諸宗教破折
2/21/2020
いわゆる正信会僧侶が居座る寺院は、それら住職・主管が死去すると、そのあとを継ぐ後任の赴任は許されておらず、結果的に宗門側に戻ってきている。
この事実は、正信会の者たちには、日蓮正宗寺院で宗教活動をする権限がないことを物語っている。
没落の一途
そして、これまでにも多くの寺院が宗門側に戻ってきた。 が、そのほとんどの建物が、実に惨憺(さんたん)たる有り様であった。
宗教活動もせずに放置されて荒れ放題だったり細々と宗教活動を行っていたらしい形跡がうかがえるものの、 建物の傷みが激しく、床が落ちていたり。さ
すがに本堂安置の御本尊を持ち出すような暴挙はせぬものの、建物は宗門側が回収したとて、とてもそのまま活動を再開できる状態ではないものが多い。
中には当該寺院内で、正信会僧侶が孤独死の遺体で発見されるという、すさまじいケースもあった。
所詮、正信会がどのように言い繕(つぐろ)おうと、 没落の一途をたどっている事実は動かし難い。
骨肉の争い
そんな弱小宗団へと落ちぶれた正信会は、会の財産の帰属を巡って訴訟沙太になった挙(あ)げ句、さらに分断されて現在に至っている。
一方は、従前の任意団体組織。これは機関紙として「継命」を刊行している。
他方は、任意団体組織から別離した宗教法人組織。こちらは「妙風」と題する機関紙を発刊している。
水と油の如き互いの丁丁 発止(ちょうちょうはっし)は、双方の邪論の応酬であり、逐一取り上げるまでもないほど愚かしい限りにして、まさに骨肉の争いである。
不信なのは一緒
そんな彼らも、昨年九月に御遷化(せんげ)あそばされた御先師日顕上人に対して、継命側は、
「貫主詐称(かんずさしょう)の疑惑が晴れぬまま遷化した阿部日顕師」(継命 令和元年十月一1日付)
と言い、妙風側は、
「阿部師は当(ママ)座直後から血脈相承の偽証が疑われ、宗内僧俗から詐称して法主に就任したという厳しい指摘にさらされた」(妙風 令和元年十月一日)
と、日顕上人の血脈相承を拝信しない立場においては変わらない。両陣共に不信謗法を犯し続けている。
総本山第四十八世日量上人は『続家中(けちゅう)抄』に、次のように仰せられている。
「大石寺事は金口(こんく)の相承と申す事侯(そうらい)て、是(こ)ノ相承を受ク人は学不学によらず生身(しょうしん)の釈迦日蓮と信ずる信の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむる事にて御座(ござ)候」
「釈迦日蓮代々上人と相承の法水(ほっすい)相流れ侯へば上代末代其(そ)ノ身の器は替(かわ)れども法水の替る事少シも之(これ)なく侯、比(か)クの如く信ずる時は末代迄モ仏法松柏(しょうはく)の如くにて常に寺檀仏種を植え三宝の御威光 鎮(とこしなえ)に於閣浮提広令(えんぶだいこうりょう)流布は疑ひなき事に候」
広宣流布は、血脈法水に基づく御教導によって正しく進む。したがって、血脈を拝信しない正信会の者たちに、広宣流布を推進できようはずがない。
このことは現に、没落し、骨肉の争いを続けている姿を見れば一目瞭然、容易に察せられる。この現証こそ、正信会が大誇法たる証拠である。
こなたも『ニセ本尊』か?
そういえば、正信会において創価学会の『ニセ本尊』を破折しているのを見かけない。蛇場(だかつ)の如く嫌う創価学会が、これほどの大誘法
を犯しているというのに、一体どうしたことだろう。
そもそも正信会では、所属信徒に本尊を下付しているのだろうか。下付していないならば、下付できないその一事こそ、布教の低迷の明白な証で、いかに広宣流布を語ろうとも、詮(せん)ないこと。
もし、何かを下付しているとしても、創価学会と同じ手前勝手な作製販売となる。 だとすれば、創価学会の『ニセ本尊』を批判できないのも無理はない。
いずれにせよ正信会は、広宣流布を語ることも創価学会を謗法呼ばわりする資格もない、大謗法の現罰まみれ。正信会員一人ひとりも推(さ)して知るべしで、汚泥(おでい)にまみれた不幸の状態をよしとする正信会員を、今一度折伏する時だ。
(大白法 第一〇二二号 令和二年二月一日)