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②「根本の御本尊」と「御書写の御本尊」との立て分けを否定する大罪

 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 次に、原田会長は、
「特定の戒壇に安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという本尊観は世界広布を阻害する」(取音・本書138頁参照)
と言っています。
 ここで創価学会は、本宗本来の教義である、宗祖直筆の漫荼羅御本尊や御歴代上人の御書写による御本尊は、すべて本門戒壇の大御本尊を根本としなければならないという鉄則を、真っ向から否定したのです。
 創価学会は、平成三(一九九一)年に宗門から破門されて以来、さまざまな異説・邪説を唱えてきましたが、本尊義に関しては従来どおり、本門戒壇の大御本尊を根本の御本尊としてきました。しかるに今回、初めて根本の御本尊と御書写の御本尊との立て分けを否定し、暗に本門戒壇の大御本尊が根本の御本尊ではないと表明したのです。
 日寛上人は、本門戒壇の大御本尊と御歴代上人御書写の御本尊との関係について、次のように指南されています。
「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(法華取要抄文段・文段五四三頁)
 すなわち、広宣流布の暁には一閻浮提の寺々に御歴代上人御書写の御本尊が安置される
が、これらの御本尊は根源の御本尊に対する枝流の御本尊であり、その場所は義理の戒壇に当たる。これに対し、根源の御本尊は本門戒壇の大御本尊であり、その所住の処が事の戒壇に当たる、との文意です。
 この御指南からも、根本の御本尊と御書写の御本尊の立て分けを否定する創価学会の言い分か大謗法であることは明らかです。
 さらに、原田会長は、
「あたかも”電源と端子”の関係であるかのような本尊観は(中略)かえって世界広布を阻害するものとなりかねない」 (本書138頁参照)
とも言っています。
 しかし、創価学会発行の『折伏教典』には、似たような譬えを用いて、次のように説明
しています。
「電灯にたとえて考えてみると(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」 (該書改訂二三版三一三頁)
また、第六十六世日達上人は、
「戒壇の御本尊の、又、写しが、各末寺の御本尊であり(中略)また各家の御本尊である。だからそこに戒壇の御本尊の、大聖人様の血脈が、正宗を信心する皆様の中に皆伝わっておるのでございます。その根本たる戒壇の御本尊を忘れてしまったならば、いかに信心しても、大聖人様の血脈は通じてこない」(達全一―ニ―二五六頁)
と指南されています。

さらに、第二代戸田会長も、
「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。
 弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(戸田城聖全集四―三五〇頁)
と指導しています。

 創価学会は、自らが長きにわたって信条としてきた、根源の御本尊と枝流の御本尊とに立て分けがあることを指して、「世界広布を阻害する」と否定しました。
 自分達の都合によって信条をいとも簡単に覆す宗教団体が、世界の誰から信用されるというのでしょうか。
 むしろ、このような創価学会の体質こそ、「世界広布を阻害するもの」と断定します。

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