諸宗教破折
また、この季節がやってきた。今年もそろそろハロウィンが開催される頃だ。
古代ケルト民族の宗教的行事が起源となるこの祭りは、テーマパークでのイベントなど「商業的な盛り上がり」を隠れ蓑に、謗法容認の精神を忍ばせている。
特にイベント好きな若者の間では、渋谷の乱痴気騒ぎでも有名な「仮装(コスプレパーティ」と認知さ
れているようだ。
ところで「仮装」といえば、勝手に日蓮正宗の看板を掲げる正信会の二世僧侶らも、ある種のコスプレであるといえよう。
二世僧侶の感想
かつて正信会教学部は、日蓮正宗とは無関係の二世僧侶たちの教育機会として「富士五山研修」を実施し、大石寺にも訪れていたようだ。
何しろ正信会が独自に認証した者たちであるため、御戒壇様や大石寺への渇仰恋慕の想いなど、露ほども持ち合わせていないことは想像に難くないが、研修の感想は予想を超えてはるかに不憫なものであった。ある研修生は、「師匠からは、当時の大石寺の活気溢れる様子や修業時代の思い出、 山内諸堂の姿、また戒壇の大御本尊がまします正本堂の威容など、多くの話を聞いていました。しかし、現在の大石寺は、私の聞かされていた大石寺とは全くの別物でありました。(中略)何人も寄せ付けないような威圧感を放つ白亜の建造物・奉安堂。大石寺は全山を通して、全く生命の息吹を感じることが出来ない異様な地へと変貌していました」(正信会報 一六九号)
かわいそうに、せっかく御戒壇様の膝下まで来てみても、「大聖人様の御魂魄がおわします霊山」という大御本尊への信仰が欠如しているため、御本仏の御命の息吹を感じることはできなかったようだ。
そもそも正本堂は、創価学会の邪教化によって建立の目的意義を失ったのみならず、池田本仏論の根拠として悪用され続けたために解体されたのであり、その経緯を熟知するはずの正信会僧が「正本堂の威容が見られないことを残念がるなど、唖然とするほかはない。
さらに研修生は、このあと見学した西山本門寺で内陣の内側に入ったことや、江戸時代の仏具等を見たことにいたく感激し、同じく先に見学した北山本門寺とともに、
「これらの寺院は大石寺とは対照的に、大きな木々が寺域に溢れ、土の匂いが香り、鳥のさえずりが聞こえる生命力に溢れた場所でありました。この差を目の当たりにしたとき、現在の大石寺の姿は本当にみっともなく、情けなく思えて参りました」(同)
と手放しで誉め称える。
さすがに毒気深入の者だけあって、謗法の山の生命にはしっかり感応しているようだ。
実際に現在の大石寺の様子を知らない正信会員を欺くべく、創価学会や顕正会と同様、会報に虚偽を晒し貶す手法からは、まさしく宗門憎し、総本山第六十七世の日顕上人憎しの体質がきちんと次世代に植えつけられ、紡がれていることが判る。
モノマネは本物に非ず
頭を剃り、同様の袈裟・衣を着けていても、彼らはけっして「日蓮正宗の僧侶」ではなく、仮装したモノマネ僧でしかない。
かつて正信会副議長(当時)の近藤済道は、
「考えるに、もはや正信会は一宗の体をなしている。(中略)そろそろ自分達の足で一人歩きをしなくてはならない時が来ているのではなかろうか」(同八一号)
と述べていた(なお現在は主に三団体に分派。先年まで財産分与を巡り法廷闘争をしていた。
「我らはコスプレ僧ではない」と憤るのであれば、正々堂々と日蓮正宗の名は外し、一宗派を立ち上げたらよろしい。
かくなる時は「異流義破折」ではなく、晴れて「諸宗教破折」のコーナーで破折せしめることになろう。
いずれにしても、見た目は似かようコスプレ僧に嘘偽りの姿を聞かされ、大石寺や御先師を憎む正信会員を一人でも多く救っていく使命は、本宗僧俗にある。
(大白法令和6年10月1日号より転載)