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異流儀どもの行く末  顕正会

諸宗教破折

顕正新聞(令和二年四月十五日付) に掲載された幹部たちの代表決意を見て、非常に違和感を覚えた。
「全員が浅井昭衛礼讃でほぼ同じ内容」というそもそもの違和感は相変わらずなのであるが、そこに今回は、「本部会館の大御本尊様の御前で」と皆が判を押したように発言しているのである。
これらの発表は、三月度総幹部での指導で浅井自身が同様の発言をしたことを受けてのものと見られるが、何故浅井は「大御本尊様」の文言を用いたのか。単に御本尊の表現なのか、他の会館等にある偽造疑惑の本尊と区別したものなのか、その真意は測りかねる。
しかし、わざわざ決意発表の幹部全員に発言させたことを考えると、何らかの意図があるのではないか。
なぜならば、浅井ら顕正会には創価学会など他の異流義と同様に、三宝破壊の明らかな実態があるからである。

当家における三宝
承知のように日蓮正宗においては、三宝として、御本仏日蓮大聖人を仏宝、事の一念三千の南無妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊を法宝、唯授一人血脈付法の日興上人、並びに御歴代上人を僧宝とする。
『真言見聞』に、
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(御書六〇八ページ)
とあるように、三宝は本質的には一体であるから、ひとつでも謗るようなことがあれば三宝破壊となるのである。
そして、古くは五老僧をはじめ、近年では正信会、創価学会など、異流義となる者は、自身の正当性を主張するためにまずは血脈否定の謗僧を犯し、それがや
がて謗仏,謗法へと繋がり三宝を破壊していった。

三宝破壊の実態
顕正会においても見事にこれが当てはまる。
浅井はかつて、
「代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今
日に至っている。これが正系門家,富士大石寺の伝統である」
(冨士 昭和六十一年十一月号)
と、総本山第六十七世日顕上人への血脈を仰いでいたにもかかわらず
「細井日達は急死を遂げた。 大事な『御相承』もなし得なかった」(顕
正新聞 平成二十六年1月五日付)
などと変節し、血脈否定の謗僧を犯している。今では、第六十六世日達上人、日顕上人の御遷化に関して、でっち上げの誹謗中傷に狂奔している。
そして、浅井は御書を持たない会員を前に、大聖人の御金言を溶意的に解釈し、「勤行様式の改変」「塔婆不要」「国立戒壇論」等の己義をあたかも大聖人の教えであるかのように欺いている。この御本仏大聖人を己のために利用する様は、まさに謗仏である。
さらに、戒壇の大御本尊に関して顕正会では、一応尊崇の姿を示している。し
かし、浅井は、「不敬の御開扉」 (同紙平成二十七付)

などと難解をつけ、「遥拝動行こそ広布最終段階の信行の姿」(同紙令和二年一月五日付)
との己義をもって、事実上、顕正会員を大御本尊から遠ざけているのである。
それのみならず、「大幅の日布上人の御形木本尊」導師茶羅の御形木御本尊」など、偽造疑惑の本尊まで用いており、本尊軽視、まさに謗法の姿そのもので

戒壇の大御本尊のもとへ
このように、顕正会の実態は、既に三宝破壊の大謗法団体なのである。
現状では未だに浅井は、いつの日か顕正会が認められ日蓮正宗に戻れるかのように喧伝しているが、そのような時がおとづれることは永遠にない。
とすれば冒頭に挙げた顕正会新聞の内容をみているとやがて学会同様に「戒壇の大御本尊」から離れ、「本部会館の大御本尊」を根本とするように変節していくのではないだろうか。
いづれにしても異流儀どもの行く末は哀れ。
我々日蓮正宗の僧俗は一人でも多くの顕正会員を脱会させ、戒壇の大御本尊のもとにお連れできるように折伏に邁進していこうではないか。

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