創価学会
2/1/2017
昨年十一月、創価学会はまたも会則を変更した。聖教新聞(平成二十八年十一月五日付)によると、
「日蓮大聖人直結・仏意仏勅(ぶっちょく)の教団である創価学会が仏の存在そのものであり、未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」(取意)
との長い間埋もれていた裏付けのない池田大作の思い出話を唯一の根拠に、学会を「創価学会仏」と会則に明記したのだ、まさに悩乱の極致である。
学会よ、大聖人直結・仏意仏勅を謳(うた)うのなら、「学会仏」の根拠を御書や経典の予証で示してみよ。
そもそも「未来の経典」とは誰が説くのか?
末法万年の御本仏たる大聖人以外の仏を想定しているということか?
こんな矛盾(むじゅん)だらけの珍説に翻弄(ほんろう)される学会員こそ哀れである。
出所不明の「学会仏」
「学会仏」なる用語が登場したのは、管見の限り、昭和三十七年十月十八日付の聖教新聞に掲載された座談会の記事が初出だろう。
その中で、当時の教学部長。小平芳平氏の発言を皮切りに、突如として池田大作は、戸田城聖二代会長の指導に「学会仏」という言葉があったと言い始めた。しかし、これは極めて眉唾(まゆつば)物だ。創価学会の元教学部長であり、大作の側近だった原島嵩氏は、
「私は小平氏に聞きました。『戸田先生は、本当に創価学会仏といったのをあなたは直接聞いたのですか?』--
これに対し、小平氏は記憶が定かでないとして、『いや、よくわからない。池田先生から聞いたのかもしれない』と正直に答えてくださいました。
私は、これはどうも先生のつくりごととか、あるいは戸田先生が事実言われたとしても、決して日蓮大聖人以外に創価学会仏なるものを想定されたこととはどうしても考えられません。(中略)とにかく、先生はつくりごと、すりかえ、自分の言ったことを他の人の言にしてしまうこと、それも既成事実化してしまうことの名人です」(池田大作先生への手紙 一〇六ページ)
と証言している。
「学会仏」は大謗法
大聖人は、煩悩充満の凡夫について直ちに仏と詐(いつわ)る禅宗の邪義を、
「謂己均仏(いこきんぶつ)(己(おのれ)は仏に均(ひと)しと謂(おも)う)の大慢」(御書 三九七ページ)
と指弾されている。
また、一仏の世界に二仏を立てる真言の邪説を、
「一代五時を離れて外(ほか)に仏法有りと云うべからず、若し有らば二仏並出(びょうしゅつ)の失(とが)あらん」
(同 四五〇ページ)
と破折されている。
これと同じく「学会仏」なる珍説は、大聖人が天魔の所為(しょい)、亡国の悪法と喝破(かっぱ)される、禅宗や真言宗に並ぶ、否、それ以上の大謗法である。
”創価愕怪物(がっかいぶつ)”を破折しよう
およそ仏教徒にとって、仏法僧の三宝は信仰の根幹である。
しかるに、
〇御本仏のほかに「学会仏」を立てる仏宝破壊。
〇本門戒壇の大御本尊に対する信仰を捨棄した法宝破壊。
〇御歴代上人に誹謗中傷の限りを尽くす僧宝破壊。
この三宝破壊の現証を見れば、創価学会は仏教徒ではなく、外道・池田教に成り下がったことは一目瞭然である。そんな大謗法集団のどこに”仏”の意義などあろうか。
まさに愕(おどろ)くべき仏法破壊の怪物、「創価学会仏」ならぬ”創価愕怪物”だ。
当時の御当職であられた前御法主日顕上人によって、完膚(かんぷ)なきまでに破折された学会資料(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す 所収)によれば、かつての学会は、
「(日顕上人猊下に対し)『本地は何だ!垂迹は何だ!顕本は何だ!』と攻めましょう」(該書 八二ページ)
などと述べて会員を扇動(せんどう)していた。
ならば敢(あえ)て汝(なんじ)らの言葉を借りて破折しよう。
「学会仏」などという道理・文証・現証のない邪義に対して『学会仏』の本地は何だ!垂迹は何だ!顕本は何だ!」
と鉄槌(てっつい)を下すものである。
(大白法 第九五〇号 平成29年二月一日)