布教講演
支部総登山・添書登山 布教講演
埼玉県東松山市
開徳寺住職 菅 原 信 稔
(令和二年三月十七日)
ただいま御紹介にあずかりました、埼玉県 東松山市・開徳寺で御奉公させて頂いております菅原信稔と申します。
本年も早三月半ば、間もなく四分の一を経ようとしておりますが、様々な困難が伴うなか、深信の御登山を果たされましたこと、心より敬服申し上げます。
僭越でございますが、これより少しお時間を賜りましてお話をさせていただきます。限られた時間でございますが、どこか皆様の信行倍増、各支部の異体同心の向上につながるところがあれば幸いでございます。
謗法の害毒に負けない信心
さて、昨年五月に「令和」と改元されて、間もなく十カ月を経ようとしておりますが、果たして、新たな元号に込められたような 良い社会になってきているでしょうか。
現在、連日、報じられている、世界的に流行している感染症をはじめ、国内の政治や、経済、教育、またこれに伴って不安定になっている各国の国際情勢における諸問題。あるいは列島各地で頻発する災害や、人の心が荒廃するなかで絶えない凶悪事件や悲惨な事故等。
ニュースで報じられるたびに、これらの混沌とした世情を根本から改善し、真に平和な世の中を築くため、末法の御本仏大聖人様の正しい教えのもとに、私達が「立正安国」の実現を目指して立ち上がらなければならないことを深く感じます。
なぜならば、現在の世界規模での疫病も、災害も事件や事故も、すべて、正しい仏様の教えを蔑ろにする謗法が世の中に充満していることによるからであります。
宗祖日蓮大聖人は、『新尼御前御返事』に、
「大災難や大災害が起こる原因は、謗法の法師が世の中に蔓延って謗法が充満することにあり、大地震などの様々な災害や、悪性の流行病や貧困、戦争等の人災によって多くの人が命を落とす大変な時代になる。しかしこの時、妙法五字の大漫荼羅本尊を強盛に信じて、妙法の教えのままに精進する者は、天災や人災から逃れ、必ず守られる。また未来にも災難から免れることができる、と仏は説かれている」(御書七六四取意)
と御教示されています。
私自身、友人の折伏を願って、ただいま申し上げた御書の御文を添えて、手紙やメールを送っていますが、その取り組みのなかで毎回感じることがあります。
それは、ただいまの御書に、「妙法五字の大漫荼羅本尊を強盛に信じて、教えのままに精進する者は、天災や人災から必ず守られる」とありましたが、いまだ大御本尊様への信仰を志すことができず、正しい信仰を実践できないでいる人々はどうなってしまうのだろうか?
あるいは、創価学会や顕正会、正信会等の異流義に洗脳されて、大御本尊様への信仰と真逆の方向に進んでいる人はどうなるか?
大御本尊様を強盛に信じて御指南のままに仏道修行に励むことができる私達と、大御本尊様との因縁を疎かにする人々とでは、その果報に、大きな違いが生じます。
そのことを弁えて、大御本尊様を根本に、謗法の害毒に負けない信心を身につけ、正しい精進に徹する大切さを感じます。
護法の功徳力 ~折伏の功徳~
仏様の願いは、一切衆生に苦しみを乗り越えさせて成仏に導くことにあります。また世の中の安穏はその積み重ねの上に必然的に整ってまいります。
もし今、世の中が安穏でないならば、一切衆生が仏様の正しい教えを蔑ろにしているからにほかなりません。
そのような状況を止めて、人々の命を妙法の功徳によって浄化していくことこそ、仏様の本意であり、その仏様の御心に添い奉り、衆生救済のお手伝いをさせて頂く最高の仏道修行が折伏であると拝します。
折伏を実践するなかで、大切なことは、相手の方が一見、幸せそうに見えても、誤った宗教や信仰によって不幸に陥ってしまうことをはっきりと教えて差し上げること、すなわち破邪です。
同時に、苦しみや悩みを根本から解決して、正しく乗り越え、揺るぎない幸せを築くには、日蓮正宗の信仰以外にないことを、確信を持って伝えること、すなわち顕正です。
この「破邪」と「顕正」の両方を、相手を選ばずに伝え抜いていくところにこそ、仏様の教えを護り、正法を弘める折伏であります。
なかには、長年、折伏をし続けて来たために「今は、なかなか折伏する相手がいない」という方もおられるかも知れません。
また特に本年「御命題達成の年」として、名実共に御命題達成を目指すなかで、つい、結果に焦る生命に執われてしまうと、どうしても折伏しやすい人や信心の話を穏やかに聞いてくれる人を探すことに明け暮れてしまって、行き詰まっている方もおられるかも知れません。
あるいは、一番に大御本尊様の大切さを伝えてあげなければならない人や、本当に救ってあげたい大切な人への折伏をあと回しにしてしまう場合もあるかもしれません。
そんな時こそ、御先師日顕上人の、
「一切を開く鍵は唱題行にある。そこに僧俗一人一人の現在の位置と人格をめぐって、不思議な折伏教化の因縁がおのずと顕れる」
(大日蓮・平成十一年一月号)
との御指南を拝して「私にも折伏のお手伝いをさせてください」と祈り、唱題を続けて頂きたいと思います。
また具体的な折伏の縁については、御法主日如上人猊下が、
「自分自身を取り巻く人々のなかには、学校や職場での仲間や先輩・後輩、なかでも親友と言われる人、様々な恩恵を受けた人、お世話になった人、苦楽を共にして歩んできた人、身近なところでは両親・兄弟・子供、親類縁者、色々な人がいると思いますが、そのなかで未入信の人がいたら、そして、その人の真の幸せを願うならば、何を差し置いても折伏すべきであります。」
(同・平成二二年九月号)
と仰せられた御指南を繰り返し拝読しながら、縁ある方の幸せを願い、自分自身の過去世の罪障消滅のためにも、折伏の足を止めないで頂きたいと思います。
末法という時代は、仏様の教えに背く謗法が蔓延している状況です。そのため、大聖人様は、
「折伏に動くならば、必ず憎まれる」
(阿仏房尼御前御返事・御書九〇六取意)
と仰せです。
しかし大聖人様は、謗法の人から憎まれるということは、仏法の深い道理の上から見れば、
「過去世から現在に至るまで、自らの命に、積み重ねてきた謗法の罪障を、今世で正法を護持して折伏を実践することにより、憎まれる等の軽い苦しみとして受けることができる。その軽い苦しみを乗り越えることによって、謗法の罪障を消滅できるのである。これこそ、護法の功徳力、つまり折伏の功徳である」
(兄弟抄・同九八一取意)
と御教示くださっています。
衣座室の三軌 ~折伏の心得~
また大聖人様は、どうすれば折伏が進むのかということについて、法華経法師品に説かれる「衣座室の三軌」を通して御教示されています。
衣座室の三軌とは、如来の室に入り、如来の衣を著て、如来の座に坐すという、正法を弘めていく時の三つの心得です。
如来の室に入るとは、折伏に当たって、相手を選ばずに一切衆生を救う大慈悲心を持つことです。
如来の衣を著るとは、いかなる相手にも、正直な心で法を説き、どんな批判や迫害にも耐え忍ぶ心を持つことです。
如来の座に坐すとは、一切の煩悩に執われず、世俗の欲得に執われずに法を説くこと。不自惜身命、つまり命を惜しまずに折伏をすることです。
御法主上人猊下は、平成十八年の夏期講習会で衣座室の三軌に関して御講義された際、
「折伏をするときには、まず大慈悲心を持つこと。そして、どのような非難・中傷、迫害にも耐える強盛な信心を持つこと。そして命を惜しまないという勇気をもつこと。この三つを持って折伏に臨むべきである(中略)折伏ができないというときには、この『衣座室の三軌』をもう一度、振り返ってみる必要があります。本当に自分に勇気があったのか。あるいは本当に相手を救おうという心があったのか。あるいはどんな非難・中傷にも耐え、途中で諦めない心があったのか。これらを一つひとつ反省していけば、どこかに自分が折伏についてつまずいた原因が見出だせるのです」(折伏要文一〇)
と御指南されました。
この衣座室の三軌を常に心得て、飽くなき折伏の実践を続けていくならば、仏様の加護によって折伏の対象者の命を動かし、応援してくれる人にも恵まれ、次第に折伏の縁が広がっていくことも、法師品で説き明かされています。
もし、今まで実践してきた折伏のなかで、そのようになっていないとすれば、この衣座室の三軌のうちのどれかが欠けているのではないか、と振り返る必要があると拝します。
異体同心の団結力
昨年の流行語大賞は「ワンチーム」でした。
この言葉は昨年、日本で開催されたラグビーのワールドカップで、日本代表チームが合言葉として掲げていた言葉で、大会中の日本代表選手の躍進する姿に、多くの国民が興味を持ち、感動しました。
実は、私も昔、ラグビーをやっていました。
試合中、果敢にプレーするなかで、身体と身体が衝突するなど、危険の伴う過酷なスポーツだからこそ、「One for all, all for one(一人はみんなのために みんなは一人のために)」という言葉を心掛け、お互いを信頼し合って、困難に立ち向かう団結力を磨いています。
今、広宣流布という仏様の大願成就を目指し、明年に迫った令和三年の御命題達成に向かって取り組む私達の折伏実践においても、様々な場面で異体同心の団結が問われています。
日々の実践の上で考える時、大聖人様が私達末法の一切衆生の成仏のために大御本尊様を顕され、広宣流布の実現を御遺命されました。この大聖人様の深い御心を忘れずに、私達は大聖人様への御報恩謝徳のために、一日一日を真剣に過ごせているかどうか。
御法主上人猊下は、私達が本当の信心を実践して功徳を享受できるように、御命題をくださっております。この御法主上人猊下の御慈悲にお応えするために、御指南を日々の指針と捉えて、飽くなき精進に努めているかどうか。
各寺院に御法主上人猊下の御名代としておられる御住職が、日頃、御法主上人の御指南を正しく実践して喜びに満ちた信心に励めるよう御指導くださっておられると存じます。皆様の信心の向上と、各支部の誓願達成と地域広布を誰よりも真剣に考え、お心を砕かれている御住職様の御指導を素直に受けて信心向上できているかどうか。
各支部で一緒に信心にしておられる方々との深い因縁を大切にして、お互いに思いやり、信頼し合い、また切磋琢磨し合うなかで、喜びと感謝の命で正法弘通の実証を現せているかどうか。
そのように日常の様々な場面において、私達一人ひとりが広宣流布の実現という目標を目指し、明年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の御命題を成し遂げるために、心を一つにして団結していく時には、どれほど困難に思える目標でも、着実に成し遂げていくことができると確信いたします。
大悪をこれば大善きたる
現在、新型コロナウイルスの対応として、宗門をはじめお寺の行事が流動的になっています。当面は普段と異なる状況になることが予想されますが、このことによって信心に懈怠や緩みがあってなりません。
今日の総罰とも言える世相は、日蓮大聖人御聖誕八百年の前に現れた大悪であると考えられます。
御存知の方もおられるかと存じますが、今から百年前の大正九年(大聖人御聖誕七百年の前年)の当時、スペイン風邪が世界的に流行し、世界を不安に陥らせました。
しかし、そのような激動の世情のなかでも、第五十六世御隠尊日應上人、第五十七世日正上人の御教導と陣頭指揮のもと、宗門の僧俗が団結して、正法を守り抜かれた史実がございます。
「大悪をこれば大善きたる」
(大悪大善御書・御書七九六)
の御金言を深く拝し、今こそ御法主上人猊下の御指南のもと、僧俗一人ひとりが末法出現の御本仏日蓮大聖人の御聖誕八百年に巡り値える因縁を噛みしめ、今この時だからこそできる折伏に真剣に取り組み、障魔に負けない強靱な信行を磨く重大な時と捉え、共々に精進してまいろうではありませんか。
皆様の御健勝とますますの御精進を重ねてお祈り申し上げまして、私の話とさせて頂きます。
御清聴、誠に有り難うございました。
(『妙教』令和2年7月号 54~59㌻)