光明
七月・八月に行われているお盆は、目連尊者が餓鬼道に堕ちて苦しむ母を聖僧への供養によって救った説話(盂蘭盆経) に由来している。
聖僧とは、正法を持つ僧のこと。
つまり末法においては、本因妙の教主・宗祖日蓮大聖人が顕わされた大白法を伝持なされる御法主上人のことであり、大聖人よりの法脈に連なる日蓮正宗の御僧侶のことである。
正しい相伝の上から『盂蘭盆経』を見れば、亡き先祖を救うためにも文底下種仏法の三宝に帰依することが説かれているのである。
日蓮正宗ではお盆の時期に、寺院の盂蘭盆会に参詣することに併せて、御僧侶を自宅にお招きして、真心からの報恩感謝の法会 (盆経)が行なわれている、
古来、法華講の先達方は、如何なる苦境や困難に陥っても、常に妙法受持の福運に感謝を持ち、師弟相対の筋目を正して、活力に満ちた幸せな境界を確立されてきた。この清らかな求道心と 報恩感謝の精神の表われの一つが、今日の盆経といえる。
各家庭の御宝前で奉修の経は、日頃の寺院参詣ではできない近況についての話や、法統相続のこと、一家和楽の信心の確立など、正法聴聞の功徳に浴し信行を磨く貫重な機会となっている。
そして、各家庭の信心の成長こそが、磐石な講中の基盤ともなるのであるから、盆経は大きな意義を持っている。
されば、最運房御返事』には、
「我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ」(御書 五八八ページ)
と仰せられている。
コロナ禍の中で様々な状況はあるが、追善供養のため、折伏・育成のため、一家和楽の信心と法統相続の功徳を成
ずるためにも、夏の熱さを跳ね除ける歓喜の信心をもって精進してまいろう。