霊媒に頼ってよいのか

  「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
霊媒は人間と死者の霊を媒介する者で、わが国では青森県恐山の〝いたこ〟が有名です。
 この〝いたこ〟は依頼者の求めに応じて神がかりとなり、口寄せによって死者の思いを伝えたり、その心をなぐさめる役割をしているのですが、最愛の人を失った遺族にとって、故人が今なにを考え、どういう状態であるかを知りたいと思うのは、人情として無理からぬことといえるでしょう。
 文明の発達した今日、なお霊媒が存在し口寄せなどが続けられている現実は、死者への思いはいつの時代にあっても変わらないというあかしでもあろうと思われます。
 たしかに、故人の声をもう一度聞くことができれば、遺族の気持ちは休まるかも知れませんが、死者の気持ちを知ったところで、その深い苦悩を消し去ることも、悲しみに打ちひしがれた心を真になぐさめることもできないのです。
 それはあたかも、釈尊の弟子である目連尊者が、小乗の悟りによって得た神通力で、餓鬼道に堕ちて苦しむ母親を救おうとしても救うことができなかった故事と同じです。
 結局、目連尊者は法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱えたとき、初めて母親を成仏に導くことができたといわれています。
 仏教には感応道交の原理が説かれており、仏と衆生との間に相い通じて感じ応ずる働きがあるといわれます。これを悪用したのが霊媒信仰なのですが、仏の教えを除外して単に迷いの衆生と死者が感応したからといって真の救いになるわけではありませんし、かえって共に苦しむ結果になるのです。
 ましてや現在の霊媒や〝いたこ〟と称する者のほとんどは、それを商売の手段としているだけで、死者と感応する力はないのです。
 いずれにせよこのような霊媒は、仏法本来の目的から逸脱した邪道なのですから、頼ってはいけません。

【折伏実践のために】

利根、通力に頼ってはいけないことを教えよう
 今日のように世の中が社会不安となったり、不況になってくると、霊媒師や占い師等の所に相談に行く人たちが多くなります。それは、世の中における先の見えない不安から救われたいとする人間の心理に他なりません。
 また、その心につけこんで商売をしようする人たちも多く現われてきます。私たちはこれらの人師の手にのってはいけません。
 大聖人様は、『唱法華題目抄』に、
「通力をもて智者愚者をばしるべからざるか」(御書 二三三㌻)
また、
「但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(同 二三三㌻)
と明確に仰せです。通力とは神通力のことで、超人的な能力をいい、利根とは、勝れた五ご根こん(眼げん根・耳に根・鼻び根・舌ぜっ根・身しん根)を持つことをいいます。
 ですから、超人的な能力を持っているから勝すぐれた人であるとはいえません。ましてや仏法の正せい邪じゃということについては、人よりも秀ひいでた感覚や能力を持っているかどうかということで判断してはならないと仰せです。
 たとえば、通力であれば、一般的に「烏からす」は吉凶を知り、「猫」や「梟ふくろう」は暗闇で物を見、「鼠ねずみ」は火事を予感し、「鯰なまず」は地震をあらかじめ知ると言われています。通力だけを重んじるのであれば、ある意味ではこうした畜生たちの方がはるかに勝れています。
 人師の通力を信ずる人は、あたかも暗闇に猫を伴い、火事に備えて鼠を飼い、地震を恐れて鯰を育てるような人というべきで、まことに愚かしい姿です。
 つまり、大聖人様は、占いや呪のろいなどに頼ったりとらわれたりすることを誡いましめられているのです。それらはまさに多くの人を救うというよりは、むしろ人の弱みにつけ込んで、無知の人の心を惑まどわす魔の所しょ為いとなるからです。
 大聖人様は、『聖愚問答抄』に、
「仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず(中略)未だ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁へず(中略)『感応斯くの若きも猶理に称はず』とて、いまだ仏法をばしらず』(同 三九三㌻)
と仰せられ、霊媒師や占い師は未だ仏法の是非を知らず、因果の道理を弁えない外道の邪師、悪師と破折されています。
 さらに、その邪師を信頼し、盲信する人に対しては、『星名五郎太郎殿御返事』に、
「若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし。当に知るべし、彼の威徳有りといへども、猶阿鼻の炎をまぬかれず(中略)是一切衆生の悪知識なり。近付くべからず。畏るべし畏るべし」(同 三六六㌻)
と仰せられ、霊媒等を信ずる人々は、外道を信じているようなもので、実に恐ろしいことであり、これらの邪師には決して近づいてはいけないと戒められています。
 また、『大智度論』には、
「外道の語は始は妙なるに似たりと雖も窮め尽せば帰する所は即ち虚誑と為る」
と説かれています。
 言葉巧みに人の心に取り入り、故人や先祖の霊、水子の霊だと言って、何も判らない人々の心につけ入ろうとする霊媒師等の外道の教えに誑かされてはいけません。
 邪教は究め尽くせば帰するところは虚妄となり、誑惑となります。そして騙すほうも騙されるほうも、やがて謗法の現罰を被ることになってしまうのです。
 しかし、真実の大法は究め修するほどに大功徳を生み、人間を磨き、人間を育て、人格を向上させていき、まさに歓喜と法楽に満ちた真実の幸せを築くことができるのです。
 このことは、あたかも目連尊者が小乗の悟りで得た神通力では、餓鬼道に堕ちた母親を苦しめるばかりで救うことができず、結局、真実の法華経に至って南無妙法蓮華経と唱え、自分自身が多摩羅跋栴檀香仏という仏になって、その功徳により母親を成仏に導くことができたのと同じです。
 これについて、大聖人様は、『盂蘭盆御書』に、
「目連が色身は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も 又仏になりぬ」(御書 一三七六㌻)
と仰せです。
 
自ら正法を修する大事
 つまり、末法今日における法華経とは、御本仏日蓮大聖人の御当体である、人法一箇の御本尊以外になく、この御本尊に南無妙法蓮華経と唱えたとき、初めて境智冥合して成仏の境界を得るのであり、その功徳によって亡き故人も、先祖も成仏できるのです。
 本当に亡き故人のことが気がかりであるならば、霊媒師等によるのではなく、まさに南無妙法蓮華経の大法を信じ、故人や先祖の塔婆を建立して供養を怠りなく勤めていくことです。
 草木成仏の深い原理に基づき、亡き精霊は、妙法蓮華経の功徳を受けて、必ず霊山浄土に安住することができるからです。
 いずれにしても、末法万年の闇を救う大御本尊のもとに、まず自分自身が即身成仏の功徳を積むことが肝要であり、その功徳を故人や先祖に回向することが正しい在り方です。
 御法生日如上人猊下は、
「この世の中の様々な混乱の原因について考えるとき、世界中の人達が正しい御本尊のもとに集うことが、すべての解決の道であります。そのときに一人ひとりが信心強盛に、まさに浄心に信敬し奉るということが信心の上では最も大切なことであります。
 『御義口伝』のなかには、浄心の浄について、 『浄とは法華経の信心なり、不浄とは謗法なり』(御書 一七七八㌻)
 と仰せでありまして、謗法の念慮を断って御本尊様に帰依し奉る、まさに浄心信敬するところに大きな功徳があるのであります。そしてこの功徳をもって世界中が平和になっていくということがまことに大切なことであります。つまり我々一人ひとりが御本尊様の功徳を説き、そして広宣流布のために折伏をしていくということにつながるのであります」(大白法 七三一号)
と仰せです。
 私たちは一人も漏れることなく、広宣流布をめざして大折伏戦に加わっていきましょう。

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