紙では十二月一日号に掲載されます)や、御隠尊日顕上人猊下の『寿量品説法』を拝読してください。

  誡信・長行の法説段
 さて前の『従地涌出品』の最後で、弥勒菩薩は、「釈尊は、三十歳で成道してより四十余年(並びに迹門)の教化をしてこられたが、どうして地涌の菩薩を久遠已来教化してきたとおっしゃるのか。釈尊はどのような仏様であるのか」と疑問を持ちました。これに対する答えが当品の説法になります。
 まず釈尊は一会の大衆に仰せられました。
「諸の善良な人々よ。如来の真実の言葉を信心をもって聞き入れなさい」
 釈尊は同じ言葉を三回述べ、聴衆を誡められました。この誡めを受けた聴衆は合掌して、
「世尊よ。ただ願わくば如来の真実の言葉を御説きください。私たちは必ずや仏様の御言葉を信受申し上げます」
と三度申し上げ、さらに重ねて懇請しました。
 すると釈尊はもう一度誡められて、
「人々よ。あきらかに聞きなさい。如来の秘密の神通の力を」
と仰せになり、続いて次のように説かれました。
「一切世間の人々は皆、今の釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮に生まれ、伽耶城に近い菩提樹の下を道場として座し、初めて無上の悟りを得たと思っている。しかし善男子よ。そうではない。私は実に仏と成ってより無量無辺百千万億那由他劫の長い時を経ているのである。
 この長い時間は、例えば五百千万億那由他阿僧祇もの三千大千世界を、ある人が微塵に粉砕したとしよう。その塵を、東に向かって五百千万億那由他阿僧祇の国土を過ぎるごとに一粒ずつ落としていき、すべての塵を落とし尽くした。その時通過してきた国土がどれくらいになるのか、その数を計り知ることができるであろうか」
 この質問に弥勒菩薩らは、「とても数えたり思慮の及ぶところではありません」と答えました。釈尊はそれを聞き、
「通り過ぎてきた世界をすべて合わせて再び微塵に砕き、その一粒の塵を一劫の時間に当てて数える。私が仏と成ったのは、それからさらに百千万億那由他阿僧祇劫も昔なのである。
 この久遠(五百塵点劫)の昔に仏と成ってより、私は常にこの娑婆世界にあって人々を説法教化してきた。また他の多くの国土においても、人々を導いてきたのである。
 今まで然灯仏のもとで修行したと説いたり、また涅槃に入った等と説いたのは、すべてが方便である。私は仏眼をもって人々の信心や理解力などの優劣を見て、適切な方法で導いてきた。様々な名前の仏として出世して寿命の長短を示し涅槃に入ることを告げ、様々な方便を駆使して、甚深の妙法を説いて人々に信仰の歓喜を起こさせてきたのである」
等と説かれました。そして、続いて、
「諸の善良な人々よ。仏が説いてきた経典は、すべて人々を導いて解脱せしめるためである。そのために自らの相や他仏の相、化導などを説いてきたが、それらはすべて真実である。
 なぜならば仏は宇宙法界の姿をありのままに見るのであり、煩悩や生死の迷いに執(とら)われず、三界にありながらも中道に住して錯誤はないためである。
 人々の性質や欲望、宿業などが様々であるのをよく知り、それぞれに合わせて前世の物語や譬えなど方便の教えを説き、久遠の昔より常に人々を導いてきたのである。
 このように、私は成仏してより甚だ大いに久遠の時を経ており、その寿命は無量の長時にして常住である。私は久遠の昔に菩薩道を修行して仏と成り、成就したところの寿命は未だ尽きず、前の五百塵点劫の数に倍するのである。
 また実には入滅することはないが、人々の教化のために仮に入滅すると説く。これは、仏が常に世に住するならば、徳の薄い人々は有り難さを忘れていつでも会えると思い、善行を修めようとせずに心が下劣になり、邪な教えに執われて、仏を敬う心を起こさなくなるからである。故に方便をもって入滅を説いて仏には会い難いことを説き、お会いしたいという恋慕の心を起こさせるのである。
 このように実には常住で不滅であるが、人々を救うための方便として、入滅すると説くのである」
と説き、良医病子の譬えを説かれました。

  譬説段・良医病子の譬え
 例えば腕のよい医者がいて、智慧が勝れ薬の処方にも通達して、多くの人々の病を治していました。その人には子供が多く、十人、二十人、百人ほどもおりました。
 ある時、父親の良医が所用のために遠い国へ出ている間に、子供たちは毒薬を飲んでしまい、地面に転げ回って苦しんでいました。
 帰ってきた良医の姿を見て子供たちは喜び、「誤って毒薬を飲んでしまったので治療して命を助けてください」とお願いしたのです。
 父の良医は、色も香りも味わいも勝れた大良薬を処方しました。そして、「この大良薬は、色、香り、味わいのすべてが具わっている。これを飲んで苦しみを取り除き、楽になりなさい」と言って、子供たちに与えました。
 毒を飲んだものの、まだ本心を失っていない子供は、直ちにこの大良薬を飲んで苦しみを癒やしましたが、既に毒が身心に深く染み渡って本心を失ってしまった子供たちは疑って飲もうとしません。
 良医は本心を失った子供たちを哀れみ、方便をもって大良薬を飲ませようとします。
「私はもう年老いて死期が近づいている。この大良薬を今ここに置いておくので、お前たちはこれを飲みなさい。病気が治らないと悲観してはいけない」
 良医はそう言い残して他国へと行き、使いを遣わして父の良医の死を伝えさせました。
 子供たちは嘆き悲しみ、「もし父がいたならば、必ずや私たちを愍んで救ってくれたのに、父は他国で亡くなってしまった。私たちは孤独になって頼るところもなくなってしまった」と思いました。そして、深く悲しみに沈んだ後に、ついに本心に目覚め、大良薬の勝れているのに気付いて自ら服したところ、病はことごとく平癒したのです。
 子供たちが皆平癒したことを聞いた良医は、再び子供たちのもとへと帰ったのです。
 この良医病子の譬えを説いた後、釈尊は「さてこの良医には嘘をついた罪(虚妄罪)があるだろうか」と尋ねました。大衆は「嘘をついた罪などはけっしてありません」と答えます。
 釈尊は、「私もまたこの良医のように、実に成仏してから無量の時を経ているが、人々を化導するために、方便として実には滅しないのに入滅すると説くのであり、これを嘘をついた罪と咎める者はいないであろう」と説かれました。そして、以上の内容を重ねて偈文にして「自我偈」が説かれたのです。
 

  体内と体外の寿量品
 以上は、文底の意を含まない文上の『寿量品』(文底体外の文上の『寿量品』)となります。
 文底の意を含む場合を体内、含まない場合を体外と言います。その相違を簡単に述べると、体外の意では釈尊の本地を久遠五百塵点劫の本果脱益とするのに対し、体内の意では久遠五百塵点劫は垂迹化他の仮の姿として、本当の本地は久遠元初の本因下種にあると見るのです。
 なお文底内証の『寿量品』は、直ちに久遠元初の自受用報身如来の成道と、お悟りの法である南無妙法蓮華経を顕わすのであり、その人法一箇の妙法を大聖人様が三大秘法として建立されたのです。
 これらは本宗相伝の深意によるものです。私たちは大良薬たる本門戒壇の大御本尊に対する揺るぎのない信心を持ち、唱題と折伏に励んでいくことが肝要なのです。

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