光明
総本山は今、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝の記念総登山に湧いている。
日本国内のみならず海外からも純篤なる僧俗が登山参詣し、まさに慶祝登山の名にふさわしい歓喜が山内に満ち満ちている。
中でも海外の方々には、これまで日本へ入国することすらもままならない状況であったが、パンデミックの沈静化に伴って大幅に規制が緩和されたため、心おきなく登山できる状況が整った。
新型コロナ感染症の始まりから数年にも及んで、一体どれほど総本山を渇仰恋慕されてきたことであろうか。驚く強く募らせた思いに比例して、ようやく総本山へ登山参詣できた笑顔が爆発していることは想像に難くない。
誠に尊い姿だが、慶祝の意義をさらに充実ならしめるのは、各々の精進いかんであることを見過ごしてはならないと思うのである。
大聖人は『諌暁八幡抄』に、
「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」(御書 一五三九)
と示され、『御義口伝』には、
「大願とは法華弘通なり」(同一七四九)
と仰せられている。
大聖人の願業が妙法広布に尽きることは、宗門人なら誰もが拝している。
ならば、大聖人への真実最高の御報恩行は、我ら令和の僧俗が、力の限り妙法広布に邁進することに存しよう。これを蔑ろにして仏恩報謝を語ることはできない。
自ら唱題に励み、誓願へ向けて折伏に努め切る。 本門の題目行を徹底し尽くして慶祝登山に参加したならば、御報恩の意義は弥増すことであろう。そこに具わる功徳は計り知れない。
己の精進は御本尊が見そなわされている。その御照覧に恥じることなく、健気に正直に、自行化他の勇猛精進に全力を注ぐことこそ、御聖誕八百年を荘厳する信心修行に他ならない。
一人ひとりの日々の実践が、真の仏恩報謝になると心得て、さらに力強く挑んでいこう。
(妙叡)