「現在の大石寺は偽物」なり疑難を破す 本門正宗

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諸宗教破折
12/4/2016

「今の大石寺は江戸時代に新造」だって!?
目師の子孫を名乗る稀代のペテン師

この宗派は小野寺日了(本名・小野寺直)という人物が、第三祖日目上人の正嫡(せいちゃく)と後醍醐(ごだいご)天皇の正統を名乗り、日蓮正宗の教義を都合よく踏襲(とうしゅう)しながら独自の邪説を形成し、「本門正宗」なる宗派を立ち上げ、横浜市戸塚の「富士本門寺」を本山として活動している、日蓮系新興宗教の一派である。
この小野寺の邪義の中でも、とくに近年、ネット上に書き込まれているものに「大石寺」の所在に対する疑難がある。
小野寺によれば「正応元年(一二八八年)、日興上人の門下の一行は、日蓮大聖人の御遺言「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」に従い、大聖人の御影像を奉持して波木井山中より駿河の國富士郡の南条時光の持仏堂に移り、翌々年、日目上人の生家、新田小野寺氏の所領、大石ケ原(現在の富士市依田原字大石寺)に創(つく)り、地名を冒(おか)しくして大石寺と称しました。
この創建時の大石寺は寛永の年、徳川幕府により焼き討ちにされ、多くの重宝が奪われ消滅しました。
現在、静岡県富士宮市上条二〇五七番に所存する「タイセキジ)は、徳川家康の養女敬台院が京都要法寺の僧『日精』を招いて、焼き討ちした正統大石寺に擬して新造した、『大石寺三箇の重宝」を伝承していない偽タイセキジなのです」
「創価学会のおかげで有名になった「「富士宮大石寺」は江戸時代初期の後半に幕府の力で建てられた「偽大石寺」です」
という。
つまり、日興上人が建立された大石寺の場所は、現在の総本山がある所(静岡県富士宮市上条二〇五七)ではなく、じつは静岡県富士市依田原字大石寺という地だった、とする前代未聞の珍説なのだ。
小野寺は、静岡県の廃止登録簿に残る「静岡県吉原市(現在は富士宮市吉原)依田原大字大石寺」の旧地名や、旧徳島藩蜂須賀家文書の大石寺再建に関わる記述などを根拠に、日興上人開創の大石寺は元来、富士宮市依田原大石寺の存在したが、度重なる火災で江戸初期に焼失し、幕府に廃寺処理された時点で一宗が消滅した、とする。
そして、その後、現在の総本山がある富士上野郷に、阿波蜂須賀家正室・敬台院の力によって十七世日精上人時代に移転再建されたと主張する。
よって現在の大石寺は偽物である、として小野寺は、自身こそ正統な大石寺を受け継ぐ者である、ご豪語しているのである。
まったくもって、小野寺こそ稀代(きだい)のペテン氏である。
まず、はっきりいっておくべきことは、歴史上、大石寺が依田原に存在した記録などないということ、
そして、日興上人が上野郷(現在の上条付近)に大石寺を建立されたのは紛(まぎ)れもない事実であるということである。
「大石寺」という名称の所見は、日興上人の『日興跡条条事』や日目上人の書状、日道上人書写の御本尊などからも拝することができるが、問題の大石寺の所在を特定するものとしては、まず日目上人の『一代聖教大意』の写本奥書がある。
そこには、永仁三年(一二九五年)三月、日目上人が大聖人の『一代聖教大意』を御書写された場所を「於富士上野郷」と記されている。
また日目上人の『奥人御消息』には、「上野・重須上方ばかりにふきて」(歴代全書 一巻二四七頁)

と、上野と重須を一体の地域として表現されている御文もある。
さらに、『日興上人御遺跡事』には、

「上野六人の老僧之方巡に守護し奉るべし、但し本門寺建立の時は本堂に入れ奉るべし」(歴代全書一巻二一三頁)

と、「上野六人の老僧」すなわち日目上人はじめ六人の老僧方が上野郷に住されていたことが把握できる。
さて、大聖人・日興上人・日目上人の伝記として最も古いとされる、日道上人筆の『御伝土代』には、

「興上は身延山出で給いて南条次郎さへもんときみつ(左衛門時光)がりやう(領)こゑ給う、大聖人よりときみつ(時光)が給る御しょに云く、賢人殿云々。これによってこの地をしめ寺をたて給う」(歴代全書 一巻二六七頁)

と日興上人が身延離山された後に南条時光の領地である駿州富士上野郷に入れられ、この地に本寺(大石寺)を建立した旨(むね)の記載がある。
そのほか、日興上人の訴状にも、

「駿河国上野郷大石寺別当宮内郷阿闍梨日時而言上」(歴代全書一巻 三〇三頁)

と、「上野郷大石寺」と明確に記されている。
さらに、京都要法寺日辰の著『祖師伝』の日陽伝の箇所には、元和三年に日陽らが大石寺と重須に参詣したときの記述に、

「翌日重須本門寺に詣るに其ノ道廿余町」(富要集五巻六〇頁)

と記されている。これは大石寺から重須(北山本門寺)に至る距離を示す文であるが、「廿町」とはいまの約二㎞で、ちょうど大石寺と北山本門寺の間の距離にあたっている。もし、小野寺の説の依田原であれば、重須から一〇㎞も離れた場所に大石寺が存在することになり、この文と矛盾(むじゅん)が生じるのである。
このように、日興上人が大石寺を開創された場所は、現在の総本山の所在する上野の地であることは誰の目にも明らかであり、けっして小野寺のいう「依田原字大石寺」などではない。
以上に挙(あ)げてきた上代の文献によって、日精上人の時代(江戸期)に現在の上野の地に大石寺に移転再建された、とする小野寺説は破綻(はたん)しているのである。
何も知らない人々が、この小野寺の珍説に誑(たぶらか)されているようだが、それは世の中の高齢者が容易(たやす)く「振り込め詐欺(さぎ)」に引っかかっているのと変わらない。
インターネットを閲覧する際には、ぜひ、小野寺のような邪智に長(た)けたペテン師の誑惑(おうわく)に騙(だま)されることのないよう、留意していただきたい。

(慧妙 平成二七年一月十六日号)