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法華経について㉕

法華経について(全34)
25大白法 平成28年4月1日刊(第930号)より転載

『常不軽菩薩品第二十』
 今回は、『常不軽菩薩品第二十』について学んでいきます。
 『分別功徳品第十七』の後半から『普賢菩薩勧発品第二十八』までが本門流通分に配当されますが、その中でも当品までの三品半には、法華弘経の功徳と流通を明かされています。
 前回学んだ『法師功徳品第十九』において、釈尊は、随喜品(滅後の五品の第一)の果の功徳として六根清浄を明かされましたが、当品では、その過去の実例として常不軽菩薩の因縁を説かれ、法華経を毀る者と信ずる者との罪福を示すことによって流通を勧められています。 

 常不軽菩薩
 当品において釈尊は、得大勢菩薩(勢至菩薩とも称される)を対告衆として法を説かれます。
 遥か昔、威音王如来(威音王仏)という仏様が在して、天・人・阿修羅等の人々のために、それぞれの機に見合った法を説かれ、仏様の智慧を授けました。そして威音王如来の滅後、正法時代・像法時代を過ぎて仏法が滅尽すると同じ名号の仏様が出現するという様相が次第して、二万億もの威音王如来が世に出られました。
 最初の威音王如来が入滅され正法時代を経て像法時代になると、増上慢の比丘の勢力が盛り上がっていました。この時、常不軽という一人の比丘が出現したのです。この方は、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆を見ると必ず合掌礼拝して、
「我深敬如等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏(我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし)」(法華経 五〇〇㌻)
と「二十四字」で表わされる言葉を述べました。これは、「私はあなた方を尊敬します。けっして軽蔑いたしません。なぜなら、あなた方は菩薩道を修行して、必ず後に成仏するからです」という意味です。
 この比丘は、専ら経典を読誦せず、誰に対しても合掌礼拝し、
「我敢えて汝等を軽しめず」(同)
と繰り返します。ところが、四衆の中で、莫迦にされたと思い瞋恚(瞋り)を起こした心の不浄な者たちは、比丘に対して悪口の限りを尽くし、杖木をもって打ち、瓦石を投げつける者までいました。しかし、こうした迫害に怯むことなく、より強盛に礼拝讃歎を貫いたため、いつしか比丘は、人々から「常不軽」と呼ばれるようになったのです。
 やがて、常不軽比丘が命終の時を迎えると、虚空において、威音王如来が説かれた法華経の二十千万億に及ぶ無量の偈を聞き、比丘はその法華経を受持して六根清浄の果徳を得ました。そして、さらに二百万億那由他歳もの寿命を得て、広く人々のために法華経を説いたのです。すると、それまで軽蔑し迫害を加えてきた四衆も、六根清浄の功徳を成じた菩薩の姿に接し、法華経の説法を聴聞して信伏随従しました。
 こうして常不軽菩薩は、多くの衆生を教化して無上正覚へと導き、命終の後に日月燈明仏・雲自在燈王仏という多くの仏様に値い奉り、その間、常に五種の妙行(受持・読・誦・解説・書写)を修したことによって、ついに自らも仏果を得るに至ったのです。

 信毀罪福
 釈尊は、この常不軽菩薩が過去世における御自身の姿であり、現世において速やかに成仏の相を示現できたのも、すべて過去の法華経修行の功徳に依ることを明かされました。
 それに対して、常不軽菩薩を瞋恚の心で軽賤した四衆は、その罪により二百億劫もの長い間、仏法僧の三宝に値遇せず、初めの千劫の間は、阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けました。そして、ようやくその罪を滅し終わった後、法華経に信伏随従した功徳によって再び常不軽菩薩の教化に浴し、修行を経て仏道を成就することができたのです。
 さらには、釈尊の法華経の会座に同座し記別を与えられた跋陀婆羅をはじめとする聴聞衆が、実は過去世において常不軽菩薩を軽毀した四衆であると明かされます。これによって、法華経が誹謗者をも仏道へと導く正法であることが明確となり、釈尊は、いよいよ五種の妙行を勧奨され、さらに偈頌を説いて、重ねて仏滅後の妙法流通を勧められています。
 当品の内容から、常不軽菩薩のような正しい仏道修行によって必ず仏果を成ずること、その一方で、誹謗の四衆が長く堕地獄の苦悩を受けたように、法華経を謗る罪が非常に大きいことが明らかとなります。そして何より、法華経の下種を受け信ずる功徳によって、地獄に堕ちるほどの罪であっても滅した後には必ず仏様に値い、真の福を得るとの説相から、法華経本門の折伏行の大事が拝されます。

 本門折伏の修行
 中国の天台大師は『法華文句』において、常不軽菩薩は一切衆生に本来具わる仏性を礼拝して下種結縁し、未来成仏の因としたことを示されます。また、
「本已に善有り、釈迦は小を以て之を将護したもう。本未だ善有らざれば、不軽は大を以て強いて之を毒す」(法華文句記会本 下‐四五二㌻)
と釈されて、迹門の『安楽行品第十四』に説かれる像法時代の本已有善の衆生に対する摂受の修行に対し、本門の当品に示される忍難弘通が、末法時代の本未有善の衆生に対する折伏の修行であることを明かされています。
 したがって末法の今、私たちが一切衆生に対して行ずべきは折伏です。しかし、宗祖日蓮大聖人様が五濁悪世の末法時代に御出現あそばされたのに対して、常不軽菩薩は威音王如来の像法時代に出現されました。また、大聖人様が三大秘法、南無妙法蓮華経の五字七字を弘められるのに対して、不軽菩薩は「二十四字の法華経」を面とされるなど、同じく本門折伏の修行と言っても異なりがあります。ただし、これらの相違は、大聖人様が文底下種を旨として仏法を顕わされるのに対して、釈尊の前身である不軽菩薩は熟益・脱益を旨として修行をされたことに依るのです。
 ですから、その修行の在り方を拝すれば、どちらも悪口罵詈・及加刀杖を堪え忍ばれての、自行化他にわたる妙法弘通に他なりません。したがって、大聖人様は末法の法華経の行者として、御自身で法華身読の振る舞いを実践されると共に、当品や『勧持品第十三』を諸御書に引用されて、滅後末法における信心修行の方軌を、御在世の弟子信徒だけでなく、末法の一切衆生に御示しくださっています。
「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(御書 一三一六㌻)
とは、まさに法華折伏による順逆二縁の成仏を示された御教示と拝されます。
 前御法主日顕上人猊下は、当品御講義の砌に
「相手が疑問を持って言ってきたことに対してのみ話をするというのは摂受のほうになる。それに対して、こちらから進んで相手に説き、また伝えるのが折伏で、これがいわゆる礼拝行を道路において行ったという不軽菩薩の在り方です」(大白法 五七九号)
と、御指南あそばされています。自ら進んで行じ相手の誤りをしっかりと破折しなければ、大聖人様の御意に叶う折伏の修行とはならないのです。
 御法主日如上人猊下の、
「末法は謗法が充満し、ために多くの人々が知らず知らずのうちに悪縁に誑かされ、邪義邪宗の害毒によって不幸の境界から脱することができずにいます。こうした人々を救済していくためには、正像過時の如き摂受ではなく、破邪顕正の折伏をもってするのが最善であり、折伏こそ末法の一切衆生救済の最高の慈悲行であります」(大白法 八八三号)
との御指南のもと、いかなる難も恐れることなく、順縁・逆縁すべての人々に対して折伏を行じると共に、八十万人体勢構築へ向けて新入信者の育成も確実に推進してまいりましょう。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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