(令和4年10月2日 於 総本山客殿)
日如上人猊下お言葉
本日は、本年十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には新型コロナウイルス感染症の勢いがいまだ止まず、各所で様々な障害が出ているなか、万難を排し、信心強盛に唱題会に参加され、まことに御苦労さまでございます。
さて、皆様も既に御承知の通り、本年「報恩躍進の年」は、記念局のポスターに「今こそ 折伏の時」と銘記されているように、私ども一人ひとりが断固たる決意を持って立ち上がり、一天広布へ向けて全力を傾注して折伏を行じ、誓願達成へ向けて御奉公の誠を尽くしていかなければならない、まこ
とに大事な年であります。
特に新型コロナウイルス感染症が蔓延している今、私どもは改めて大聖人様の『立正安国論』の御聖意を拝し、一人ひとりが身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、決然として折伏を行じ、この難局を乗り越えていかなければなりません。
法華経見宝塔品を拝しますと、
「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す 諸仏も然なり」(法華経 三五四ページ)
と仰せであります。
この御文は、六難九易に続いて説かれた偈文であります。すなわち「この経を受持することは難しいが、もししばらくでも受持する者があれば、仏は大いに喜び、他の多くの仏も同様に喜ぶであろう」と仰せられているのであります。
まさしく、この御文は妙法信受の功徳がいかに大きいかを示唆されている日本をはじめ世界中が新型コロナウイルス感染症によって混沌とした状況を呈している時、私どもは一人でも多くの人に対し、異体同心・一致団結して折伏を行じ、一天広布へ向け全魂を傾けて折伏を行していかなければならないと思います。
大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「修行に摂折あり。 摂受の時折伏を行ずるも非なり。 折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は比の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、 五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違は得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし」(御書四〇二)
と仰せであります。
されば私ども一同、改めてこの御文中にお示しあそばされた「邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし」との御金言を拝し、特に今日の如き、新型コロナウイルス感染症によって世界中が末法濁悪の世相そのままに騒然とした様相を呈している今こそ、私ども一人ひとりが断固たる決意を持って立ち上がり、一人でも多くの人に対して折伏を行じ、もって一天広布に向けて、たくましく前進すべき最も大事な時であることを知り、異体同心・一致団結して、いよいよ折伏に励まれますよう心から願い、 本日の挨拶といたします。
(大白法令和4年10月15日号より転載)