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開会(かいえ)

教学用語

開会(かいえ)

 開会(かいえ)とは、権(ごん)を開して実に会入(えにゅう)せしめることをいい、「開」は開く、「会(え)」は合わせる、一つになるなどの意味があります。

開会には、法(ほう)開会・人(にん)開会があります。法開会とは、すべての教法が一法に帰入(きにゅう)すること、人開会とは、三乗の人々が平等に仏になれるということです。この人法の開会を兼(か)ねて説かれるのは、釈尊一代仏教中にも法華経にしかありません。

法華経迹門(しゃくもん)は、『方便品』に、

「一(いち)仏乗に於(お)いて分別して三と説きたもう(開結 一〇五頁)

「唯(ただ)一乗の法のみ有り 二無く亦(また)三無し」(開結 一一○頁)

と説かれているように、爾前(にぜん)方便の三乗法を開いて、真実の一仏乗を顕わし、三乗即(そく)一乗を明かしています。一切の爾前経は、三乗の機根(きこん)を調(ととの)えるために設(もう)けられた方便であり、法華経の一仏乗から開き説かれた教法なのです。従って法華経説教(せっきょう)の後(のち)は、三乗の教えはすべて法華経の一仏乗に会入(えにゅう)されるのです。

法華経迹門は、九界(くかい)の衆生の命に仏界が具(そな)わるという生具(しょうぐ)の思想を明かしたことにより、二乗・女人・悪人などの一切衆生に成仏の可能性を開顕(かいけん)したのです。

このような開顕思想(しそう)を天台大師は、開三(かいさん)顕一(けんいち)、または会三(えさん)帰一(きいち)と称(しょう)しています。

また法華経本門(ほんもん)は、『寿量品』において、釈尊の始成(しじょう)正覚(しょうかく)を破(は)して久遠実成(じつじょう)を説き、一切の諸仏を寿量品の久遠の本仏に統一(とういつ)帰入(きにゅう)せしめました。これは同時に、能化(のうけ)の仏が永遠であることを開顕して、所化(しょけ)の衆生の生命も仏とともに永遠であることを示したものです。天台大師は、これを開迹(かいしゃく)顕本(けんぽん)と称しています。

このように、法華経が諸経に超過(ちょうか)して勝(すぐ)れているのは、開会(かいえ)を説くからです。

日蓮大聖人は『諸宗(しょしゅう)問答抄(もんどうしょう)』に、

「絶待妙(ぜったいみょう)と申すは開会の法門にて候なり。此(こ)の時は爾前権教とて嫌(きら)ひ捨てらる所の教(きょう)を皆(みな)法華の大海におさめ入(い)るゝなり。随(したが)って法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌はるゝ者無きなり。皆法華の大海の不可思議の徳として、南無妙法蓮華経と云ふ一味にたゝきなしつる間、念仏・戒・真言・禅とて別の名言(みょうごん)を呼び出(い)だすべき道理曾(あえ)て無きなり」

(平成新編御書三二頁)

と仰せられています。法華経は爾前権教の教(きょう)(教法)・行(ぎょう)(修行)・人(にん)(修行者)・理(り)(法理)のすべてを納(おさ)める大海であり、法華経に開会された爾前経は法華経の体内(たいない)の権(ごん)として蘇生(そせい)されるのです。ゆえに、法華開会の上から見れば、すべてが法華経に包摂(ほうせつ)されたのですから、かえって法華経以外に爾前権経として存立(そんりつ)することはありません。

しかし、日蓮大聖人が末法に文底本因(ほんにん)下種の南無妙法蓮華経を唱え出(いだ)されたならば、南無妙法蓮華経の一法に、法華経をはじめとする釈尊仏教のすべての教法が帰結(きけつ)されるところに、開会の真の意義があることを知らなければならないのです。

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