法華経について⑬
法華経について(全34)
13大白法 平成26年11月1日刊(第896号)より転載
『授学無学人記品第九』
さて、いよいよ迹門正宗分の最後の品である『授学無学人記品第九』に入ります。
品題に「学」「無学」とあります。一般的には「学」と言うと学問を身につけた人を言い、「無学」と言うと学問のない人を言いますが、ここで言う「学」「無学」は全く異なります。すなわち、「学」とはまだ学ぶべきところのある修学者を指し、「無学」とはもう学ぶべきところがない修学者を指して言います。具体的に言えば、小乗の位のうち阿羅漢(小乗の最高の悟りを得た者のこと)になった者を「無学」と言い、見思惑を断尽していく途中の位(須陀洹向から阿羅漢向まで)を「学」と言います。ですから「学」とは言っても、仏道修行の上からは高い位にいる出家の修行者を意味し、末法の私たちとは比較することはできません。
阿難と羅睺羅
さて、当品の冒頭で阿難と羅睺羅が出てきます。
阿難は、『大智度論』によると斛飯王の子供で提婆達多の弟に当たり、釈尊には従兄弟に当たる人物です。後に釈尊に帰依して、釈尊の弟子の中で最も多くの説法を聞き、またよく記憶していたので「多聞第一」と言われ、十大弟子の一人に数えられました。
釈尊は、なかなか女性の出家を認めませんでしたが、阿難の申し出により認め、釈尊の乳母の摩訶波闍波提たち、女性が出家することができたと言われています。
「多聞第一」の弟子として、釈尊滅後の第一回目の経典結集で活躍し、経典が編纂されました。多くの経典では、冒頭に、
「如是我聞(是くの如く我聞きき)」
と記されますが、この「我」のほとんどが阿難のこととされます。
次に羅睺羅は、釈尊が出家前にもうけられた実の子供です。後に出家して比丘となり、よく戒律を守って修行に励み、「密行第一」と言われ、十大弟子の一人に数えられました。
当品の概略
さてこの阿難と羅睺羅は、釈尊の前に進み出て、深く礼拝してお願いを申し上げます。
「阿難は、常に釈尊のお側にあって法を聞き、その教法を護持しております。また羅睺羅は仏の御子であります。もし、私共にも未来の成仏の保証を御授けになられれば、私共も他の学無学の声聞衆も、たいへんに喜ぶでしょう」
その時、この二人の言葉を聞いた学無学の二千人の声聞が、一斉に立ち上かって釈尊を礼拝しました。そして、釈尊を見上げて、
「私たちも、この二人と共に未来成仏の保証をしていただきたいものです」
と心に念じたのでした。
そこで、釈尊はそれらの心を見通され、まず阿難に向かって告げられました。
「阿難よ、そなたは未来世において、山海慧自在通王如来という名の仏となるであろう。多くの菩薩を教化するであろう。その国土を常立勝幡といい、劫を妙音遍満と名付ける。阿難よ。この山海慧自在通王仏は、十方の諸仏にその功徳を讃嘆されるであろう」
こうして阿難に授記がされました。この時、説法の座にいた八千人の新発意の菩薩(発心したばかりの菩薩)たちが、心の中で、
「私たちや諸々の大菩薩の方々でさえも、このような二乗への記別を授けられたことを、聞いたことがない。どのような因縁があって、声聞たちがここで成仏の保証を授けられるのであろうか」
と疑問を持ちました。
この菩薩たちの疑念を察知された釈尊は、次のように教えられました。
「かつて前世において、私と阿難とは、空王仏のもとで同時に発心して、共に無上菩提(仏の最高の悟り)を得るために修行をしたのである。阿難は常に法を多く聞くことを願い、私は常に精進することに専念したのである。そのために私は既に仏となることができたのである。
しかるに阿難は、私の説いた教法を護持し、また将来、諸仏の説かれる法を護持しようという誓願を立てて、それを実行しているのである。この理由により、記別を与えたのである」
これを聞いた阿難はたいへんに喜んで、次のように誓いの言葉を申し上げました。
「世尊はとても希有な勝れた御方です。私に過去世の本願を思い出させ、過去の諸仏の法を思い出させてくださいました。私は今、全く疑いなくして仏道に住することができました。本願の通り、私は諸仏の侍者となって、その御説きになった法を護持いたします」
次に釈尊は、実子である羅睺羅に向かい、
「羅睺羅よ、そなたは未来世に踏七宝華如来という仏になるであろう。
そして、現在世において、私が沙門となる前は私の長子となり、私が仏道を成じてからは法子となった。未来世において、数え切れないほどの多くの仏の長男として生を受け、一心に仏道を求めるであろう。羅睺羅の密行は、ただ私のみが知るところである」
と告げられました。
そして、釈尊は学無学の二千人を御覧になると、皆一心に仏を拝しており、釈尊はまた阿難に向かって告げられました。
「汝阿難よ。学・無学の声聞衆を見なさい。ここにいる人々は、多くの諸仏を供養し、その教法を護持し、やがて同時に十方の国においてそれぞれ仏となるであろう。彼らは、皆同じく宝相如来という名の仏になるであろう」
と説かれたのでした。
こうして、未来における成仏の保証を戴いた学無学の二千人は、非常に感激して、次のように申し上げ、当品は終わります。
「世尊は智慧の灯明であります。私たちに成仏の保証を授けてくださいました。私たちの心は、今、甘露を注がれたように喜びでいっぱいであります」
この『授学無学人記品』の説法をもって、迹門正宗分の説法が終わり、次の『法師品第十』からは迹門流通分の説法となります。
法を護持承継することの大切さ
宗祖日蓮大聖人様は、『十法界明因果抄』で次のエピソードを紹介されています。
◇
釈尊滅後四十年が過ぎた頃、阿難はある竹林で一人の比丘に会います。比丘は間違えた偈文を唱えて修行していたので、阿難はその間違いを指摘して正しい偈文を教えました。
その比丘は、自らの師のところに戻り、偈文の間違いを話したところ、比丘の師は、
「私がそなたに教えたのが真の仏説である。阿難の言う偈は仏説ではない。阿難は年老いて、発言に誤りが多いから信じてはいけない」
と答え、比丘はそれを信じてしまいました。
再び阿難がこの比丘に会った時、相変わらず間違った偈文で修行していたので、重ねて注意したのですが、比丘は信用しなかったのです。(趣意・御書 二〇七㌻)
◇
大聖人様は、このエピソードをもって滅後四十年でさえ既に誤りがあることを示されています。今は二千年を過ぎ、インドから中国、日本へと仏法が渡るうちに、人々の執着や勝手な考えによって間違った教えが弘まり、いかに謗法が多いかを仰せられています。
大聖人様の門下も、いくつもの宗派に分かれ、また近年にも創価学会などの邪義の徒が現われています。正しい大聖人様の仏法を求めるならば、その血脈の跡を尋ねることが肝要です。すなわち、大聖人様以来、唯授一人の血脈相承を伝持する日蓮正宗こそが、正続の宗団であるのです。
さあ御法主上人猊下の御指南のままに、御住職の御指導のもと、唱題に折伏に、精進してまいりましょう。
法華経について⑫
法華経について(全34)
12大白法 平成26年10月1日刊(第894号)より転載
『五百弟子受記品第八』
前回・前々回は、迹門正宗分で広開三顕一が明かされる三周の説法中、因縁説周の正説段に当たる『化城喩品第七』について学びました。今回は因縁説周の授記段のうち、はじめの『五百弟子受記品第八』について学びます。
当品には、法説周・譬説周と同じく因縁説周の領解と述成も説かれますが、簡略であり、総科として概略を拝するときには、前回掲載の科段に示されるように授記段として一つに括られます。
品名の「五百弟子」とは、当品において釈尊は、下根の千二百人の声聞に総じて記別を与えましたが、そのうち五百人に別して記別を与え、歓喜した五百人によって譬えが述べられる説相によります。また「受記」とは、仏様から記別を受ける衆生の立場を表わすため「受記」と言い、仏様の立場から見ると記別を授けるため「授記」となります。
普明如来の記別
最初に下根の声聞を代表して、富楼那の黙然領解が説かれます。先の『化城喩品第七』で明かされた三千塵点劫以来の釈尊との因縁を聴き、過去以来の富楼那の本願を知るのは釈尊のみであると悟り、言葉を発することなく黙然として領解を表わしたのです。
それに対して釈尊は、富楼那が三世に亘って説法第一であることを讃歎され、本地は大乗の菩薩であって方便力により声聞の姿を現じていること、その過去の修因行満を明かし、法明如来という記別を授けられました。
次に釈尊は、総じて富楼那以外の千二百人の声聞に授記しますが、別して釈尊の初転法輪を聴聞して弟子となった五比丘の一人である阿若憍陳如や周陀(須梨槃特)をはじめとする五百人の声聞に、普明如来の同一名号による記別を授けられ、次いで摩訶迦葉に、同座していない声聞への記別を託したことにより、千二百人の声聞への授記が整ったのです。
このうち記別を得た五百人の声聞は、歓喜踊躍して、低い教えに執着し、小智をもって満足した過去の無智を自省して仏恩の深重を得解し、「貧人繋珠の譬え」をもって妙法の領解を述べ、当品は結ばれています。
なお因縁説周の授記段は、次の『授学無学人記品第九』へと続いています。
貧人繋珠の譬え
「貧人繋珠の譬え」は、「酔酒繋珠の譬え」や「衣裏繋珠の譬え」、「衣裏珠の譬え」とも称されます。
一人の貧しい男が、裕福な親友の家を訪れたときのことです。
男はその家で酒に酔い眠り込んでしまいました。親友は官事で外出しなければならず、無価(値段が付けられないほど高価)の宝珠を男の衣服の裏に縫い込んで出かけましたが、酔い臥していた男は、このことに気付きませんでした。
酔いから醒めて起き上がった男は、流浪して他国に至り、衣食を得るために仕事を求めたましたが艱難辛苦の連続でした。そのため、少量であれ得るものがあると満足し、それ以上を求めませんでした。
時が経ち、男は再び親友と出会いました。親友は、男の変わらぬ姿を見て次のように言いました。
「どうして君は、衣食を得るためにそのような窮乏の状態になっているのか。私は昔、君が安楽な生活を送り、思い通りに過ごせるようにと、あの時、無価の宝珠を君の衣服の裏に縫い込んだのだ。その宝珠は、今もここにある。君がこのことを知らずに、自活を求めて苦悩しているのは、実に癡かなことだ。今すぐに、この宝珠を用いて望む通りに必要なものを取り引きしなさい。そうすれば、窮乏することはなくなり、常に思い通りに過ごせるであろう」
こうして無価の宝珠に気付いた男は歓喜し、ようやく安楽な生活を手に入れたのです。
以上が、「貧人繋珠の譬え」についての概略です。
宝珠とは
この譬えの中で、男とは釈尊在世の二乗、親友とは釈尊を譬えられており、中国の天台大師は『法華文句』に、
「譬如有人とは即ち二乗の人なり。親友とは昔日の第十六王子なり。家は即ち大乗教を家と為すなり」(法華文句記会本中 五九五頁)
と、示されています。『化城喩品』で過去三千塵点劫における釈尊と在世の衆生の因縁が明かされましたが、衣服の裏に宝珠を縫い込むことは、法華覆講(大通覆講)による妙法の下種結縁に当たります。
妙法の下種を忘れ、阿羅漢の悟りに満足する愚かな衆生は、三千塵点劫の長きに亘って小乗教に執着し、苦しみの世界に沈淪していました。しかし、仏様の教化によって、ついに過去の妙法下種を覚知し小乗教の酔いから醒め、実大乗教に基づいて仏道を志す故に千二百人の声聞は未来の成仏が保証されたのです。
真実の大乗教とは、天台大師が同じく『法華文句』に、
「無価宝珠とは、一乗実相・真如智宝なり」(同 五九六頁)
と、釈しております。宝珠として譬えられるのは方便の爾前経に対する一乗真実の法華円教です。釈尊結縁の熟脱の衆生は、この法華経に至って初めて未来に得脱することが明らかとなったのです。
以上は、未だ迹門正宗分における説法であり、『如来寿量品第十六』に至って釈尊の本地と久遠五百塵点劫が明かされる以前ではありますが、インド応誕の釈尊の化導が、過去に下種を受けた本已有善の衆生に対する熟脱の教法に依ることが拝されます。
対して私たちは、本未有善の悪世末法の衆生です。
日蓮大聖人は『御義口伝』に、
「此の品には無価の宝珠を衣裏に繋くる事を説くなり。所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、一乗妙法の智宝を信受するなり。信心を以て衣裏にかくと云ふなり」(御書 一七四七頁)
と、また『観心本尊抄』に、
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(同 六六二頁)
と、仰せです。末法の衆生にとって、仏様とは久遠元初即末法の御本仏日蓮大聖人、宝珠とは本因下種の妙法に他なりません。大聖人が、即身成仏の宝珠として大慈大悲により建立あそばされた、本門戒壇の大御本尊を受持信行することこそ肝要となります。
大聖人の御遺命たる広布実現こそが衆生済度の直道であると確信し、「貧人繋珠の譬え」の中で親友が貧しい男を救ったように、他をも救わんとする折伏行の実践に励み、まずは明年の御命題貫徹に向けていよいよ精進してまいりましょう。
法華経について⑪
法華経について(全34)
11大白法 平成26年9月1日刊(第892号)より転載
『化城喩品第七』の後半
前回は、法華経迹門のうち、正宗分の広開三顕一における三周の説法中、第二の譬説周の授記段に当たる『授記品第六』の四大声聞の授記について述べました。
続いて、未だ開三顕一の法門を領解できない下根の声聞に対して説かれた因縁説周の正説段に当たる『化城喩品第七』の前半部分についても学びました。
そこでは主に大通覆講を説かれて、釈尊在世の弟子は、遥か昔の三千塵点劫において釈尊から下種結縁され、今日に至る因縁があることを明かされています。この大通覆講について、簡単におさらいすると、大通とは、三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏を言い、覆講とは、大通智勝仏が説いた法華経を再び十六王子が講説し、大衆に結縁したことを言います。
その十六番目の王子が釈尊であり、この時の釈尊の説法を聴聞して、後に退転してしまった人々は、三千塵点劫もの間、三界六道という苦しみの世界に沈淪します。釈尊は、この間、垂迹の仏として長い時間をかけて、種々の方便を用いて、人々の機根を調熟し、再び法華経を説いて、一仏乗へと導いたのです。
そして、開三顕一の法門が領解できなかった下根の声聞衆に対して、「化城宝処の譬え」をもって、三乗方便一乗真実の法門が説かれます。今回はその「化城宝処の譬え」について、学んでまいります。
化城宝処の譬え
非常に珍しい宝が無量にある場所がありました。そこは五百由旬(約一万キロ)も離れた場所で、途中、山や谷、砂漠など、険しい道を通らなければ辿り着けません。人々のうち、ただ一人の者は、この道をよく知り、しかもたいへん智慧が勝れていたので、彼をリーダーとし、宝の場所をめざして出発しました。
ところが、道があまりに険しいため、人々は途中で疲れ果(は)て、「宝物などもうよい、引き返そう」と言う者も出てきました。そこで、リーダーは「せっかくここまで来たのに帰ろうとするなんて、何てかわいそうな人たちなんだ。ひとつ手段(方便)を講じて、人々を励まそう」と考え、五分の三ほど過ぎたところで、神通力によって、立派な仮の城、つまり化城を設けたのです。そして「もう恐れることも、引き返す必要もありません。この城に入れば、心が安穏となり、元気も回復するでしょう」と告げました。人々は喜んで城に入り、一息ついて安らかになりましたが、さらに「自分はここでよい、もう何も望むことはない」と安住してしまいました。この様子を見たリーダーは、化城を吹き消し、人々に「皆さん、この城は皆さんに一旦休んでもらうために、私が仮に造ったものです。元気を取り戻した今、化城は必要ありません。真の宝処は、もうこの先です。さあ、さらなる元気を出して出発しましょう」と告げました。そして、一同は再び出発し、ついに宝処に辿り着いたのです。
以上の化城宝処の譬えの後、釈尊は「仏も、衆生の心が弱いことを知っている。このため、初めから法華経を説くことをせず、まず仏道へ導く手段・方便として、声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えを説いたのである。それは、化城と同じであり、本当の目的ではない。真実の目的とは、一仏乗であり、それは法華経によって成就されるのである」と説かれました。
以上が、化城宝処の譬えについての内容です。
種熟脱の法門について
法華経には、種熟脱が説かれます。種とは、仏様が成仏のもととなる妙法を、人々の心に植え付けることです。熟とは、その種から芽を出させ、肥料をやって順々に育てていくこと、そして脱とは、育て上がった木が、最終的に実を結び、それを収穫することで、これを成仏に譬えるのです。したがって、種熟脱とは化導の始終といって、仏様が衆生を仏の境界に導くすべての課程を括ったもので、仏と人々との関係から仏道成就の因縁を明かしたものなのです。この『化城喩品』では、釈尊と釈尊在世の衆生との仏道の因縁が示されました。つまり、釈尊在世の衆生は、三千塵点劫もの昔に、第十六王子・釈尊の法華覆講によって妙法の種を植えられ、以来生まれるごとに釈尊のもとで仏道修行をし、ようやく法華経を聞くだけの機根に仕立て上げられた。そして、今、ここに法華経の悟りに入ることができる、と明かされたのです。
ここで大切なことは、迹門の『化城喩品』では釈尊自身の本地身を示されていないので、あくまでも衆生の機根を中心とした種熟脱の三益であり、真の種熟脱は釈尊の本地を示された本門に存することを知らなければなりません。
大聖人様は『開目抄』に、
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるににたり」(御書 五三六㌻)
と仰せられているように、本門の成道が明かされなければ、迹門で説くところの教説は有名無実となるのです。
では本門の種熟脱とは、『観心本尊抄』に、
「久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ」(同 六五六㌻)
と、『寿量品』において久遠五百塵点劫の下種を明かし、三千塵点劫及び四十余年の爾前経と法華迹門を熟益とし、『寿量品』に依って得脱したことを脱益というのです。
したがって、久遠の過去に下種を受けた本已有善の衆生は、法華経本門の種熟脱の化導を経て真の成仏を遂げるのです。
末法の衆生は、未だ下種を受けず、善根を積んでいない本未有善の衆生であり、釈尊の熟益・脱益の法では救われません。
故に末法は、久遠元初と同様、久遠の本仏によって、新たに衆生の心田に仏種を下されるべき時です。
『観心本尊抄』に、
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(同)
と仰せのように、末法下種の本法とは、御本仏日蓮大聖人の御当体である南無妙法蓮華経の大漫荼羅本尊であり、末法の衆生はこの御本尊を信受し、題目を唱えるところ、即身成仏の境界を得ることができるのです。これが末法における真の種熟脱の三益なのです。
化城即宝処
大聖人様は『御義口伝』に、
「化城の化とは色法、城とは心法を表わしており、爾前権教においては、この色心の二法を無常と説き、法華経においては、常住と説きます。そして、化城とは九界、宝処とは仏界と説かれ、末法においては、御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱えていくところ、私たち凡夫の色心が本有常住の妙法の当体と開かれ、即身成仏することを化城即宝処というのである(趣意)」(同 一七四五㌻)
とされています。
私たちは、五百由旬の険難悪道を経なくとも、直ちに宝処に至ることができる大聖人様の南無妙法蓮華経を受持信行させていただける喜びを再認識し、さらには多くの人びとを宝処に導いたリーダーのように、自行化他の信心に住し、御命題達成をめざしてさらなる精進をしてまいりましょう。