荘厳山(そうごんざん) 宝相寺(ほうそうじ)といいます。
和歌山県田辺市下万呂
平成4年6月には法華講支部が結成され、御住職のご指導のもと日蓮正宗の信仰を実践して現在に至っております。
宝相寺
平成4年法華講支部結成式
日蓮正宗とは
日蓮正宗の歴史は、建長五年(一二五三)四月二十八日に日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されたことにはじまります。
日蓮大聖人は、多くの法難に遭われながらも、法華経の肝心である南無妙法蓮華経を弘められ、弘安二年(一二七九)十月十二日に出世の本懐として「本門戒壇の大御本尊」を御図顕されました。そして弘安五年(一二八二)、本弟子六人(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)の中で、日興上人を血脈付法の第二祖と定め、大御本尊をはじめ仏法の一切を付嘱され、十月十三日に六十一歳をもって御入滅されました。
日蓮大聖人のあとを受け継いだ日興上人は、身延へ入山されましたが、地頭・波木井実長が謗法行為を重ねたため、正応二年(一二八九)の春、本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御霊骨・御書などの重宝を捧持して門弟とともに身延を離山され、南条時光の招請により富士上野の地に大石寺を創建して御遺命の本門戒壇建立の霊地と定められました。
以来七百有余年、日蓮大聖人の仏法は、一器の水を一器に写すように歴代の御法主上人の唯授一人の血脈相承をもって、今日まで日蓮正宗総本山大石寺に正しく伝持されています。
日蓮正宗公式サイト→
日蓮正宗宝相寺支部の略歴
平成24年 創立50周年記念法要
和歌山県田辺市下万呂にて
<大日蓮より抜粋>
四月二十二日午後一時より、和歌山県田辺市の宝相寺(猪又法礼住職)において、同寺の創立五十周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
同寺は、昭和三十七年五月十八日、和歌山県下二番目の寺院として、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと落慶入仏法要が奉修され、同県和歌山市の妙海寺住職・大村寿顕師(のちの常秀院日統上人)が兼務住職として就任し、吉田誠善師(当時非教師、現大阪府富田林市・善正寺住職)が留守居を命じられた。
その後、昭和三十八年四月五日に吉田師が住職に就任し、同五十三年五月十九日には、創立十六周年を記念して、納骨堂落成ならびに三師塔開眼法要が、日達上人の御名代である観妙院日慈上人の御導師のもと盛大に奉修された。
そして、昭和五十七年十二月十八日に、第二代住職として猪又師が就任し、さらなる寺域の整備・荘厳が行われた。
また、平成四年六月二十一日には法華講宝相寺支部の結成式が挙行された。
そして、このたびの五十周年の慶事を迎えるに当たり、本堂安置御本尊の御荘厳直し、御宝前仏具の補修・塗り直し、本堂内外照明の全LED化、畳替え、本堂玄関前庭園を全面改修して駐車場とし、本堂・庫裡内外装の補修、信徒用トイレの洋式化等がなされ、同日の法要を迎えたものである。
この法要には、佐藤広明南近畿布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、玉置開総代をはじめ信徒多数が参列した。
法要は、猪又住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
引き続き式の部に移り、桐本昌吾副講頭より経過報告、佐藤支院長、吉田師、堀衛総代より祝辞が述べられた。
最後に、猪又住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
小憩ののち、総本山塔中・東之坊住職の吉田道善師により「実行前進」と題して布教講演が行われた。
こののち本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。
なお、法要終了後に五名の勧誡・御授戒があり、同寺の本年度折伏誓願目標が達成された。