六十、地・水・火・風・空即妙法蓮華経

日顕上人猊下御指南

 さて「総勘文抄」の文の「我が身は地水火風空」とは、法界、全世界、一切の時間・空間の全体を意味する。全空間のあらゆる存在と活動は、生物・無生物、有機・無機を含め、地・水・火・風・空に一括される。地・水・火・風は動であり、時の推侈とともに動き、一切の存在はこの一つひとつとその結合による無限の生成変化の用きによって生じ、住し、変異し、消滅する。この地・水・火・風によるあらゆる有形・無形の存在を含み、かつ、それを総包するのが空であり、この空とは不動である。すなわち、全法界・全存在の事物と、無限の時間・空間の一切を包み具えるのが空である。空において、時間は無限であり、有無を超越するとともに、相対的な地・水・火・風の合成として有限の経過の一切を含む。故に、御文の「我が身は地水火風空なりと知ろしめす」とは、本仏が我が身法界の全体にして、そのなかに一切の有限差別の因縁を含む広大無限な無限即有限、有限即無限、平等即差別、差別即平等の実相を「我が身」と悟られたのである。この悟りの全体を、妙法蓮華経と名づけられた。故に、妙法蓮華経は万物の本源であり、また、すべての当体でもある。
 また「総勘文抄」に、
   「五行とは地水火風空なり・五大種とも五蘊とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時ともいふ(中略)今経に之を開して、一切衆生の心中の五仏性、五智の如来の種子と説けり。是則ち妙法蓮華経の五字なり」(御書1418ページ)
 
と仰せの「五智の如来の種子」とは、あらゆる方便の爾前権教の法相を法華経の上に開会して、成所作智・妙観察智・平等性智・大円鏡智・法界体性智と、その各対当の権教の仏智を述べられたもので、垂迹の仏法の法相を摂り入れられたものである。つまり、根本の妙法蓮華経が基であり、緑に従い、妙法より出た方便の諸経の法相を示されたのである。故に、地・水・火・風・空によって人身があり、この五大によって我らが生き、また生かされていることは、何人も否定できない道理である。例えば、体内の火が消えれば直ちに死に至り、水が欠乏しきれば、やはり死に至る。他の地・風・空も同様である。我らの生は地・水・火・風・空の調和にある。この根本原理が妙法五字であり、即法界、即全世界である。故に、本有常住であり、本来、妙法蓮華経の不可思議な体である。したがって、妙法蓮華経を信ぜず、関係ないものとして無視する権教執着の輩は、我が身の本性に背いているのである。この地・水・火・風・空即妙法蓮華経は、時間においても空間においても無限であるとともに、そのが存在は無限に即する一念であり、久遠元初本仏の悟りであるとともに、現在の一瞬もまた無限に即する一念である。この一瞬一念は、今時に即して無限時であるとともに、また無限時に即
して今時である。『当体義抄』の、
   「因果倶時」(同695ページ)
の文、および「御義口伝」の、
   「今日の化導末法を指して今日と心得べきなり。此の文は元初の一念一法界より外に、更に六凡四聖とて有るべからざるなり。所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」(同1810ページ)

との金言は、これを道破された文である。すなわち、時間・空間存在の根本が、このところに存するのである。故に、無限時を今時と悟り、今時を無限時と悟るのが真実の法相である。
末法において日蓮大聖人が末法即久遠、久遠即末法の大真如の上に久遠本仏の再誕として出現され、その大慈大悲の御化導により、我らが今日、題目を唱えることができるのである。
この仏恩の広大を深く拝謝し、自行化他の唱題に勤めなければならない。