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御命題達成に向い自他共にお題目を強盛に唱えて折伏実践を

布教講演
全国布教師妙顕寺住職 竹内雄寧御尊師  総本山御大会(於御影堂)

本日、布教講演を務めさせていただく、富山県富山市・妙顕寺住職の竹内雄寧でございます。
 本年は、平成二十一年の夏、七万五千名大結集総会の御に賜った「法華講員八十万人体勢構築」への闘いが開始されてから、ちょうど十年の節目となります。そして、御命題達成まであと一年余の「勇躍」を誓い「大前進」すべき年であります。
この麗しき令和を迎えた新しい時代の幕開けに、御大会参詣の福徳を積み、いよいよの立正安国の御理想実現へ向け、共々に誓いを立てることができました日本全国、並びに世界各国の代表信徒の皆様方、まことにおめでとうございます。
ご承知の通り、総本山第六十七世前御法主日顕上人猊下が、九月二十日に御遷化あそばされました。
 日顕上人は、昭和、平成、そして令和の時代に、私たちに多くの御指南を残してくださいました。その中で特に強く御指南くださったのは、「御題目を唱えなさい」ということであっだのではないかと、私は拝察申し上げる次第でございます。
 そこで今から、令和三年への折伏推進がさらに加速するよう、また、本年の折伏がお一人でも多く成就できますよう、お話をさせていただきます。

仏道の基本は勤行・唱題の姿勢
 私は今年、縁あって、僧侶になるための出家の儀式である「得度式」に出席させていただきました。御法主日如上人貌下大導師のもと、六壷において厳粛に執り行われました。
 読経と唱題が如法に進められた後、御法主上人貌下から、得度者一人ひとりに対してお数珠とお経本が授与され、「数珠を大切にせよ」と、出家して初めての御指南を賜っておりました。
 その後、お数珠の正しいかけ方、合掌の姿勢、御本尊様の拝し方、合掌の手は口のほうやお腹のほうで合掌するのではなくて自然な形で脇をつける等、細やかな御指南がございました。
 そして御法主上人猊下は、得度者に、
  「御題目を唱えるときは、姿勢を正すことが一番肝心である。御本尊様の『妙』の字辺りをしっかり拝すること。これからの僧道を全うするためには、勤行と唱題の『姿勢』が一番根本となる(趣意)」と、信心を貫き通す一番の根本は「御本尊様を拝する姿勢である」ということを仰せくださったのであります。私は姿勢に関しては注意して臨んでおりましたが、この厳粛な場において「一番根本となる」という御言葉に、ハッとさせられました。
確かに世間でも、躾として姿勢を正すことが何事にも大切であると言われますし、姿勢を正すと、脳にも身体にも心にもよいと言われております。
 スポーツの世界や習い事の世界においても、「基本は正しい姿勢である」と言われます。姿勢が悪いと気持ちも入らず、よりよい成長がみられないからだそうです。見渡してみると、ピシツと、正しい姿勢をしている不良など存在しないと思います。
 ですから、「正しい姿勢でしっかりと御本尊様に向き合うことが大事だ」と強く、再確認させていただきました。
 漠然と手を合わせるのではなく、しっかりと御命題の達成や自分自身の誓願達成を願い、心を込めて真剣に祈ることが大事であります。心ここにあらずで、御題目を義務的にタラタラと唱えても意味がないのです。信心年数が長く、ご信心の深い方々には当たり前のことですが、今一度、再確認していただきたいと思います。
 キチツとした姿勢で拝んでいらっしやる方は立派な方が多く、その座っている姿形は、ご自身の今の境界そのものを顕わしているものと思います。
妙法五字に帰命する。つまり、妙法蓮華経に命を捧げる気持ちで勤行と唱題の実践をいたしましょう。
 「御題目を唱えること」を導いて御遷化あそばされた前御法主日顕上人猊下は、平成十一年「新年の辞」にて、
「一切を開く鍵は唱題行にある」(大日蓮六三五号)
と御指南あそばされました。また、
「かぎりなく 境涯ひらく題目を常にとなえつ 広布目指さん」(同六三七号)
との御歌を詠まれました。
この御歌について日顕上人は、我々僧侶に対して、
「唱題というものの深さを、たとえ幾分なりとも方便の歌の形でみんなに解ってもらえればと思って作ったのであります」(同 六三九号)
「体験の上からも『唱題こそが間違いなく幸せになっていく唯一の道である』ということを人に向かって、確信を持って話ができるからである」(同)
と御指南されております。
 また、平成二十八年八月には、
  「新しく入信された方々に、『御題目の功徳は絶対である』ということを必ず教えてもらいたい。そのためにも、それぞれの僧侶が、『御題目は大切である』『大功徳がある』ということを再度自分自身体験し、確信をもって御信徒に徹底して伝えてもらいたい(趣意)」
と御指南され、
「御題目を唱えることを導いていただきたい。御題目を唱えて他を導いていただきたい(趣意)」
と、力強い御声でおっしやってくださいました。これは、この御指南を賜った時の私のメモによるものですが、今でもその御声が脳裏に焼き付いており、「御題目を唱えることを導いて」という御言葉が、私の胸に強く突き刺さっております。
 そして御法主日如上人猊下は、日顕上人の御歌の御言葉を引かれて、次のように御指南されておられます。
 「まさにかぎりなく境涯を開く題目を、一生懸命に唱える。そして常に唱えつつ、その同時進行で、広布を目指すとは折伏するということです。つまり折伏しなくてはだめだと言っておられるのです。だから、これが唱題だけで終わってしまっては意味がないのです」(大白法 七二I号)
と。また、
 「唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります」(同 七八一号)
 「たとえ信ずる心があっても、実際の行がなければ、功徳を成ずることはできません。また、唱題等の修行があっても、その根底に信心がなければ成仏はいたしません」と御指南されております。      
 唱題行と折伏行は一体であり、信じる心と御題目を唱える行の二つが揃わなければ、功徳を戴くことも成仏もできないのでありますから、大聖人様の御教え通り、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書  七一八ページ)
の精神で、御題目を唱えて御祈念し、行動することが大切です。強い願いで御祈念すれば、覚悟が決まります。覚悟が決まれば行動に移せると思います。
この行動こそが必要であります。唱順行を中心に正しく信心を実践された方は、功徳の体験をたくさんされていらっしやいます。
 
功徳の体験は宝

 我が支部で、三十代の女性が入信されました。
 人間関係等に思い悩んでいた彼女は、御題目を初めて聞いた時に、真っ暗闇にいた自分が輝いた光に照らされたように感じ、目の前が明るくなったように思えたそうです。そして、早朝勤行と唱題を毎日寺院で実践する中で境涯が変わっていき、考え方やとらえ方が変わって大きな功徳を戴いたと言うのです。彼女は、その功徳を大事な親族や友人に語り伝え、身内を含めて十数人の方々を入信に導かれました。
 また、自営業をされている五十代男性は、景気が悪くて従業員に給料を支払えない状態が続き、土壇場に追い込まれていました。彼は、仕事と生活中心の信心を反省し、信心中心の生活で強盛に御題目を唱え真剣に御祈念したのです。
すると、大きな仕事が入り経営が潤ったというのです。 
また私自身も、大きな体験をしたことがあります。
先に得度をしていた兄を追いかけ、自分も得度したいと願っていた十代の頃、私の母が脳腫瘍になりました。母は、四十九歳でした。後頭部に、小さな手を広げたくらいの大きさで、紅葉に似たような形の脳腫瘍が見つかりました。
医師から、手術後は「死ぬか、植物人間になるかもしれない」と宣告を受けました。
私は「これは得度をさせないための病魔である」と自分自身に言い聞かせました。父の願いで総本山ですぐさま御秘符を賜り、毎晩、涙を流しながらも真剣に家族全員でお題目を唱えました。
その結果、手術直前には不思なことに脳腫瘍が親指ほどに縮小しておりました。
十に時間に及ぶ大手術でで十六センチ切開し、腫瘍はすべて摘出。手術は無事、大成功に終わりました。全く後遺症もなく、今では医者に、「どこも悪くない」と言われるほど、母は元気に過ごしております。
体験は「宝」です。忘れることのできない信心の財産であります。
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」(同 三六〇ページ)
御題目の功徳はすべてを蘇らせる。つまり、身体や生命をも輝かせる功徳あるのです。
 「妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり」(同 二三〇ページ)
との御教示の通りです。御題目の実践がなけらば功徳の体験を積むことは絶対にできません。そして、功徳の体験した方は、強い確信を得ることがでるのです。
皆様方も、御本尊様からたくさんの功徳を頂いたのではないでしょうか。
だからこそ今、御大会に参詣されていらっしゃるのではないでしょうか。

歓喜こそ大事

 確かに法華講八十万人態勢構築への折伏戦は、たいへん厳しい闘いです。
活動することによって、辛いことや嫌なこともあると思います。時には魔に負けそうになって、「今日はお寺に行きたくないな」「活動したくないな」と、信心の歩みを止めようと思ったこともあるでしょう。折伏が成就できなくて、苦しんだり落ち込んだこともあるでしょう。
 でも、御題目を唱え正しい折伏に挑んだ方には、計り知れない大きな功徳があります。折伏が成就できなかったとしても、入信を断られたとしても、下種仏法ですから毒鼓の縁となって必ずいつしか種から芽が出るんです。
ですから、折伏や育成に「意味がなかった」や「無駄であった」ことなどないのです。この十年間の闘いで植えてきた下種の芽は、必ず出ます。そして、必ず花が咲きます。
 我々が「如来の使となり、如来の所遣として、如来の事」を行ずる命で精進し、本気で祈って本気で動くならば、仏様が折伏をしてくださるのです。
相手によっては時間はかかるかもしれませんが、必ず下種の芽が出て、花が咲くのです。
 御本尊様は皆様のご信心や心を、すべて御照覧であります。よいことも悪いことも、御題目を唱えているのなら、すべてが御仏智、全部が善知識なのです。
 折伏対象者を教化すれば、相手だけではなく、自分も成長させていただくことができます。人を救う闘いは結局、自分が救われるんです。そして、喜びを自他共に味わえるのであります。
よって折伏や育成は苦しいものではありません、楽しいものであります。
  「南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり」(同一八〇一ページ)
  「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(同一七七四ページ)
と大聖人様が御教示の如く、自分自身が御題目の功徳を体験して、「喜びある境界」にならせていただくのです。
そして、
 「自行若し満つれば必ず化他有り」(御書文段 219ページ)
確かに、法華講員八十万人体勢構築 と仰せの通り、「普段着の折伏」と「普段着の育盛で功徳の体験をありのまま多くの方に伝え、喜びを分かち合っていけるのです。相手に「勤行・小題・折伏」等を強要するのではなく、はなく、その方が行動に移したくなるよう親切に丁寧に、信心のすばらしさや、喜びの姿を見せていけばいいのです。
 想像してください。小さな子供に、楽しそうに笛を吹く姿を見せると、「貸して!」と手を伸ばしてきます。
 また、子供はゲームを夢中になってやります。「ゲームをやれ!」と誰かに言われてやってはおりません。楽しいから自主的にします。苦しいとは思っていません。楽しいから、自然とやりたくなるのです。 
 信心も同様で、自身が御題目の力で元気に明るくなれば、顔や目や声は功徳で活き活きとします。そして、仕事や家庭や生活が充実している姿を家族や多くの友に見せていけば、折伏も育成も法統相続も、スムーズにできると確信する次第であります。
 どうぞ「辛いときに側にいてくれた人」「一緒に泣いてくれた人」「落ち込んでいるときに助けてくれた人」「愛してくれた人」「一緒に笑ってくれた人等、皆さんの大切な方々に、御題目の尊さを伝え折伏をして差し上げてください。
題目を真剣に唱えている人は、同じ言葉でも生命力あふれる魂のこもった言葉を発することができ、相手の心を揺さぶることができるのです。すべては唱題行から始まります。

破邪顕正の慈悲行
 今、宗門は、大聖入御聖誕八百年の大佳節に御報恩申し上げるため、法華講員八十万人体勢の構築に向かって勇躍前進しております。
 この闘いの完遂には、折伏をして法華講員を増加させることが鍵となります。
名簿上の講員数が八十万人になることが目標ではありません。「御題目は大切である」「御題目を唱えると大功徳がある」ということを確信し、その功徳を「多くの方に伝えたい」と行動を起こす広布の人材が八十万人となる闘いをしているのであります。
 御法主日如上人貌下は、『立正安国論』の、「早く天下の静謐を思わば須らく国中の謗法を絶つべし」(御書二四七ページ)
また、
  「人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す」(同 九二〇ページ)
等々、数々の大聖人様の御教示に基づかれて立正安国の御精神を体し、一切衆生救済の大慈悲行である破邪顕正の折伏戦を打ち出されました。そして、世を安寧にするために、この「八十万人体勢構築」との大目標を我々に命じてくださったのであります。
近年、国難とも言える数々の災害が頻繁に勃発しております。特に今年は多くの災害が起こりました。また、人心は荒廃し、自殺死亡率は世界の中でも最も高いとされています。
虐待や不登校もなくならず、いじめの数や人口減少は過去最多との報道が数多くされている今日この頃の日本であります。これら災害や不幸の原因は、謗法の害毒であります。依正不二の原理から明らかであります。

真の折伏は即、育成

だからこそ謗法を破折して、今までの宗教を改宗させ、「他のお経は唱えてはいけないよ」「南無妙法蓮華経の御題目を唱えると必ず幸せになれるよ」と教化る「真の折伏」が、急務なのであります。このような時こそ、
  「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき」(同 一三一四や)
との如く、僧俗和合・異体同心で祈り、真の折伏を実践すべきであります。
「御授戒の儀式だけを受けさせる」のではなく、しっかり破折して、「御題目を唱えることを教える」ことを忘れてはなりません。御授戒後、この「御題目を唱えること」を皆で共に実践していけば、即、育成へと繋がります。このことを踏まえれば、御授戒に至るまでの「折伏の仕方、折伏の方法」が見えてくるのではないでしょうか。
 よって、御授戒を受けて入信に導いたのであれば、自宅で勤行と唱題ができるように、御本尊様の御安置を勧めていくことが大切であります。
 総本山第二十六世日寛上人は、加賀、金沢の信徒・福原式治氏に与えた書状の中で、
  「本尊等願いの事之れ有るにおいては遠慮なく申し遣へし(中略)たとへ授戒候とも本尊なくは別て力も有ましく候」(福原式治への御状)と仰せであり、御本尊様をお受けすることが最も大きな功徳となるのです。
 また、御法主上人猊下は、
 「折伏とは、折伏をして、初めて折伏と言うのであります」(大白法一〇〇二号)
と御指南であります。
 御授戒を受け入信しても御題目を唱えないことは、学校に入学しても登校せず勉強しないのと同じ、病院から薬をもらっても飲まないのと同じであります。せっかく謗法払いをして、御授戒の際に「幸せになりたい」と願つて入信されたのですから、親切に丁寧に根気よく、御題目の尊さを教えて御本尊下付を推進するべきであります。
 日蓮正宗は折伏の宗旨です。「自分だけが幸せになればいい」という宗旨ではありません。
 御法主上人猊下は、
  「大聖人の教えは自行化他の信心であり、なかんずく、折伏を忘れた信心は存在しない」(大日蓮 八八〇号)
と御指南です。今、この時、「何のために信心をしているのか」「何のために御題目を唱えるのか」を思い出し、異体同心して折伏と育成をしていこうではありませんか。
 
八十万人体勢構築と私たち

「法華講員八十万人体勢構築」の御命題達成は、仏様とのお約束であるために、広宣流布に向かって我々は毎日、必死でがんばっているのです。
 しかし、大切なことを忘れてはなりません。私たちの究極の目的や目標は「一生成仏であります。つまり、自分自身の境界(涯)を開くため、幸せになるために信心をしているのです。そのように信心をしている、すばらしき境界(涯)の方々が二人・三人・十人・百人・千人・万人と、一人ひとりが歓喜することによって八十万人の精鋭が構築されていくのであります。
 このことが、日如上人猊下の御指南にお応え申し上げる法華講員八十万人体勢構築の真意ではないでしょうか。
 さあ、皆さん。御本尊様はすべて御照覧です。信心をしている私たちが全員力を合わせて異体同心し、自分の心を中心にするのではなく、大聖人様に心を合わせて立正安国と破邪顕正をしてまいろうではありませんか。そして、御法主日如上人猊下の御真意に心合わせて御題目を強盛に唱え、折伏と育成をしてまいろうではございませんか。
 皆さん。いかがでしょうか。折伏は断られてからが本番です。折伏は命と命の闘いです。本年はあと、本日を入れて四十一日あります。がんばってまいりましょう。
 以上、皆様方のさらなる折伏躍進とご健勝を心からお祈り申し上げ、私の話といたします。
 ご清聴まことにありがとうございました。 

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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