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中興の祖「戸田城聖」の長男没して未亡人が語った「創価学会と無関係」  

創価学会
『週刊新潮』2013年2月14日号によると以下。
創価学会からすれば、動揺が避けられず、ひた隠しにするほかなかった。年明け早々、2代会長「戸田城聖」の長男が没した。本来、学会あげての追悼になってもおかしくはないのに、 一部の幹部にしか知らされなかったという。それは、未亡人(73)が、不倶戴天の敵である日蓮正宗の僧侶に葬儀を取り仕切らせたためだった。

中興の祖と言われる戸田城聖2代会長の長男・喬久氏が、77年の生涯を閉じたのは、今年1月4日のことである。
創価学会の元幹部が言う。
「通夜と告別式は5、6日に港区内の彼の自宅マンションで行われました。その際、池袋の〝常在寺〟という日蓮正宗のお寺から2人の僧侶が呼ばれ、お経をあげて戒名を授けた。そこは、戸田城聖が日蓮正宗に入信したお寺で、戸田家の菩提寺なのです」
戸田2代会長は、戦前の宗教弾圧で弱体化した組織の再建に尽力し、政界進出も成し遂げた功労者だ。その子息の葬儀が、創価学会の標榜する〝学会葬〟(友人葬)ではなく、敵対する日蓮正宗の宗派で行われては、学会員が動揺をきたすのは火を見るより明らか。
「しかも、葬儀を取り仕切った2人の僧侶は、日蓮正宗から創価学会を破門にし、池田大作を永久追放した阿部日顕第67世法主の実の息子とその孫だったのです。これでは、戸田先生の後継者として、池田大作の正統性が否定されたも同然です。そのため、喬久さんが亡くなったことさえ、未だに一般会員に知らされていません。ただ、戸田先生を慕う副会長クラスの古参幹部らがこっそり参列していたそうですけどね」(同)
戸田家と創価学会の間で、何があったのだろうか。

〝池田さんに渡した〟

戸田2代会長が死去したのは、1958年。その後を継いだ3代目が、池田大作現名誉会長であることはご存じの通りだ。
元幹部が続ける。
「創価学会は、日蓮正宗の本山。大石寺と対立し、91年に破門されると、常軌を逸した口汚い言葉で宗門攻撃を繰り返すようになった。戸田先生の奥さまである幾さんは、夫が手塩にかけた創価学会が、単に池田名誉会長を崇める〝池田ファンクラブ〟のように変質していくことに怒りを隠せませんでした。00年に、彼女は89歳で亡くなりますが、日蓮正宗の信仰を最後まで貫き、遺言は〝葬儀は常在寺で〟だったのです」
すでに、喬久氏の母親から、創価学会を拒んでいたわけだ。喬久氏は慶応大学を卒業し、三菱銀行で働く銀行マンだった。 一時、創価学会で、〝顧問〟に取り立てられたものの、幾さんの亡き後、常在寺には度々お参りに訪れていたという。
喬久氏の未亡人に話を伺うと
「主人は糖尿病を患い、入退院を繰り返していました。遺言はありましたけど、葬儀を常在寺にお願いすることは、それよりもずっと前に決まっていたことです。義父母ともにそうでしたから。主人は創価学会について沈黙を守り続けた。ですから、私から何も申し上げることはありません。とっくの昔に池田さんに渡したものですし、継いだわけでもないので、主人は自分の道を歩みました。創価学会と戸田家は無関係です」
体調不良が伝えられ、ここ最近、公の場にまったく姿を現さない池田名誉会長だが、中興の祖の親族からもソツポを向かれてしまっていたのである。
~引用終わり~
誰かは知りませんが「お忍び」で行ったのでしょう。
そもそも戸田夫人(幾さん)の葬儀にすら「参列を許されなかった池田大作」、幹部とて批判対象の日蓮正宗の葬儀に「創価学会として」堂々と出る訳行かないでしょう。出たら嫌がらせにしか見えないでしょうね。
しかも創価学会の公式サイトにおける戸田城聖の紹介には「日蓮正宗の語句」すら無い、まるで日蓮正宗の信徒組織であったことが無かったかのような口振りですね

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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