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伝教大師の遺風忘れた比叡山ー日本天台宗

 諸宗教破折
 比叡山延暦寺は、日本天台宗の総本山である。延暦四(七八五)年、伝教大師が十九歳の時、比叡山に一
宇の草庵を結んだことから起こったと伝わる。
 千二百年の昔、当時の日本には小乗戒壇しかなかった。そこで、伝教大師は、南都六宗(倶舎・成実・
律・法相・三論・華厳の各派)の義を打ち破り、正統な天台仏教を伝えて、大乗の戒壇建立を願い続けた。
 そして弘仁十三(八二二)年、伝教大師の入寂七日目にして、伝教大師出世の本懐である大乗円頓戒
壇(法華経 迹門戒壇)建立の勅許が下りた。
師に背き続ける比叡山
 伝教大師がめざしたの
「『法華経』に説く一乗の教えを実現すること」(天台宗ホームページ)である。
ところが、日蓮大聖人が
『報恩抄』に、
「第二の円澄は半ばは伝教の御弟子、半ばは弘法の弟子なり」(御書一〇一七)
と仰せのように、早くも初代座主義真の後を継いだ第二代座主・円澄が、法華経への信仰から真言へと曲げてしまった。
 また『慈覚大師事』に、
「第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり」(同一四五五)
と大聖人が仰せのとおり、第三代慈覚(円仁)の頃には、真言を正と立て法華経を傍に置き、第五代の智証
(円珍)も、真言の邪義(理同事勝=本当は法華経にしか説かれていない一念三千の法門を、「大日経にも説かれている。さらに大日経には印・真言も説かれているから、大日経のほうが勝れている」という邪義を用いるようになった。
 そんな比叡山の誇りは、
「多くの開祖を輩出した天台宗が日本仏教の母山と言われる」(天台宗ホームページ)
ことらしい。
 時間の経過を「歴史」と呼ぶなら、たしかに千二百余年の歴史はある。しかしそれは、誹謗正法の歴史であり、師・伝教大師に背き続けた歴史と言わざるを得ない。
 迷走の現われとして、たとえば、昭和六十二年以降、毎年開催している「比叡山宗教サミット」がある。世界各国の宗教家を集めて、世界平和を祈るのだそうだ
 加えて、平成二年から毎年「比叡の大護摩」なる新しい法要も行われ、全国から集まる三万本もの護摩木を、不滅の法燈より分けられたとする炎の中に、一本ずつ投じるそうだ。しかし、そもそも護摩は
仏教ではない。釈尊は、
「婆羅門が草木を焚くことは、浄らかな行いと呼べず、悪い供養の形である(趣意)」(大正蔵二巻
320ページ)
と、外道が行う護摩は不浄な行であるとして、強く否定している。
 知ってか知らずか、天台宗のいうことは、
「天台宗は法華一乗の思想ですべての仏教を包含しているので、その修行の種類は多様です。 (中
略) 密教の修法、峰々を巡る回峰行、阿弥陀仏を念ずる常行三昧など、仏教の様々な修行が行なわ
れています」(天台宗ホームページ)
と雑乱の極みで、修行するたびに悪業を積むことになる。
一切衆生を救う大良薬
 本来、仏法は付嘱にしたがって弘通されていく。伝教大師の、
「正像稍過ぎ已りて末法太だ近きに有り」(守護国界章)
との言葉を見れば、自身に文底下種仏法の付嘱がなく、また時が像法時代であるため法華経迹門を弘めたが、実は末法に出現する下種仏法を恋慕されていたと推測できるのである。
まさに末法の今は、『種々御振舞御書』 に、
「法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(御書 一〇五七)
と御教示のとおり、御本仏である大聖人が一切衆生成仏の大法として顕わしてくださった「妙法蓮華経の五字」すなわち大漫荼羅御本尊を信ずる時である。正統仏法を知るのは希有の存在と自覚し、正法を弘通していこう。
(大白法 令和6年8月16日号より転載)

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