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何でもありのごちゃ混ぜ宗教ー真如苑

諸宗教破折
真言宗御醐寺から派生した在家教団・真如苑。 平成十四年に日産村山工場跡地を約七百三十九億円で買い取ったことがニュースになったが、このたび、同地を「真如ヤーナ」と命名。真如苑の地として整備していくそうだ。
 その出発式の法要が昨年六月に現地で行われたのだが、報道記事によれば、
「常住本尊の開祖・祖・両重子の尊像が安置された」(仏教タイムス和四年七月二十八日号)
と、主尊と推される釈尊涅像の他に、開祖である伊藤真乗一家の像まで並べて拝んだという。
聖人一家?
 真如苑では真乗の三女・真聰が継主(苑主)に就任して以降、開祖家族の神格化が一層進んだようだ。
 真如を説いて立教改宗した伊藤真乗は「開祖・真如教主様」、その妻・友司は霊験により接心修行の基を成したとのことで「霊祖摂受心院様」。 さらに早世した二人の真乗の子供までも、真如霊界ですべての人の苦しみを代わりに受けてくれる(抜苦代受)として「両童子様(教導院様・真導院様)」と呼ばせる。全員に仰々しい尊称をつけるあたり、開祖一家の神格化に躍起なのが見て取れる。
 現在では総本部などで金色に輝く一家の胸像が釈尊涅槃像と揃って安置される。真聰が事ある毎に一家のお陰、一家に感謝せよと指導するのに、未だ公式に本尊と発表しないのは、やましい気持ちがあるからだろうか。それにしても釈尊像と共に洋装の現代人家族がたたずむその様は、何とも珍妙な姿だ。
仏像なら何でも有り難い
 一家の像以外にも、 真如苑の仏像 は枚挙に暇がない。 昨年春の彼岸会法要では、
「今昔物語などに伝承される聖徳太子のお彼岸での祈りに彼岸会の起源がある」 (真如苑公式ホームページ)
として、聖徳太子像を建立。さらに同年秋の彼岸会では、
「全国本部支部にその地の特徴を表したお地蔵様を順次奉安しており、 本法要の中で、 苑主により悠音精舎(大阪府高槻市)の『ごりやく地蔵』、東北本部(岩手県盛岡)『さっこら地蔵』、横浜精舎の『はま地蔵』の入魂がなされました」(同)
 春には聖徳太子、秋には地蔵と、有り難そうな像を選び、片端から造っては拝む。まるで「仏教」というワードから、子供が連想ゲームをしているようだ。
ごちゃ混ぜは融和に非ず
 そもそも真如苑の本尊は、立宗以来ころころと変わってきた。 当初、不動明王だったのが途中で十一面観音が加わり、今では横たわった釈尊涅槃像。
 修行や修法面に目を向けても、涅槃経を口に唱えながら真言の護摩祈祷を行い、接心と呼ばれる助言相談では仏教に関係ない易学や霊言を用いる。本尊から教義、修行に至るまで一貫性が微塵もない。
「仏教の精神はあくまで”融和”であり、”融合”であります」(同)
とは真如苑開祖の言。 融和と聞けば耳に心地よいが、要はただのこちゃ混ぜ宗教である。
正は一に止まる
日蓮大聖人は『秋元御書』
「飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんと雑へぬれば人食らふ事なし」(御書一四四七)
と、ご飯に糞尿や石、土を混ぜたら食べられないように、例えどんなに勝れたものでも、低劣なものと混ぜたら用を為さないと指摘あそばされる。
さらに第二十六世日寛上人が「立正安国論愚記』に、
「『正』とは一止不邪の義なり」(御書文段 二)
と仰せのように、正法・正義とはただ一つの本尊、ただ一つの教えにしかない。
 真如苑のごちゃ混ぜの姿勢は、まさに悩乱した邪教集団の姿そのものである。
 一切衆生を救う唯一の本尊は総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊以外になく、唯一の正法は日蓮大聖人の南無妙法蓮華経以外にない。唯一無二の正しい宗教は日蓮正宗以外にないと、真如苑の人たちには一刻も早く教え、救っていかねばならない。

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