創価学会
去る平成二十八年十一月、とんでもない言葉が聖教新聞の見出しに載った。驚くなかれ「創価学会仏」
である。
彼らはその言葉の出所を、戸田城聖氏の指導からと説明する。
「創価学会それ自体が『仏の存在』」
「未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」
という趣旨の内容が、昭和三十七年十月十八日付の聖教新聞に、伝聞として座談会記事で、池田大作の口からのみ発せられている。
どうして、それから六十年近く経って引っ張り出し、最近になって言い始めたのか。
それは、「創価学会」 そのものに意味を持たせるために、自分たちの存在を仏と公言する必要が出てきたのだろう。
創価学会は仏に非ず
言うまでもなく、架空の仏を作り出す想像力豊かなこの妄想は、仏教の本義に背き、日蓮大聖人の仰せを無視した邪義である。
ちょっと破折を加え、会員の目を覚ます一助となることを願う。
まず「創価学会それ自体が仏」について、池田大作はその裏づけとして、法華経に説かれる威音王仏になぞらえている。
「(威音王仏の名の) そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、ひとつは教団があったともいえる」(聖教新聞 昭和三十七年十月十八日付)
と。あたかも威音王仏が教団の代表名であるかのごとく解釈しているが、威音王仏は法華経『不軽品』 に、
「威音王仏の寿は、(中略)是の如く次第して、二万億の仏有す。皆同じく一号なり」(法華経四九八)
と、同じ名号の仏が二万億も出現したと説かれているではないか。 法華経を素直に読めば誰にでも判る。
よって、威音王仏が代表の人物や教団・会を意味することはない。また、そうした文証があるはずもなく、したがって創価学会=仏とはならない。
本仏は日蓮大聖人お一人
次に「未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」との妄説について。
未来の経典が存在するということは、それを説く新たな仏が、未来の娑婆世界に出現することを意味する。
しかし、涅槃経には、
「一国に大王が二人いることがないように、一仏国土には一仏のみで二仏が出世することはない
(趣意)」(大正蔵)
と説かれ、『真言天台勝劣事』には、
「一代五時を離れて外に仏法有りと云ふべからず。若し有らば二仏並出の失あらん」(御書四五〇)
と仰せである。未来の経典
を説くであろう仏が、この娑婆世界に出現することは断じてない。
迷妄破る慈悲の折伏を!
『報恩抄』に、
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年のだ外未来までもながるべし」(同1036ページ)
とと仰せの通り、末法万年尽未来際に亘り、仏は大聖以外に存在しえないので、学会の言う未来の経典も仏も、虚構の産物である。
ここに、総本山第六十六世日達上人の御言葉を拝し、止めを刺すことにする。
「天に二つの日があるはずなく、また、一国に二人の王はない。同様に、一人の仏が化導をするその範囲は、ただ一人の仏であり、二尊の号はない。大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様である。
最近あるところでは、新しい仏ができたようなことを宣伝しておると聞いたが、たいへん間違ったことである。
もし、そうならば日蓮正宗の信仰ではない。大聖人様以外に本仏があるなどと言ったならば、これはたいへんなことである(趣意)」(蓮華三七号)
仏法とはおよそ異次元の文証なき邪説を「会憲」や「会則」に盛り込んだ今の創価学会に、ぴたり
と当てはまる、万古不易の御指南である。
慈悲の折伏をもって会員たちの迷妄を破り、一人でも多く正法へ帰伏させるため、折伏を行事テイク時である。
(大白法令和5年11月1日号より転載)