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五濁

教学用語

五ご  濁じょく

五濁とは、悪世末法における仏道修行の妨げとなる濁にごりのことをいい、五種の姿があります。これは、『法華経方便品第二』に、
「舎利弗、十方世界の中には、尚二乗無し、何に況や三有らんや。舎利弗、諸仏は五濁の悪世に出でたもう」(開結 170頁)
と説かれており、五濁は、劫濁こうじょく、煩悩ぼんのう濁じょく、衆生しゅじょう濁じょく、見濁けんじょく、命濁みょうじょくの五つをいいます。

はじめの劫濁とは、戦争・疫病・飢饉ききんなどが起こり、世の中が乱れるという、時代そのものの濁りをいいます。天台大師の『法華文句』に、
「劫は是れ長時、刹那は是れ短時なり、但だ四濁に約して此仮名を立つ」
とあるように、劫濁は他の四濁が盛んで、その濁りが長く続いている時を指します。

次に煩悩濁とは、五鈍使ごどんし(貪とん・瞋じん・癡ち・慢まん・疑ぎ)などの煩悩による心身の濁りをいいます。貪は愛着することであり、瞋は怒ることであり、癡は道理に暗く愚かなことをいいます。慢は驕おごり高ぶることであり、疑は法を信ぜず躊躇ちゅうちょすることなど、これらは煩悩に支配されるという個人における本能的な迷いの姿をいいます。

次の衆生濁とは、煩悩に冒おかされた人間の集まり、すなわち社会全体の濁りのことをいいます。衆生濁について『文句』には、最初の劫濁とともに「別体無し」と釈され、時代や社会の濁りについては実体があるのではなく、全体的・総合的な濁りを意味します。

四番目の見濁とは、五利使ごりし(身見しんけん・辺見へんけん・邪見じゃけん・見取見けんじゅけん・戒取見かいじゅけん)などによる思想的な迷いをいいます。身見は自我に執着する考えであり、辺見は生命は死によって無となるなど一辺に偏った考えであり、邪見は因果の道理を無視する考えをいいます。見取見は前の三見に固執し、劣っているものを勝れていると見る考えであり、戒取見は仏法上、戒め禁じられている邪行に固執する考えのことをいいます。これらは理に迷って煩悩に冒されている姿を指します。

最後の命濁とは、心身ともに衆生の生命そのものが濁り弱まることや寿命の短減のことをいいます。

五濁の関連性について『文句』には、
「煩悩と見とを根本と為す、此二濁より衆生を成ず、衆生より連持の命有り、此四時を経るを謂て劫濁と為すなり」
とあり、煩悩濁と見濁が根本となって衆生濁となり、それが連続維持し命濁を生じさせ、さらに劫濁という時代自体の濁りになるとしています。

日蓮大聖人は『御義口伝』に、
「日蓮等の類たぐいは此の五濁を離るゝなり。我此土がしど安穏あんのんなれば劫濁に非ず、実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず、煩悩即菩提・生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず(乃至)正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非ざるなり」(御書 1729頁)
と仰せです。五濁悪世の今日にあっても妙法を受持信行するところに、その濁りに一切染まることなく、成仏の境界が得られるのです。

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